稚内市場攻略の限界

 
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    私の履歴書・338
 
苦戦していた稚内市場で容易に当初予算の台数を消化したLL社稚内牧田所長。
 
追加の年度末予算での30台の消化も簡単にいけると思っていたようです。
 
でも条件は一段と厳しくなりました。
 
商店の現在使用している機器を高額で買い取らなければ、新しいLL社のロゴ機は納入出来ないのです。注1)
 
買い取るのはLL社ではありません。
我社なのです。
 
今まで店で使用していた古い機器を買い取ったとしても、その機器を転売しなければ本来の利益が出ないのです。注2)
 
LL社稚内で転売先を探すことが条件でしたから、当初はLL社の方で転売候補先を探してきました。
 
でも、間も無くそれも行き詰まりました。
当時人口五万人の稚内市ですから、そんなに転売先があるはずはありません。
 
稚内から引き揚げた機器は、我社の方で旭川市内の商店に売らなければならない。と言っても、簡単に右から左へとは売れない。
 
 
然し、我社が商店から古い機器を買い取らなければ、LL社の新しいロゴ機は納品出来ない。
 
斎木君が、LL社稚内の各営業員と同行して、問題の対象商店を順次訪問。
各商店の持つ機器の鑑定作業をしました。
 
斎木君の鑑定価格に納得する商店もあれば、納得しない商店もある。
納得しない商店と、どう折り合いをつけるか。
 
こちらとしては時間がかかっても、ある程度商店側が折れてくれるのを待つ。
その方が、被害が少ない。
 
逆に、牧田所長にとっては、一日でも早く年度末予算分30台を消化したい。二日に一度は牧田所長から旭川の斎木君に電話があったようです。
 
 
斎木君は、悲鳴をあげて私に電話。
私は苦笑。
 
「転売先が見つからない。牧田所長!何とかして」と逆にお願いして時間を稼ぐようにと指示。
 
数日後、斎木君からの電話。牧田所長からの電話で「もしも、駄目ならブラウン社に全面的に切り替える」というようなニュアンスの内容もあったとか。
 
「努力はしています。でも出来ないものは出来ませんからブラウン社で勧めて下さい」と回答するように指示。
 
ブラウン社が例え商店の機器の買取りが出来たとしても、せいぜい1台か2台。
 
案の定、牧田所長から私に電話が来ました。
「相談がある。稚内に来てくれないか」
大顧客の要望を無視するわけにはいかない。
 
 
その頃戦場は、稚内市内から稚内国道(R40)沿線に移っていました。
と言っても、主要な町は豊富町(当時人口6千人強)のみ。注3)
 
LL社稚内営業所の内部情報は、LL社の営業員から入っていました。
斎木社員がLL社の営業員と同行して商店と交渉したりしていましたから。
 
更に、牧田所長には内緒で私と斎木君は稚内に出張。
LL社若手独身営業員三名とアフターファイブに居酒屋で隠密会議。
 
そこでの情報収集と打ち合わせ後、はしご酒となりました。
そして最後はマンションの一室のようなところのスナックでした。
 
私を除いて皆20歳代ですから元気がいい。
踊って歌っての大騒ぎをして皆疲れ果てて帰ろうと言い出したのが午前四時。
平日ですから、出勤まで少しでも眠っておこうということでしたね。
 
我等二人はホテルで朝寝。
後日談では、彼等の内の一人が出社して来ない。
 
同僚が起こしに駆けつけた時でも爆睡中。
目覚まし時計を二つセットしても効果無しだったとか。
 
遅れて出社したら牧田所長にしっぽりと説教されたとか。
尚、我等と会合したことは秘密にしていたとのこと。
 
さてさて、私は重い腰をあげて札幌から朝一番のJR特急で旭川へ。
駅で斎木君の車に乗り、稚内への冬のドライブ。
 
注1) 法定償却期間5年を経過した機器を持つ対象店が減り、残るは5年未満の機器を持つ商店や新しい機器の導入に関心が無い商店が大半でした。
 
注2) 内陸地と違って、海風の当たる地での機器は一年で錆(さび)が回る。
そのままでの転売は無理ですから、全面塗装する必要がある。
 
コストはかかるし、それに転売する労力も要る。
それに果たして幾らで売れるか。
 
注3)豊富町の南に隣接している幌延町は、当時、留萌(るもい)管内。
 
他方、利尻・礼文島の対象店には、その前年、ブラウン社のロゴ機が設置されていました。
島でメンテナンスが発生した場合、フェリー往復の時間ロスと経費がかかりますから追加の分は遠慮し、ブラウン社を勧めました。
 
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参考1)左の写真は、
 
ランチェスター地域別市場攻略法<西日本編>
       田岡信夫著、㈱ビジネス社
 
残りの本は、他人にあげたか廃棄したかかも。