心温まる別海・中標津・標津のご婦人たち

 
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      私の履歴書・376
 
1987年1月から1991年1月までの四年間、何度道東を釧路や北見の社員の車やレンタカーで走り回ったことか。
 
でも、エゾシカに出会ったのはたった一度だけ。
それも遠方から。
 
参考)ゆうこさんのエゾシカのブログ記事  ←ここをクリック
 
当時から、言われていましたね。
エゾシカは、木陰から急に飛び出すから避け様がない。
 
エゾシカを車ではねあげたら、車の屋根に落ちて来る。
車の屋根はペッシャンコ。
 
何しろ100kg前後ある。
車の行き先は廃車センター。
 
私が北海道を去ってから、急激にエゾシカが増えたようですね。
過保護の結果、事故多発。それに農作物が荒らされているようです。
 
 
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           注)画像は、開陽台から見下ろした中標津の雪の田園
 
さて、引き続き転勤挨拶訪問のこと。
 
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厚床(あっとこ) → 別海(べっかい) → 中標津(なかしべつ) → 標津(しべつ)の移動の時も、各商店には例の通り片端から転勤挨拶訪問をしました。
 
一軒当りの滞在時間は、通常30秒から1分。
 
このペースで訪問しないと回りきれませんから。
 
 
私のファンと公言している別海・中標津・標津のご婦人の皆さんですから、出来る限り沢山の商店を訪問しなければなりません。長居したら全員を回りきれない。
 
皆さんと最初に出会ったのは、5月の川湯温泉一泊で開催された組合総会懇親会。
ですから四年間の総会懇親会で四度会ってお酌をさせてもらったのです。
 
それに、3~4ヶ月に一度の割合でレンタカーを駆使し、皆さんの商店を訪問。
私の訪問の形態は、普通の人とはちょっと違うかもしれませんね。
 
「毎度! 水無瀬です。機器の調子は如何ですか?」
「調子よく動いていますよ」
「あぁ、そうですか。何かあったら、直ぐに電話を下さいよ」
 
あるいは、 
「ちょっと調子がおかしい」とか「買い替えしたいがどうだろうか」等と言われた場合は、「それじゃ、直ぐに社員をよこします」
 
直ぐに店を出て、途中の公衆電話から釧路出張所に電話をし、社員をその店に差し向けます。
 
これだけです。
だから通常滞在時間は、せいぜい30秒で済む訳です。
 
でも、転勤挨拶のこの日は、一軒当り1分から2分かかりました。
皆さん、別れを惜しんでくれました。
 
「水無瀬さん、ちょっと待って!」
私が、直ぐに消えるのは分かっていますから、私を呼び止めておいてごそごそ。
 
「これ僅かですけど、餞別です」
ほとんどの店から餞別を頂きましたね。
 
中でも、中標津の街中から一本外の広い道路沿いの商店には30分程滞在。
最初、川湯サンプラザで出会った時の彼女は50歳前後でしょうか。
 
色白でちょっとふっくらとした、いかにも心優しい女性っていう感じでしたね。
老いた母親(義母?)と同居でした。
 
以後、札幌から関西に帰ってきてからの十年間、中標津から宅配便が来ました。
毎年5月の総会の頃、自宅に届くのです。
 
彼女から贈られてくるものは、例えば『イカの燻製』とか『干しこまい(氷下魚)』とか。
この事は、私の以前の記事で書いていますね。
 
 
 
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       注)上記画像は、流氷が迫るオホーツク海
         網走オホーツク流氷館から見下ろした網走の街と知床連山。     
 
中標津→標津→網走へ。
昼食の時間は取れなかったですね。
 
網走商業組合事務所佐藤事務長と、網走市内でコンビニをしている理事長に挨拶。
 
陽が落ちてから北見に入り、夜の接待。
翌朝、組合婦人部長宅→LL社北見営業所→北見商業組合事務所を挨拶訪問。
 
午後の特急電車に乗って札幌に帰りました。
 
 
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これらの訪問で、後任の福知所長は益々無言となり苦虫を潰した顔となりました。
 
企業間で年間数百億単位の取引をしているS電機やLL社からの餞別は皆無。
処が、各地の商業組合と、商店からの餞別軒数の多さには呆れていましたね。
 
訪問した各地の商業組合からの餞別の額は7万円。
貰った餞別の総額は27万円ですから、残る20万円は個人商店から頂いたもの。
 
この大半は、根室管内の別海・中標津・標津の個人商店から頂いたもの。
 
一軒当り@3千円か@5千円ですから、このエリアだけで50軒前後の商店から頂いた訳です。三町合算しての人口は5万人にも満たないのに。
 
次から次へと訪問する都度貰うものですから、後部座席に置いてあるバッグから餞別袋があふれ出ましたね。
 
 
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今でも道東と言えば、直ぐに別海・中標津・標津のご婦人の皆さんを思い出し、心温まります。
 
この日以降、道東に入りましたのは、1997~2000年に四度。
仕事で、釧路日赤病院に二度、帯広第一病院に二度ですね。
 
根室中標津行くには時間がとれず。
これが心残りです。
 
 
注)上記画像は、中標津役場観光振興係、並びに網走市経済部観光課観光振興係りの許可をいただき、各サイトに掲載されているものを使用しました。