1948年秋田仁賀保小学校の文集
文部科学省は8日午後、2012年4月、全国の小中学生を対象に全国一斉に行われた学力調査の結果を発表しました。 http://www.47news.jp/47topics/e/233279.php 小中学生都道府県別の学力ランキングのトップに立ったのが秋田県で、2007年の調査開始以来、5回連…
先日の9月3日(土)午後、TV東京の昨年同時期の再放送を観ていました。 「青森から新潟 ローカル路線バス乗り継ぎ人情ふれあい旅」 (登場人物)太川陽介と蛭子能収と中山エミリ http://www.tv-tokyo.co.jp/sat/backnumber/100904.html いよいよ秋田駅…
故 佐々木弥一さんの上郷小学校(秋田県由利郡上郷村 現在にかほ市)の同級生であられました佐々木良三さんから賀状が来ました。 東京都町田市にお住まいの佐々木良三さんは、現在、86歳だそうです。 尚、母の遺品の中に、故 佐々木弥一さんからの賀状と…
戦後間もない1948年発刊の仁賀保児童生徒作品集を改めてスキャナーで読み取りました。 この文集には終戦直後の秋田の田舎の子供達の姿が生き生きと表現されています。 もしも、この文集のコピーを御所望の方は、下段のコメント欄、又はゲストブック欄にその…
故 佐々木弥一さんの人生記(21) 「まずは、ここらで一服」 ( 大正14年生まれ 鳥海山の麓 旧 秋田県由利郡上郷村→象潟町→現在 にかほ市 〉 とうとう、弥一さんの人生記も最後のページとなりました。 今までお読み下されました皆様に篤く御礼申し上げます。…
故 佐々木弥一さんの人生記(20) 「まずは、ここらで一服」 ( 大正14年生まれ 鳥海山の麓 旧 秋田県由利郡上郷村→象潟町→現在 にかほ市 〉 p163~p169 メモ)水無瀬の父の上郷での知人 牧野昭子さん 須田(岡崎)修さん
故 佐々木弥一さんの人生記(19) 「まずは、ここらで一服」 ( 大正14年生まれ 鳥海山の麓 旧 秋田県由利郡上郷村→象潟町→現在 にかほ市 〉 弥一さんの人生記も残り少なくなってきました。 今回の「象潟町日中友好協会」掲載で、残りは十ニページ。 p154…
故 佐々木弥一さんの人生記(18) 「まずは、ここらで一服」 ( 大正14年生まれ 鳥海山の麓 旧 秋田県由利郡上郷村→象潟町→現在 にかほ市 〉 p147~p153 key word) 夫婦町盟約締結 象潟町 十日会 松島町 瑞厳寺 小太郎・紅蓮尼比翼塚 ねむの木 蚶満寺住職…
故 佐々木弥一さんの人生記(17) 「まずは、ここらで一服」 ( 大正14年生まれ 鳥海山の麓 旧 秋田県由利郡上郷村→象潟町→現在 にかほ市 〉 今、総選挙運動の真っ最中。 うちの町は、大阪でも端っこですから静かなものです。 さて、弥一さんが、初めて町…
故 佐々木弥一さんの人生記(16) 「まずは、ここらで一服」 ( 大正14年生まれ 鳥海山の麓 旧 秋田県由利郡上郷村→象潟町→現在 にかほ市 〉 弥一さんは、1963年(昭和38年)、宇都宮の旅館で泥棒にお金などを盗られてしまった話です。 ここで、人の温かい…
故 佐々木弥一さんの人生記(15) 「青春とは、希望であり、情熱であり、省みる時の微笑である」 素晴らしい言葉ですね。 p119~p130
故 佐々木弥一さんの人生記(14) 「まずは、ここらで一服」 ( 大正14年生まれ 鳥海山の麓 旧 秋田県由利郡上郷村→象潟町→現在 にかほ市 〉 太平洋戦争は、ようやく終わるのですね。 弥一さんは、終戦一ヵ月後に帰郷。 p109~p119
故 佐々木弥一さんの人生記(13) ( 大正14年生まれ 鳥海山の麓 旧 秋田県由利郡上郷村→象潟町→現在 にかほ市 〉 p101~p108 注)背後から上官を撃って殺した話は、私が小学校低学年の時に、元二等兵から聞いた事がありましたね。
故 佐々木弥一さんの人生記(12) ( 大正14年生まれ 鳥海山の麓 旧 秋田県由利郡上郷村→象潟町→現在 にかほ市 〉 p95~p101
故 佐々木弥一さんの人生記(11) ( 大正14年生まれ 鳥海山の麓 旧 秋田県由利郡上郷村→象潟町→現在 にかほ市 〉 P85~P94
故 佐々木弥一さんの人生記(10)〈大正14年生まれ 鳥海山の麓 旧 秋田県由利郡上郷村 〉 (画面をクリックしましたら拡大します) (この形での画像七枚では重たいので、果たしてすんなりと開きましたかどうか)
故 佐々木弥一さんの人生記(9)〈大正14年生まれ 鳥海山の麓 旧 秋田県由利郡上郷村 〉 佐々木さんの頃の昭和10年代に引き続き、私の幼少時代、戦後の昭和20年代の農村の娯楽と言えば、小学校体育館での白黒映画と、村の若衆の演芸会でしたね。(由利郡直…
故 佐々木弥一さんの人生記(8)〈大正14年生まれ 鳥海山の麓 旧 秋田県由利郡上郷村 〉 尚、この人生記(6)での「成績の公表」文中、同じテストの成績で一番だった人は「遠藤嘉彦」さんです。 この方も、弥一さんの亡くなった翌年の二月に亡くなったそう…
故 佐々木弥一さんの人生記(7)〈大正14年生まれ 鳥海山の麓 旧 秋田県由利郡上郷村 〉 昭和十年代前半、満州事変。後半は太平洋戦争へ。 彼の十代のことでした。
故 佐々木弥一さんの人生記(6)〈大正14年生まれ 鳥海山の麓 旧 秋田県由利郡上郷村 〉 ご遺族のお話によりますと、弥一さんは、亡くなる寸前まで、昔、教室で先生に読んでもらった「世界名作文学」の話しと、同じトップの点数でありながら二番目であった…
故 佐々木弥一さんの人生記(5) p32~p39 〈大正14年生まれ 旧 秋田県由利郡上郷村〉 私の幼少の頃の昭和20年代中頃の村の娯楽と言いますと、小学校の体育館での『無料白黒映画』と『わらび座の劇』、それにここで書かれている『猿倉人形芝居 』(人形浄瑠…
昨日23日の日曜午後7時からのテレビ番組「田舎に泊まろう」での後半分では、 旧 秋田県由利郡西滝沢村吉沢が舞台でしたね。(現 由利本荘市吉沢) 泊まる場所を探す人は歌手の「森山愛子」さん。 この映像で森山さんが何時間も乗降客を待っ場所が鳩小屋の…
故 佐々木弥一さんの人生記(3) p19~p25 〈大正14年生まれ 旧 秋田県由利郡上郷村〉 今回は作者が小学校低学年の回顧録ですから1930年代の前半ですね。 私の幼少の頃も秋田由利地方の冬には、これでもか!とばかりに雪が降りましたね。
. .故 佐々木弥一さんの人生記(2) p15~p19 〈旧 秋田県由利郡上郷村〉 . . . .平成16年に弥一さん宅を訪問した時、お孫さんが大学の友達を連れてきていましたね。 . .尚、このお孫さんは、当時、京都のある大学に在学中でした。 . . .今回のページは、昭…
故 佐々木弥一さんの人生記(1) 先月、帰郷した時に一冊の自費出版書を見つけました。 佐々木弥一さんというと、戦中戦後、私が生まれた頃に大変お世話になった方です。 食糧難の時代、当時の僻地上郷村で毎年秋、米一表(60kg)をかついで「食べてけれ」…
これは、1948年(59年前)の小学6年生の作文である。 この最後の二行に、時空を超えた子供の感性の素晴らしさを感じるのは、私だけであろうか。 作文「豆ひき」 この感性を踏まえて、短歌を詠んでみたが、彼の最後の二行には、及びもしない。 聞こえるよ 石…
この文集には、終戦直後の貧しい時代に、生き生きとした幼少時代のあなたがいる。 父母がいる。お祖父さん、お祖母さんががいる。 飽食の時代に生きているあなたへ 歴史は繰り返す。 戦前戦後のもんぺ姿が流行ファッションになったのは、つい最近のこと。 死…
終戦から三年後の小学校一年生の詩。 何でもない言葉に、何でもなくはない思いやりがある。 母の毎日の苦労を見ての、母を思う子供なりの思いやりがそこにある。 雪の中、冷たい水で大根を洗う母の手は、真っ赤!! 「かあさん」と言う言葉が、何度も出て来…
この文集は、終戦から三年後の1948年(昭和23)の秋田県仁賀保の児童の文集である。 昭和57年(1982)父が他界してから25年。父の遺品の中から発見した赤茶けた文集である。 当時の貧しいながらも、生き生きとした子供達の姿が目に浮かぶようである。 皆さんも、…