戸惑った北海道での会員制結婚式

 
 
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    私の履歴書348
 
私が札幌にいた四年間で三人の社員が結婚式をあげました。
 
最初が、着任した1987年春に採用した関根社員(仮称24歳)で、その翌年、結婚するから媒酌人にと依頼されました。
 
話を聞きますと、結婚する二人は共に道東標茶(しべちゃ)出身の同級生。 
媒酌人は結婚式の雛壇に座っているだけで結構というもの。
 
「私は何れ北海道を去る人間だから、私ではなく、地元の有力者に依頼した方がよいから両親と再度相談して下さい」と一旦断ったのです。
 
それでも依頼してきましたから、本社吉田本部長に媒酌人を依頼。
吉田本部長の奥方は、北海道に来た事がないと聞いていましたから。
 
「最初の仲人は君がした方がよい。次の機会があれば私がするが」
そういうことで、我等夫婦で媒酌人をすることにしました。
 
媒酌人って始めてでした。
それに北海道の結婚式は「会費制」という初めて聞く言葉です。
 
会費とご祝儀との違いは、言葉では分かるが実態面での違いは?
会費制での「祝賀会」と、ご祝儀制での「披露宴」の違いは?
会費制での媒酌人って、本州のご祝儀制での媒酌人とどう違うの?
 
新郎となる関根君に聞いてもあやふやな回答です。
会員制で結婚式をあげた部下三名に聞くも、夫々形態が異なる。
 
特に媒酌人の経費(貸衣装と着付け代)を誰が負担するかに関して三者三様。
当然、両家が全額負担するものと思っていましたら、必ずしもそうではない。
 
①両家が全額負担したケース 
②媒酌人が全額負担のケース  
③媒酌人が一部負担のケース
 
そこで、顧客を訪問した際、何人かに聞いたものの統一した回答はない。
とすると、結婚式を取り仕切るという発起人に聞くしか途はない。
 
発起人は7名ほど。我社の社員もその内の一人。処がこの発起人、いかに多人数を集めるかが任務で式の内容は分からないという。
 
発起人代表に確認をしようとするのだが、一向に回答が無い。
発起人代表が標茶(しべちゃ)の人でなかなか連絡がとれないという。
 
これでは埒(らち)が開かない故、直接式場のホテルに夫婦で出かけ、色々と話を聞いてから衣装合わせなどを済ましました。
 
 
さて、8月7日(日)結婚式当日、三々九度が終わり、次が披露宴ではなく祝賀会。
周囲に言われるまま、受付に夫婦二人の会費と別途ご祝儀袋を渡しました。
 
この祝賀会に出席した人は総員370人程(?)だという。
媒酌人席の雛壇から見下ろすと、左手遙か彼方は宵闇の如く霞む。
これ程の人がどこから集まってきたのか不思議でしたね。
 
但し、来場者の三分の一は我社の仕事関係先。
媒酌人だからと言って雛壇でふんぞり返っているわけにはいかない。
 
ビール瓶片手に各担当社員の案内で順次テーブルを注ぎまわる。
我社の顧客のコーナーは一巡。今度は単独でふた回り目を始める。
 
「媒酌人はデンと座っていて下さい」と社員に二度連れ戻されましたね。
座っていたら「今日はご苦労様です」と次から次へと人が酒を注ぎに来ます。
 
何故か記憶はそこでストップ。
熱燗をコップ酒でたんと飲みましたからでしょうか。
 
尚、この時の結婚式の写真は一枚も無かったのです。
社内でスナップ写真の申し込みがあっても、私には声をかけなかったのです。
 
媒酌人の分は当然新郎が用意するものだろうと思っていたとのこと。
私も当然新郎が後日持ってくるものと思っていました。
 
そうこうしているうちに、例の函館戦争やその他の仕事でバタバタ。
写真のことなど頭からすっ飛んでしまいました。
 
今、振り返ってみますと、北海道でも本州でも、地域や宗教が違えば挙式の形態も違うのは当然のこと。やはり事前に関係者が一同に集まり、詳細を話し合う必要がありましたね。
 
尚、改めて述べますと、一般的に言う「結婚式」とは、総論の場合「挙式」と「披露宴」の両方を含みますが、各論では「結婚式」とは「挙式」のことで、「披露宴」とは別ですね。
 
当時の札幌での「会費制結婚式」について述べますと、
 
「結婚式」とは「挙式」のことで、両家主催で両家の経費で行うもの。
「祝賀会」とは、主催者が発起人で来場者から会費を徴収し、宴会を仕切る。
 
だから、媒酌人に関することを発起人代表に聞いたのは間違い。
それと、会費の他にご祝儀袋を祝賀会の受付に渡したのも筋違いでしたね。
 
 以下は妻の記憶。
 
それから一年弱後、私が彼に結婚式の写真は何も無いと言いましたら、夫婦で我家に来たと言う。
 
出来ちゃった婚の赤ん坊を抱えて。
挙式の時の集合写真を持参で。
 
当時、挙式の写真を配るしきたりは北海道に無かったようです。
 
        以上が一人目の状況でした。