故 佐々木弥一さんの人生記
故 佐々木弥一さんの人生記(1)
先月、帰郷した時に一冊の自費出版書を見つけました。
佐々木弥一さんというと、戦中戦後、私が生まれた頃に大変お世話になった方です。
食糧難の時代、当時の僻地上郷村で毎年秋、米一表(60kg)をかついで「食べてけれ」と持ってきてくれた人。
それからの約60年弱の間、母は、毎年秋にはリンゴ一箱を送り続けました。
それからの約60年弱の間、母は、毎年秋にはリンゴ一箱を送り続けました。
母の三回忌の翌年、鳥海山の麓の佐々木さん宅を60年弱振りに訪問しましたら、その前年(平成15年)、亡くなられていました。
今、私が出来る事とは、彼の書いたこの「我が人生の記」をあまねく公開する事でしょう。
昭和の初めから平成にかけて生き抜いた彼の人生を、皆さんに知ってもらうために。
昭和の初めから平成にかけて生き抜いた彼の人生を、皆さんに知ってもらうために。
それでは、
注1)嬰詰(えいずめ) 大きな火鉢の形をした藁(わら)や葦で出来ている赤子を入れておく籠
注2)「まゝ食いたい」 ごはんを食べたいの意味
注3)町名変更 上郷村→象潟町→現在は、にかほ市
注4)私のブログ記事。訪問したのがこの佐々木さん宅。
注2)「まゝ食いたい」 ごはんを食べたいの意味
注3)町名変更 上郷村→象潟町→現在は、にかほ市
注4)私のブログ記事。訪問したのがこの佐々木さん宅。