歩いて渡らなかった釧路・幣舞橋(ぬさまいはし)

 
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    私の履歴書・375
 
歩いて渡らなかった釧路・幣舞橋(ぬさまいはし)

帯広駅近くでレンタカーを借り、後任の福知君を乗せて帯広商業組合事務所へ。
 
そしてその二階に開設したばかりの我社出張所へ。
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そもそも、私の着任時、この帯広エリアは函館エリアと同様ブルー社の牙城。
他方、我等の販売する機器の需要は、あと三年もしたら落ち込むのは明らか。
 
それにも係わらず、私は帯広出張所を新設しました。
新設理由は、組合の佐藤事務長の計らいで組合事務所の二階を我社事務所として使える事。更に、我社の機器販売で組合の全面的なバックアップを貰える事でした。
 
注)佐藤事務長とのことは私の履歴書・264 嫌われた関西弁対策に以前書いていますね。
 
 
LL社帯広営業所にも転勤挨拶をし、次は国道38号線で釧路へ。
アクセルはメイチ。
 
釧路の入り口にある我社釧路出張所→(釧路大橋)→(幣舞橋・ぬさまいはし)→釧路商業組合→LL社釧路営業所へ。
 
 
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この幣舞橋(ぬさまいはし)の欄干に裸婦像があるのを知ったのは札幌に着任して間もない1987年の初夏。
 
駅から乗車したタクシーの運転手が橋の手前で信号待ちの時説明してくれました。
その後、この橋を四年間で少なくとも西側から十五回は渡ったのですが、せいぜい橋の上でレンタカーのスピードを落とす程度でしたね。
 
橋の上で停車し、下車して観るには躊躇しました。
何しろ、裸婦像ですから。それも四体も!
 
今度こそ、帰りに橋の傍に車を停めて歩いて渡ろうと思うも、帰路ではすっかりそのことを忘れてしまいます。サラリーマンの宿命ですね。
 
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幣舞橋
欄干に立つ「四季の像」は、日本を代表する彫刻家4人の手による。
春の像 舟越保武 夏の像 佐藤忠良
秋の像 柳原義達 冬の像 本郷新
 
歌や文学にも登場する幣舞橋 ←ここをクリック
 
「釧路の夜」(美川憲一)では、歌詞三番にヌサマイ橋が登場する。
 

(三)霧は降る降る 今日も又 一人歩きの ヌサマイ橋よ
船の汽笛も 泣いている 女心も 知らないで 貴方がにくい 貴方がにくい

ついでに、↓ この歌も。
画面中央の 「You Tubuで見る」 をクリック。
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いつも根室に向かって走り出してから気が付くのです。
釧路から根室2時間はかかりますから、焦り気味なのです。
 
久寿里橋・旭橋を渡る事無く釧路川を左手に北上。
根釧国道44号線に出る。
 
この44号線沿いにある網田商店に挨拶するのがいつものこと。
釧路商業組合の当時の理事長でしたから。
 
それから一路根室へ。
厚床(あっとこ)からが根室管内
 
ここから根室市内まで、道沿いの商店に転勤の挨拶。
いつもの通り、片っ端から訪問。
 
根室商業組合事務所に入ったのは日が落ちてから。
夜は、組合の松谷事務長と事務員さんを『まるしめ』で接待。
 
何しろ、私の北海道在任四年間で一番お世話になった人です。
彼の後ろ盾が無かったら、釧路・網走・帯広での展開は出来なかったでしょう。
 
翌朝、花咲港へ。
正木理事長(当時)宅訪問挨拶。
 
以後、別海町に向かいました。
 
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余談ですが、根室出身の作曲家と作詞家が創った歌が「ここに幸あり
 

 
【飯田三郎(いいだ・さぶろう 19232003)】
根室生まれの作曲家。
 
【高橋掬太郎(たかはし・きくたろう 19011970)】
根室国後島生まれの作詞家。
他に「酒は涙か溜息か」(昭和6年)がある。
 
 
注)夕陽の幣舞橋(ぬさまいはし)の画像は、釧路市産業振興部観光振興室からメール添付で送って頂いたものです。