将来、企業の破綻を招く縁故人事

 
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       私の履歴書・391
 
今回の話しは、吉田本部長が自分の義弟を縁故採用した結果の一つのことです。
 
私が札幌営業所所長から本社営業本部企画課長として転勤してからも毎月の支店長会議に出席しました。私の後任の福知札幌営業所長も出席です。
 
私が札幌を去った1991年春、北海道エリアに外資系企業が大攻勢をかけてきたのです。当に田岡信夫氏の唱えるランチェスター戦略・北守南進論を実践してきたのです。
 
参考)ランチェスター戦略について
 
LL社は迎え撃つべく、従来の商店の機器リース料金の一部負担から無償貸与に切り替えました。しかも、前年の倍の台数を北海道市場に投入してきたのです。
 
新年度の始まった四月から五月六月にかけて我社の札幌営業所を含む函館・旭川・北見・釧路の各支所に昨年対比倍の台数の注文がきました。
 
そのような北海道市場の変化を知らない伊藤忠から出向の理事が問いました。
「福知所長、君が着任してから北海道の業績の伸張は著しい。特に月次決算での黒字の額は素晴らしいじゃないですか。どうしてこのような好業績を出せたのですか?」
 
その質問に対しての福知所長の回答が前代未聞のものでした。
「前任者(私のこと)が毎月購読していた北海道建設新聞や新築情報誌などは無用のもので、然も経費節減の為にも購読を止めました」
 
理事 「???? いやいや、そういう話ではない」
 
これら新聞などの購読を止めても月間数千円の経費節減にすぎない。
月間百万円単位の話とは無縁のもの。
 
自分の実力で業績を伸ばしたとの証明のつもりだったでしょうね。
以後、毎月、支店長会議の席上、前任者である私の北海道でやって来た事についての低レベルの攻撃が二年間続きました。
 
この会議に出席している私は、全支店長の月次報告が終ってから、コメントや評論をしますが、敢えて福知所長の私への攻撃にはコメント等はせず無視しました。
 
福知所長が着任して二年後、札幌営業所の業績は支店規模になったと言う事で札幌支店となり、福知所長は福知支店長に昇進しました。
 
この頃、未だバブルの余韻で会社は金の使途に苦慮。
豊平区にある従来の古い木造社屋を売って、白石区の新社屋に移転。
 
処が、彼の着任三年目、LL社の北海道エリアへの投資が半額以下になり、それまでの二年間、LL社頼りだった札幌支店の業績はつるべ落としの如く悪化しました。
 
吉田本部長に乞われました。
「水無瀬課長、札幌は懐かしいだろう。今度札幌に行ってくれないか」
「私が? 札幌で何かあったのですか?」
「君に北海道エリア会議に出席してもらい、北海道を指導して欲しい」
 
そこで札幌に飛び、道内の所長が一同に集まる北海道エリア会議に出席しました。
この会議に集まった連中は、全員以前の私の部下です。
 
会議が始まるや否や、福知支店長は「水無瀬課長、この会議は君に任せたよ」と言って退席しました。
 
私、苦笑しました。
肝心の主催者が消えるなんて前代未聞。
消えた理由が直ぐに分かりました。
 
私 「それでは皆さん、順次各支所報告をお願いします」
S 「報告と言われても、具体的に支所報告をしたことは一度もないですよ」
 
私 「では毎月の会議では、何を話し合っていたの?」
K 「話しなんかしていないですよ。数字だけですよ。今月の数字は幾らになるか」
 
私 「それだけ? それだけの会議を毎月二年間も?」
U 「そうです。当月の予算数字に対して最終売上見込み額が足りないと怒り狂う」
K 「だからエリア会議と言っても、毎回1時間そこそこで終ります」
S 「札幌支店内の週ミーテングでも今月なんぼかだけです」
 
呆れましたね。
 
私 「前回の支店長会議での発表では、戦略がどうのこうのと発表していましたよ」
S 「そんな話は一度もありません」
 
私 「僕が驚いたのは、この間の支店長会議で『北海道建設新聞』や『北海道建築情報誌』を定期購読し、新たな顧客開発を始めたと発表していましたよ。二年前の支店長会議では『建設新聞や情報誌は無意味で経費がもったいないから購読を中止させた』と発表したのに」
 
S 「あれは福知支店長が僕らに『売上数字を上げるためにはどうしたら良いか?』と聞いてきましたから『水無瀬所長の時は、情報誌などで新築情報を得て、それを該当する支所に流してくれました』と教えたら『早速それをやろう。これで今度の支店長会議で発表するネタが出来た』と喜んでいました」
 
私 「それじゃ、福知支店長の本社での毎月の支店長会議での発表は何なの?」
U 「支店長会議で出張する三日前から『会議で発表する何かいいネタはないか?』と各支所に電話をかけて聞いてきますから、多分それを発表しているのでは?」
 
私 「福知支店長は、皆さんの支所を訪問し、現地情報を得ているのでしょう?」
K 「とんでもないですよ。旭川に来たのは二度だけですよ」
 
私 「ひょっとして二年間で?」
K 「そうです」
A 「釧路には二年間で一度だけですよ」
 
信じられないことが二年間も行われていたのです。
成る程、福地支店長は人口急増で市場規模拡大一途だった千葉営業所長として六年間も在職しながら一度も黒字を出せなかった理由が分かりました。
 
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でも彼は東京六大学の△央大学卒ですから馬鹿ではないはず。
 
新卒で入社したのが大手女性化粧品の東京本社。
以後、都内の営業所長を歴任。
 
注)左は府中三億円犯人・キツネ目のモンタージュ写真。
彼もキツネ目で、雰囲気はよく似ている。
 
部下の女性と結婚したのはいいが、以後も数人の部下女性営業員と不倫。
思い余った妻が化粧品会社を辞めさせ、義兄の吉田本部長にお願いし、この㈱ウズマサで中途採用してもらった経由の持ち主。
 
当時、女性化粧品の市場は拡大一途。戦略などは必要なく、部下女性に甘い言葉をかけていればそれで売れた時代。故に、脳の発達した場所が違ったのでしょう。
 
処がそれから六年後、彼は私の上司となるのです。
 尚、私がこの北海道エリア会議に出席した時、世子と亜子は既に退職していました。寂しかったですね。

 
私の履歴書40代北海道編 目次
 
私の履歴書40代本社編目次