お互い夫婦四人の顔合わせ

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     私の履歴書・367
 
伊織さんの主人から、「夫婦4人で会いたい。
場所は札幌でどうか」とのことでした。
 
伊織さんの心情を考えると、旭川の方が良い。
ホテルの小さな会議室も考えました。
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然し、冷静な話しをするのでしたら周囲に人がいた方がいい。
ホテル・ロビーラウンジを希望しました。
 
間も無く塚本君から日時と場所の連絡が有りました。
旭川の私の宿泊した事がないホテルで、午後一時指定だったと思います。
 
1989年三月末、その当日、朝から妻の顔は引きつっています。
妻は、ちょっと緊張しただけでそうなる癖を持っているのです。
 
「君が緊張すると、相手は重大事と思う。だから、常に笑顔でいて欲しい」
 
妻は何度か鏡に向かいました。
そして札幌駅から旭川行き特急に乗車。
 
特急車内でも、妻は幾度も手鏡を見ました。
旭川駅からはゆっくり歩いて笑顔の訓練をしながらホテルに向かいました。
 
ホテルの正面ガラス扉から入ると、左手にロビー・ラウンジ。
その中に、それらしき夫婦がこちらに背を向けた位置で座っていました。

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         (画像は同ホテル15Fのスカイラウンジ。1Fロビーラウンジも同仕様)

「顔はどうかしら?」
「だいぶ良くなったよ」
 
妻は、フロント奥にあるWCに行き、鏡で自分の顔を再確認して来ました。

「いいかい? 行くよ」
「ええ、大丈夫ですわ」
 
ラウンジは、天井の高さまで外壁としてのガラスが張られている。
ガラスの向こうの道路には、前夜降った真っ白な雪があったと思います。
 
春うららのように暖かないいお天気でした。
その雪に反射した光が、ラウンジ全体に飛び込んで来ます。
 
100の座席はほぼいっぱいでした。
彼等が座っていたのは普通の四人掛け応接セットスタイルの席。
 
外の雪景色を見ていました。
この場所確保のため、少なくても1時間以上前から座っていたでしょう。
 
私達は、挨拶をして外壁のガラスを背に座りました。
彼等夫婦の座席に対応して、それぞれが向き合うように。
 
私は長椅子の左手に。妻は右手に。
1ヶ月振りかで会う伊織さんは眩しい。
 
お互い、自己紹介の後、ありきたりのお天気の話から始まりました。
 
次に何を話そうか?
何を話すかなど何も考えて来なかったのです。
 
この面談を要望した彼の目的があるはずです。
恐らく、ここで何を話すかは色々と考えてきたはずです。
 
彼がそれを話すのを待ちました。
でも、その気配はない。
 
私と伊織さんの表情を見て、気が変わったのか?
私と妻を見て、考えを変えたのか?
 
それにしても、
 
伊織さんは既に会社を辞めている。
軟禁された伊織さんは泣き続けてきたという。
泣き続けた理由を主人は知っているはず。
 
その理由とは、私に関してのものか?
それとも、主人に関したものか?
あるいは彼女自身に関してのことか?
 
悶々とする主人に、縁者が『四人で会うこと』を勧めたのだろう。
 
伊織さんが、私の妻と会うこと。
伊織さんの主人が、私と会うこと。
 
お互いの夫婦がお互いの夫婦を確認しあうこと。
それをこの面談に託したのだろうか。
 
意外にも、彼の発した言葉は、仕事のことでした。
そこで、石油価格の問題や今後の景気動向などを話し合いました。
 
時々、妻を見ますと、訓練した通りの笑顔。
伊織さんは、いつもの柔和な控え目の微笑。
 
とりとめもない話が続き、時は、どんどん過ぎて行きました。
いつ彼が本題の話を切り出すのかを待ちながら。
2時間ほどでしょうか。
 
そろそろ、話も尽きようとする頃、私は座り直しました。
そして、彼の眼に向かって言いました。
 
「ご主人、あなたは素晴らしい奥様と一緒になられましたね」
それから伊織さんを見、そして妻を見ました。
 
続けて言おうとした時、妻は私の眼を見てから、彼に言いました。
「奥様の素晴らしさは、いつも夫から聞いています。一生大切にして下さい」
 
そして妻は改めて伊織さんの方を見て言いました。
「伊織さん、ご主人と仲良くね」
伊織さんは、瞳に一杯涙を浮かべながらも微かにうなずいたように見えました。
 
私は、彼に手を差し出しました。
彼は躊躇(ちゅうちょ)したものの、私と握手しました。
 
 
これ以降、伊織さんと会うことはなかったですね。
 
                      留萌慕情(12) 
 
                          注)次回記事(13)が、この件での最終回となります。