竹林はるか遠く(6)



薪にするために拾った新聞紙を見ると、「エッセーコンテスト」の案内記事。
ゴミ箱から拾った紙の裏に400字の枠を描き400字詰め原稿用紙を作る。
郵送する金が無いので三条まで歩いて新聞社のポストに入れる。
さて、少女の書いたエッセイはどうなったのか。

他方、兄ヒデヨはキム氏に助けられ、朝鮮から脱出。

竹林はるか遠く(2)
竹林はるか遠く(3)
竹林はるか遠く(4)
竹林はるか遠く(5)

以下、この続編 『竹林はるか遠く(6)』 です。


          ◆       ◆       ◆

やれる事をやろう。
コウの手細工を売りに歩く時間を増やそう。
ある朝、歩いて学校に行こうと線路沿いを歩いた。
駅ごとのベンチに座る。
同級生がいなかったのに安心。

6個目の駅で新聞が風で散乱して、それを拾う。燃料にできる。
新聞を整え、「エッセーコンテスト」の欄を読む。年齢制限もクリア。
それは、朝日新聞の朝刊だった。

学校へ行く途中読んだ。
懸賞作文の募集要項が書いてあった。

イメージ 1

路面電車が通り過ぎる時「ぬいぐるみ人形!」と割れた窓から女生徒が叫んだ。
唇をかんだ私は、その子をぶっ飛ばしたかった。
その子を踏みつけるように、足を踏みつけた。
だが、私は、懸賞に当選し、その賞金でコウと私の食べ物の事を考えていた。


毎日私は、線路を歩きながら文章を考えた。
400字詰め50枚で20000文字書く必要があった。
ゴミ箱からの紙の裏に400字の枠を描いた。
月の最後の日は学校に行かず、朝日新聞の京都支社に向かい三条通りを歩いていた。
郵送するお金が無かったから懸賞エッセイを、会社の入り口の大きな箱に直接入れた。

2週間後に結果発表。
その時、図書館にいった。
校長は朝刊を読んでいるとの事。
私はがっかり、でも校長室には行けなかった。

翌朝、私は緊張した。
どうしても当選したい。
教室はいつもより騒がしかった。
私が入るとシーンとして皆私をみた。
私は気にしないで、英語の教科書を読んだ。英語は好きだ。
英語の吉田先生は、私によく章を読ませる、私もつっかえないように読みたい。

女生徒が私の英語の教科書の上に新聞を投げてきた。なんというマナー。
読むと、グループ2の受賞者に私の名前と「理解」のタイトル!。

私は笑って、握り拳を作った。
コウとみそ汁とご飯が食べられると思うと涙が出た。
朝鮮時代に書いた「カナリアバード」に続き、2回目の受賞だった。

女学生どもの態度が少し変わった。
皮肉っぽくなり、冷たくなった。
彼らは私のエッセーが嫌いのようだ。
先生も誰も受賞の事は言わず、学校も喜んでないようだ。

新聞社は受賞式を開催した。
コウは彼女の制服にタックをつけて用意してくれた。
男の保護者が必要だが、私はなんとしても出席したかった。
ナイド氏(焼却炉のおじさん)に保護者として来てもらった。

何カ月も食べた事がない位沢山食べた。
コウのためにもってきた新聞の中に食べ物を入れた。

1万円の賞金をもらった。
しかし、靴は買わなかった。
賞金で何週間も生活ができる。
包みのお金は私達の安全保障。
1週間後、校長室に呼ばれた。

<10.思いがけない訪問者 >
エッセーの事か、停学を覚悟していた。
しかし、賞金、生活がかかっていた。

「座ってください」校長が言った。
「マツムラという男性を知ってますか?」と校長。
ちょっと考えて「朝鮮でマツムラ伍長を知ってます」
校長「この封筒は貴方宛。開けました」
ツムラ伍長から来てた手紙だった。胸が高まった。

父が他人の手紙を開ける事を禁じていたのを思い出した。
「校長、あなたは本人の前に開封すべきではなかった」
校長「私は責任を感じている。貴方はまだ若いから」
私「私が最初に見たら、先生に見せたでしょう」
校長は返事をせずに私に手紙を渡す。
京都三条ホテルの紙で書かれていて、住所の紙も入っていた。

「新聞の懸賞を見て書きました。本人かは分かりませんが、朝鮮のナナムで同じ名前の女の子がいました。本人なら返事ください。この住所に」

読んでる途中で涙がこぼれおちた。
戦争で生き残られたんだ。
「校長先生、彼は家族の友人です」
急いで帰ってコウに手紙を見せた。
コウも信じられないとうれし泣きした。
近況の返事を書いた。
近所のポストに出した。
少女が男にホテルに会いに行くのは習慣的にいけなかった。
保護者が入ればいいのだが、コウが結婚してればと思った。
コウ「すくなくとも伍長は生きてて元気だね。いつか会えるでしょう」電話できればいいのに。
コウ「生きている間2度と戦争が起きなければ」
北風が倉庫を揺らし、寒い中、コウはしき布団を倍にし、予備の布団も使って寄り添って寝た。

郵送して2日後、最後の蚕の実験中、ナイド氏が入ってきて先生に耳打ち。
私は校長室に呼ばれた。
母の事を言わなかったから?授業料がなくなった?出来が悪い?懸賞の事?
不安がよぎる。
心臓がドキドキする中、静かに校長室に入る。

「彼女が来ました」
ツムラ伍長がいた。
私はマツムラ伍長に飛び込んで泣いた。
伍長の涙も私の頭に落ちた。

ツムラ伍長と家に帰る事になった。
研究室に戻り、荷物をリュックに入れる。
路面電車に一緒に乗り、家に帰る。
毛布を4回折って座布団として座ってもらう。
母の骨壷にお参りしてくれた。コウが帰ってきた。
コウは涙を見せないようにしてたが、ハンカチを出して「ようこそ」というのが精いっぱいだった。
伍長は仕事でこの町に来ていた。
質素な夕食後話をした。
伍長は、新潟陸軍病院に配属になった。
日本海を渡るときに米軍の爆撃にあい、丸太につかまり四日間漂っていた。
日本の漁船に助けられた。
すでに原爆が落とされ戦争が終わっていた。
故郷の盛岡に帰った。
そして、家業の絹織物会社を継いだ。

私「それで私の衣装について、病院でいってたの?」
伍長「そうだよ、私は素材の質がわかるんだ」
伍長は結婚する事になっており、夫婦とも子供を待望している。
女の子だった「ヨーコ」とつけるよとの事。
私の「武運長久」の書をまだ持ってて、事務所に飾ってくれてるとの事。
「濡れてしまったが、幸運を運んでくれる」

伍長は私に靴を買ってくれようとしたが、店は閉まっていた。
伍長は生活費をくれようとしたが、私達はとりあえず十分なお金はあると言った。
伍長は住所を書いてくれて、何かあったらいつでも連絡して、こちらからも連絡するからとの事。
伍長は深夜特急の切符をとっていた。コウと見送りに行った。

母とも駅で別れ、今伍長とも別れる。
孤独ですすり泣いた。
伍長は「兄弟が戻ってきたら、歓迎の印として渡して」と腕時計をくれた。
「泣かないで、がんばって勉強を続けてね」
発車のベルが鳴り、伍長は飛び乗る。
伍長は着席して手を振る。私達は深くお辞儀をした。
私は時計を握りしめ、列車が見えなくなるまで見ていた。


<11.ヒデヨの帰国 >
                ☆
(注)ヒデヨ(当時13才~16才と思われる)・・・著者の兄
ここの記事は、兄ヒデヨの朝鮮人家族に助けられての朝鮮脱出編です。
まさに北朝鮮からの脱出劇そのものです。

                ☆

キム夫妻と16才、14才の男の子の住む家。

玄関でドサッと音がした時食事をしていた。
「風だろう、ヒーチョ見てきて」
ドアがあかない「なにかがドアを押している」「たぶんイノシシだろう」
土間から大きなマサカリと紐を持ってゆく。
イノシシが納屋の周りをまわっていると思った。


戸を持ち上げて外すと、ヒデヨが倒れていた。意識なし。
ヒデヨの服に触れると凍っている。ヒデヨを中に運んだ。
土間にわらをひいてヒデヨを寝かせる。
キム氏がザックを外す、夫人が朝鮮の服を脱がすと日本の学生服が現れた。
ヒーウォンが「日本人なの?」と父に聞く。

「リュックサックと桜の制服ボタンから彼は日本人だろう」ズボン、靴、靴下は4枚履いていて半分凍っていた。
夫人は体を拭いて胸をマッサージした。ヒーウォン「見て!腹巻とノート」
ノートは貯金通帳だった。
通帳から名前もわかった。
共産軍に見つからないようにザックと通帳を隠した。

キム氏は暖炉の木を増やして温かくした。
夫人は足と体をマッサージし、乾いた靴下に砕いた唐辛子を入れ履かせた。
唐辛子でマッサージも続けた。
ヒデヨに寝巻を着せ毛布でくるみ、回りをワラで覆った。
キム氏「食事の間に彼は回復するだろう」

「もし彼が死んだり、日本人の少年を助けたと誰かにバレたら、賞金目当てで裏切られやられる。彼は私の甥で日本人に殺された。で、私達と生活している。こうすれば危なくない」

彼らは早く食べ終わり、砕いたニンニクのお湯を作り、ヒデヨに飲ませた。
ヒデヨは少し飲み、足は少し温かくなった。
手はまだ冷たいので、二股手袋に砕いた唐辛子を入れ履かせる。
二人の息子が寝てだいぶたっても、夫人はヒデヨの体をマッサージし、ニンニク水と砕いた唐辛子をヒデヨに与えた。
蒸気の為、水を沸騰させた。
「あなた」夫人が呼ぶ。キム氏がヒデヨの頬を叩く。
ヒデヨは生き返った。あまりの疲労で動けなかった。
ヒデヨはどこにいるのか、ここの人は誰なのか分からなかった。
そして、彼のものはどこにあるのか?
ヒデヨは夫人が与えるもので毒殺を恐れる、夫人は自分で食べて安全を見せる。
それは胃に良かった。ヒデヨは自分が誰か、どこから来たかを伝える。

ヒーチョが学校から帰ってきたら「君は僕達のいとこになるんだよ」と言った。
もちろんヒデヨはソウルに行きたかったが、体調が悪い。
キム氏はさらに「非難民が南へ逃げているが共産軍に殺されている。君は親類。体調が回復するまでここにいなさい」と言った。

立てるようになったらすぐ、ヒデヨは農家の手伝いをした。
わらつむぎ、小屋修理。たまに町へキム氏と行き、むしろを売る。
夕食後にバケツ二つの水を台所に置いておく。
ヒデヨはヒーウォンの算数を手伝い、政治の話し合いをした。政治の単語を覚えた。
春が来て、ヒデヨはリンゴの木の保護わらを外すのを手伝った。

花から花へハチが飛んでいるのを見て、故郷青森のたくさんのリンゴ畑を思い出した。
そして両親を思い出した。両親も青森出身だ。
両親と姉妹への思いが募った。

ある夜、夕食時にキム家族に出発しなければならないとヒデヨは言った。
「いてくれ、私達の子供になってくれ」とキム氏、「どうか残って」ヒーチョとヒーウォンも乞うた。
夫人も泣いた。「でも行かないといけません」ヒデヨは言う。

春の仕事が終わり、月が出てない夜なら見つからないで出発できるでしょう。
最後の夕食後、ヒデヨは荷物を詰めた。
家族の写真、通帳、毛皮、服をザックに入れる。
夫人は大きな米櫃を竹の箱に入れてくれた。

キム氏はいくらかの金をくれた。
ヒデヨは拒否しようとした。ほとんどの金を政府に払わないといけない貧しい農民だから。
しかし、キム氏は金をもってゆけと朝鮮の金を渡した。
ヒデヨは感謝の言葉をたくさん伝えようとしたが、涙で胸が締め付けられ声にできなかった。
夫人も泣いた。キム氏と握手する。
キム氏は頷く「なにも言わなくてもいい。わかってる」と言うかのように。

リュックサック姿は日本人とわかるので、紐と黄麻袋で包んで朝鮮スタイルに夫人がしてくれた。
ヒーチョは遠く川まで一緒に来てくれた。
イムジン川は朝鮮で4番目の大きい川。38度線と平行に流れている。
アメリカ兵が支配している南朝鮮、ヒデヨはこの境界を越えるとより安全だと知っていた。
川はキム家から4マイル(約6.4km)。

日が暮れてからキム家を出た。
深い森に入る前に、再度タオルで3回手を振る。
川は共産軍にくまなく監視されていた
監視塔からのサーチライトが川面を照らしていた。
黄麻袋をほどき、服も足袋も脱いだ。
それらを全部ザックに入れ、もし、荷物が頭上から落ちても荷物が流れないように、頭の上に置きロープで縛った。
暗い川面を見た。もしスポットが当てられたら、殺されて川が深紅に染まるだろう。
ヒーチョと握手「気をつけて」「ありがとう。親切を忘れない」ヒーチョ「いまだ!」
サーチライトが通り過ぎた後、ヒデヨは川に入って行った。
                           つづく

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