北海道最後の日の温泉入浴
私の履歴書・377
1991年1月初めに転勤を言い渡されてから単独で道内を駆け巡り、更に21日以降、後任の福地君と共に駆け巡った全道転勤挨拶の旅。
1月末、福知君は一旦千葉に帰りました。
千葉営業所での引き継ぎに関して、新たな問題が発覚したようでした。
いよいよ満四年間勤務した札幌勤務の最終日・2月5日。
この日も挨拶回りです。
営業員22歳の亜子と一緒。
参照)倶知安町のライブカメラ
札幌から冬季は三時間弱かかるアイスバーンの道。
亜子の運転で助手席に私。
倶知安商業組合訪問。
昼食後に倶知安駅前の会長宅訪問挨拶。
おいとましたのが午後二時。
最後の転勤挨拶訪問はこれで終わりました。
亜子「水無瀬所長、温泉、何箇所入りましたか?」
私「49箇所だよ。目標100箇所だったが、達成率50%にあと一箇所残して終りだね」
私「49箇所だよ。目標100箇所だったが、達成率50%にあと一箇所残して終りだね」
亜子「温泉には何回も入ったでしょう」
私「うん、四年間で温泉入浴回数は200回を超えているだろうね」
私「うん、四年間で温泉入浴回数は200回を超えているだろうね」
亜子「じゃぁ、私と一緒に50箇所目に入ろう」
と言って亜子は、町で聞いた郊外の温泉一軒宿に行きました。
処が、入口は除雪されていなく、然も閉鎖の文字。
但し、冬季は除雪されず、倶知安側から行けないのが例年のこと。
亜子と一緒に入浴するのが目的でしたら、帰路の中山峠を越えた定山渓温泉・定山渓ホテルの混浴大浴場に行くのがベスト。
でも、目的は、私の未体験の温泉に入浴し、50箇所目を達成すること。
然し、雪道を遠回りしてニセコ温泉まで行ってから会社に帰ると午後7時は回る。
私 「残念だけど、会社に帰ろう」
亜子は車をUターンし、峠を下りて行きました。
と、峠を下ったあたりの左手に真新しいレンガ色の建物が見えました。
道沿いの案内板には、花園温泉と書いてあります。
注)当時の名前は?→ ニセコワイス高原温泉山荘緑館→現在名 ニセコワイス寶亭留(ホテル)
亜子は私を車に残し、小走りでホテルに入ってから出てきました。
亜子 「天然温泉だよ!露天岩風呂の男女の仕切りは、木戸ですって!所長!一緒に入ろう!」
亜子 「天然温泉だよ!露天岩風呂の男女の仕切りは、木戸ですって!所長!一緒に入ろう!」
注)現在は改装し、男子用が露天岩風呂。女子用は檜浴槽露天風呂。
この四年間、毎月のように研修と称して社員を土曜日に集め温泉一泊。
若い連中は、午前零時になると混浴。
若い連中は、午前零時になると混浴。
私は、一度もそれに加わったことはありませんでした。
そうか、最後に色白・Gカップの亜子と一緒に露天風呂に入るか。
大浴場は、男女別高い天井で体育館のようなもの。
仕切りの向こうから亜子の声が響く。
「所長~!露天に行くよ~!」
私「あいよ~!」
私「あいよ~!」
露天風呂は雪で覆われている。
岩の上や木戸の上に50cmは積もっている。
亜子の声が、ここでも響く。
「所長~!雪で木戸が開けられないよ~!」
私の北海道勤務四年間での温泉50箇所目と最後の温泉入浴は、こうして終わりました。
然し、亜子とは不思議な出会いをしたものです。
亜子との出会いが、私の北海道を変えました。
入社させるのに、彼女の履歴書を書き換えさせましたね。
彼女の仕事に対する熱意は半端じゃなかったですね。
午前1時を過ぎてから、インスタントコーヒーを何度飲まされたことか。
参考)私の履歴書・297
札幌クラブハイツでチークダンスを何度踊ったことか。
十勝川温泉では、混浴に一緒に入ろうって私の袖を引いた亜子。
22歳になっても、私の前ではいつも19歳。
最後に、混浴露天風呂でゆっくりと肩を揉んでやりたかったですね。
「四年間、有難う!」と言って。