竹林はるか遠く(5)


外地からの引揚者につきものの困窮が始まりました。
更に母の死。

盆地の京都のしばれる冬の夜。
残された幼いヨーコとコウの十代の二人の姉妹がどのようにして生きてきたのか。

感動と言いましょうか。目頭が熱くなるのは私だけではないでしょう。

          ◆       ◆       ◆

 ●ヨーコ(当時11才-12才)・・・著者本人
 ●ヒデヨ(当時13才~16才と思われる)・・・著者の兄
 ●コウ (当時16才-17才)・・・著者の姉

竹林はるか遠く(2)
竹林はるか遠く(3)
竹林はるか遠く(4)


以下、この続編 『竹林はるか遠く(5)』 です。

          ◆       ◆       ◆

私は母の最後の言葉がどうも気になった。
コウに包みの結び目を解いてもらい、荷物を出し底を見る。
保険証、誕生書、成績表、父の名札。
コウ「母さんはこれらで保険を集めようと思ってたんだよ」
二人とも、保険は今となっては無意味だと知っていた。
コウは毛布に戻り「荷物もどしなよ」

私は、布の角を見て、反対の角も見た。
反対の角に布の層の間に堅いものが動くのにきづいた。
コウを起こした。堅いのはジッパーだった。
コウはジッパーを開けた。2つの袋を見つけた。
千円札と100円札とヒデヨとコウと私の通帳だった。
通帳のお金は我々が逃げる2週間前の7月15日におろされていた。

私は、母がトイレに行くたびに包みをもっていく理由がやっとわかった。
お金が大事だったんだ。
コウはお金を数えたら36000円ちょっとあった。
コウ「母さんはいくらかのお金は朝鮮からもってきたと言ってた。これだったんだ」
お金を戻した。緊急の時だけ使うことにした。
コウ「火事の時はこの包みを持ち出すように」「さあ、外に出て、洗いましょう」

いくつかの使われていない家具を発見し、洗って干す。
工場はやっていた。
マスダさんと、その夫に挨拶。
マスダさんの住んでいるところを教えてもらう。
近所の商店を教えてもらい、行く。
コウは米と、味噌と豆腐を買う。
私はヨダレがでた。
針、糸、かみそりの刃、洗濯石鹸も買った。

倉庫の外で火を焚き、ご飯とみそ汁を作った。
5か月ぶりのまともな朝食だった。
コウは朝鮮兵の軍服を切って生地にした。
もし、戦闘機が爆弾を投下し朝鮮人兵士が死んでなかったら、もし少しでも違ったら朝鮮人兵士と生死が違っていたと思うと震えた。
川で石鹸を使い生地を洗う。

工場で労働者はラジオを聞いて働いていた。
柱時計があった。
労働者は8時から4時まで働いた。
マスダさんが4時半に工場を閉める。
路面電車の最終便が12:30。
12月になり霜が更に出る。
コウはまだオーバーコートを縫い終わってなかった。

私は毛布を羽織り学校に行った。
ある女学生に「ぬいぐるみ人形!恥ずかしくないの?」と言われ「何が恥ずかしいの?」と言い返す。
私は英語の教科書を読む。
他の女学生が「ゴミ拾いとぬいぐるみ人形は良い名前だね」と言う。

ヨシダ先生が現れるといつ女学生が静かになる。
私はプライドがあるから女学生の私に対する扱いは先生に言えなかった。
私は叫びたかった。
彼女らの愚かさを、生死について学ぶ事を。
私は自分を抑えるのが大変だった。
成績で見返すのが唯一の武器だった。

そして教室は辛かったので、焼却炉が楽しみだった。
ナイド氏は私にいろいろなものを取っておいてくれた。
のり、鉛筆、クレヨン、インク、毛筆。
彼は海軍に採用されなかった。
彼は初等教育しか受けていなかった。
でも、この仕事を得た。
ナイド氏「なぜなら死傷したりして、学校は通常に話せる人を見つけられなかった」
私は、父ならナイドさんを直せると思った。
私、「父さんが帰ってきたら会う?いい人で面白いよ」
ナイド氏「帰ってくるでしょう。帰ってこなければならない」
私はナイドさんに感謝の仕方が分らなかったので、通知票を見せた。
通知表は全てAプラスだった。

カートにカンと空き瓶が全て入っているのを見た。
ナイド氏「売るんだ。女学生は物を無駄にする。
彼女らの父親は大部分が高名。甘やかされている」
「もし私がカンを拾ってきたら、私のも売ってくれる?」
ナイド氏「いつでもいいよ」
それから私は、下を向いて歩き、カンを見つけたらザックにいれるようになった。
物価は3倍になった。私とコウは生活が苦しい。母の金には手はつけてない。

コウはセイアン大学で家政学専攻で頑張っている。
裁縫が上手く、教授に気に入られ、デパートで作ったものを売った。
着物や、特に洋服。
デパートの売れ残りの布を入手し、コウが赤ちゃんや子供向けの服を作り、私がそれを売り歩く。学校から家まで。
「そのお金はあなたのものだ。靴を買いな」とコウ。
私は母の骨壷の下に売上金を置いた。
母に見守ってもらっている気がしたから。
コウは同級生に紙屑をとっておいてもらって、それでお手玉を作った。
私も作り方を教えてもらい、毎晩宿題の後、作った。

私は靴が欲しかったので、たくさん作って売った。
駅では燃料用に新聞を拾った。
家に戻ったらコウがすでにいた。
お手玉を全て売ったが、コウは帰りが遅いのを心配していた。

「靴よりヨーコの安全の方が重要」とコウ。夕食を食べる。
コウが食べるのを中断して新聞の一面を見た。
福岡港が閉じられ、避難民に舞鶴港が開かれるとの事。
コウ「ここから1時間だから次の週末に、父さんとヒデヨを捜しに行きましょう」
もうひとつの良いニュース。
吉田首相による、避難民へ新年の布団プレゼント。
まちきれない。マスダさんから紐を二本借りて、路面電車で市役所に行く。
市役所で避難民証明書を見せる。
職員「どこに3人目がいますか?」、コウ「母は来られませんでした」
承認され、私は一組、コウは二組の布団セットをかつぐ。
路面電車で待っている時にコウに聞くと、「母は生きてることになってる。父とヒデヨの分も必要」と。
朝鮮のころの布団のように快適じゃないが、暖房がなかったからありがたい。

コウと私は、夜なべして人形とお手玉を作る。
新聞紙に大きくヒデヨの名前と住所を書く。
コウは小麦と水でノリを作る。
小川が凍っていたので、氷を鍋に入れ加熱。鍋を洗い、湯を飲む。
トイレも外で寒い。コウが先に行けば少し暖かくなっている。

舞鶴に行く。ヒデヨの名前は非難民上陸名簿には無かった。
あちこちにヒデヨへの紙を貼る。
作ったお手玉や人形を売る。
いくらかの子連れ主婦は喜んで買ってくれた。
私達の身なりで断る家もあった。
がんばってなんとか全て売る。
焼き芋を買って岸壁で食べる。


家へ戻る。コウは大晦日も大学へ行き何かやっている。
寝坊したらしく飛び起き、荷物を用意し、私に指示。
「火焚いといて、カギ閉めて」とコウ。
コウは横暴になってきたと思った。
コウは全ての金を仕切っていたので、私は何も食料雑貨を買えなかった。
学校からまっすぐ帰らないで、もっと稼ぐために営業しよう。

いじめにコウの方法で対処していたら、余計に孤立した。
「どのくらいの間ボロの格好でくるの?」と聞かれた。
両親がいれば、父さんが帰ってきて抱きしめてくれれば。
ヒデヨと父が帰ってきて普通の暮らしができてたらと思うと涙を拭いて鼻をすする。
食事時の笑い声。
他の少女が羨ましかった。

ナイド氏が来て、5円くれた。カンが売れた。
なんで泣いてるのか聞かれた。
「ヒデヨと父が死んでない事を望む」と私。
「戻ってくるでしょう」とナイド氏。

今日は大晦日で多くの人が神社や街の中心に行く時期。
晦日で人が多い。
私は家を回るのでなく、通りで売ろうと小さい手押し車を押した。
私は北野神社に決めた。売るのによい場所を見つけた。
突然コウを見つけた。
コウは靴磨きをしていた。
私は、コウが靴磨きで私を食べさせてくれていたと気付いた。
そして、新年の食べ物の為に、こうやって靴磨きをしている。
磨き終わり、男から金をもらっていた、ポケットにお金を入れた。
コウ「靴磨き!靴磨き!」
私は家路に戻り、コウと私の正月の食べ物を買う。
ナイド氏の売ってくれたカンの5円で。
店に着いた時、雪が降っていた。

2杯の米、魚、海草の狭い細片、オレンジ、ごく小さい一袋の緑茶、急須。
晦日なのでコウにお茶を飲ませてやりたい。
てこずったがなんとか火をおこせた。
学校に行く前に汲んでおいた水は凍っていた。
火で凍った水をとかしている間、米をとぐ。
蛇口は凍り、小川も凍っている。
踵で氷を割って米をとぐ。

コウが帰ってきたとき、水は沸騰していた。
コウ「今日は寒くて風が強い」
私「おかえり。お湯の準備ができてるよ」
コウ「あなたにはできると思ってたわ」
私「もう一つコンロが必要だね」
魚買った件、カンで稼いだ件を話す。コウも稼いだ件を話す。

今年は、コウは17才、私は12才。コウはお湯を飲んで体を温めた。
もうひとつのコンロを作る。魚は頭と腸を取らない。
コウがみそ汁を作り、私は魚を焼く。
ささやかな大晦日の食事だったが、私達には御馳走だった。

ヒデヨと父さんは何を食べているだろうか、温かくしているだろうか、私達は満州と朝鮮の寒さを知っている。
母の骨壷の前のミカンを見て、コウはそんな高価なものを買うんじゃないと言った。
私「花を買ってあげられないし、ミカンなら時々私達も食べられる。」

コウ「お湯が沸いたから行こう」「新年おめでとう」
コウが餅をくれた。
私はコウに用意しておいたお茶を出した。
コウは泣きだし「靴のお金をつかうんじゃない」泣きながらお礼を行った。
正月休みの10日間でコウが私のオーバーコートを軍服から作ってくれた。
継ぎ接ぎだらけだが、私には素晴らしいものだった。
私はすぐにオーバーコートを着てみた。

大雪の日曜日、私達は舞鶴に行って、終日滞在した。
ヒデヨの名前の紙を貼り替えて、作ったものを売った。
雪が私の靴を打ちつけ、足指の感覚が無くなった。
学校に再び戻ったとき、授業料が月15円に値上げになった事を知った。
母さんが4月まで払ってくれていたが、あと45円払わなければならない。
雪の地面で、カンも落ちていない。

コウの小物を作るのを手伝い売るのを頑張れば月15円稼げるか。
コウに授業料値上げを言ったら、「絶対に必要だ、母さんのお金を使う時が来た」と言った。
100円出して、銀行で両替して、私にお金をくれた。
コウに大学の授業料が値上げしたらどうすか聞いてみた。
「4月に値上げする。学校終わったら、どこかで仕事する。4月までは学校生活を楽しむ」との事。

「いじめられない?」と聞いた。
コウ「最初はいじめられた。でも着物を色つきの糸で縫う事が出来ると知ったら、いじめはなくなった。驚いてた」
なんで色つきの糸なの?誰かが白い糸を隠した。
一所懸命営業しても1月はあまり売れなかった。歩くたび、靴が破れてる部分が口を開く。
でも、母さんのお金を使う事は最小限にしたい。

コウは靴磨きの収入と食費を理解していた。
私は神社でコウを見かけたことを言わなかった。
コウ「この冬食費で母さんのお金を使う必要があるかも」
私「手をつけたくない」ホテル裏のゴミ箱ビンあさりを提案。
コウ「あなたにもうそれはさせられない。無料で寝るところも料理する所もあるし」

私はどうやって春までやり繰りするんだろうと思った。
今はみなブーツを履いているので、靴磨きの客が少ない。

                        つづく

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