私の脳の中のメモリチップ

 
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        私の履歴書・389
 
毎年三月に開催される全国の支所代表者やグループ会社代表者、主要取引先役員や銀行株主が一同に会する全グループ大会を数日後に控えた或る日のこと、会長が亡くなられました。
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対外的には菩提寺の大講堂での葬儀で、社内的には会社の講堂での社葬です。
 
全グループ大会初日は午後からの社葬で始まりました。
会社の講堂での社葬の司会をしたのが何故か私。
 
この役目を任命されたとき、やはり故人のご尊顔を拝しておく必要がありましたから、通夜に顔の白布を外して敬意を表しました。
 
社葬は弔電の読み上げから始まり、滞りなくスケジュール通り無事終了。
 
二日目、朝から新年度政策発表会
 
全グループ役員や支所長に対しての各部署の新年度目標と政策発表会。
同じ講堂で、ほぼ同じ出席者で、同じ人数の350人程。
 
出席者に配布されるのが、部署ごとに作成されたレジメを総務が綴じた冊子。
A4で厚さは2cmのファイル二冊。
 
私も私の部署として作成したレジメは2頁のみ。
そして私もこの発表に30分の時間を割り当てられまして演壇に上りました。
 
そもそも、私は国会の答弁のような原稿を読み上げる形を極度に嫌う。
壇上で広げるのは、話しの順序を箇条書きにした紙1枚のみ。
 
例えば、話す順序がA→B→C→Dの場合、
ところがところが、
 
話をA→Bと展開するつもりでAの話しをしているのだが別の脳が閃く。
そこで方向転換をし、話はレジメを離れてA→X→Y→Zへの展開となる。
 
或いは、壇上から見下ろすと私の話を聞かずに朝から眠っている者がいる場合、
その彼の目を覚まそうとするから必然的に話しがあらぬ方向へ飛ぶ。
 
例えば居眠りしているのが東京支店長だったら、「東京支店の問題点は、○○○!」等と壇上から叫ぶから東京支店長は目を開けざるを得ない。
 
だから後日同僚からは言われましたね。
「水無瀬君は宇宙語を話すから、ちっとも分からん」
 
どうせ聴衆は朝から終日講堂の椅子に座りっ放しでまともに聞いてはいない。
聞いたとしても、昼食を挟んで終日聞きっ放しだから記憶に残らない。
 
それではどうしたら記憶に残る話をするか。
やはり話しには抑揚をつけなきゃ。
 
そこで時には絶叫する。
その時には腹に力がぐっと入る。
 
自然と前のめりになり、痩せた腹で演台を押す。
この演台は幅が一間物でズシリと重いもの。
 
百万円まではしなかったが、それに近い代物。
この演壇が私の絶叫の都度4~5cm前にずれる。
 
私の講演中、30cmは前にずれましたね。
でも、誰も前に動いているなんて気が付かない。
 
聴衆にとって、私の話す内容はさっぱり分からないが、気迫だけは分かると言う。
それで充分でしたね。
 
 
三日目は表彰式。
 
会場は講堂なのだが、立食パーテー形式。
この時は、主要取引先の東証一部上場企業5社の役員が出席。
 
各企業の表彰並びに金一封を、貢献した部門、もしくは支所、あるいは個人に授与。
それと社内社員表彰式。
 
この総合司会も何故か私。
この表彰式には多方面から祝電が来ます。
 
この式の冒頭での開会宣言と、次にこの祝電を読み上げるのも私の役目。
「それでは、弔電を披露させていただきます」 とやってしまった。
 
会場は大爆笑。
失敗!失敗!
 
30通程の祝電を読み上げた後の次は社長の挨拶。
今度こそ間違わないようにと思いながら社長を紹介。
 
太秦社長、弔辞をお願い致します」
またやっちゃった!
 
当初、私の頭の中のメモリチップに入っていた表彰式のスケジュールは、前々日の葬儀のスケジュールに書き替わっていましたね。