壊滅的稚内エリアの攻略の序

 
 
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  私の履歴書・333
 
旭川には度々出張しました。
 
旭川出張所長代行の斎木くんは素直でしたね。
指示した通りに全力で実践する。そして結果を出す。
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彼は大市場の札幌の営業員に劣る事無く数字を上げて行きました。
この男は叩けば伸びると思いました。
 
実は当初、彼には何の役職もない一般職で旭川の所長をさせていたのです。
職責上では私が所長兼務でしたから代行ですね。
業績が伸びていく都度彼を主任心得に登用し、次に心得を外しました。
 
業績が過去の数倍になりましたから事務所兼倉庫が手狭になり、それに建物が老化していましたので彼は事務所を変わりたいと申し出てきました。
 
彼の探した事務所は、交通量の少ない大きな通りに面している所。
場所も見ずに黙って彼の事務所移転の申請にOKを出しました。
 
事務所を引っ越して早々、その事務所を訪問しました。
広さは三倍。向きは西。一階が倉庫。二階が事務所。成る程使いやすい。
 
事務所へは外付けの鉄製の階段を上ります。
冬でしたね。雪を払ったその階段を上ると事務所のドア。
 
その事務所のドアを開けると直ぐに右側にトイレのドア。
これには何とも言いようが無かったですね。
 
入り口にトイレが有ると、家庭不和になるという先人の教え。
然し、もう移転してしまったから、どうのこうのとは言えませんでした。
 
 
旭川での会議の場は、層雲峡の何れかの温泉ホテルを多用しました。
 
私の持論は、事務所の全員に共通の物の考え方をしてもらいたく、例えパートの伊織事務員も含めて全員温泉ホテルに一泊で会議をしました。
  
当初は何事も無く時は推移しました。
 
 
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斎木君と一緒に名寄組合の事務所訪問の時は銀世界でした。
       注)旭川⇔名寄 国道40号線で77km
 
ここは、ブラウン社の牙城のエリア。
組合事務所近くの路上で、組合の事務長兼婦人部長に会いました。
 
その婦人部長は私より10歳弱年上。
ちょっと太めですが色白に理知的で柔和さを持つ素晴らしい女性でしたね。
 
もしも旭川や札幌に住んでいたら、何等かの事を成し遂げる。
名寄在住ではもったいないと思いました。
 
 
今、思いだせるその時の光景は、
 
青い空。
眩しいほどの陽の光。
その光を反射する真っ白な雪が輝き眩しい。
その汚れ無き雪道を歩く彼女が更に眩しい。
 
 
 
彼女は言いました。
「何故昨日来なかったの。マイナス30℃でダイヤモンドダストが見えたのよ」
 
残念! 
道東北見紋別ガリンコ号での流氷と同じく一日違い。
 
 
 
稚内へは、旭川→名寄→稚内が一般的な移動コースですが、当初の二年間、稚内へは私が単独で行きました。
 
札幌・丘珠空港稚内空港ですね。YS-11で。
 
稚内では夏でもストーブを焚いていましたから、やはり最北端の地ですね。
     注)旭川稚内 国道40号線で243km 名寄⇔稚内 166km
 
ここ稚内エリアの宗谷支庁管内もブラウン社の牙城。
このメーカー以外にあるのは我社の機器で然もたった1台のみ。
 
それも我社が販売したものではない。
ある会社が札幌のとある商店から機器を持ってきて据え付けたもの。
 
全くお手上げ状態でしたね。
それもそうです。稚内には我社の拠点が無い。
 
旭川から来るとなれば車で片道4時間以上かかったと思いますね。
雪道では6時間でしたか。
 
名寄から稚内間では、ポツンポツンと国道沿いに何箇所かの集落があるだけ。
原野の中を真っ直ぐ走る広い道路は、いざという時、戦車の移動用や飛行機の滑走路にするためとか。
 
まさに稚内市は、人口3万人の陸の孤島でした。
 
この最初の二年間は商店への訪問は皆無でした。
無論、1台たりとも販売はしませんでした。
 
下手に蜂の巣を突きますと、ブラウン社に対策を立てられます故。 
LL社の稚内営業所長と管理課長とは、稚内の夜の街に出かけたのが何度か。
 
ブラウン社の稚内営業員とは、LL社稚内事務所で何度か遭遇。
でも、何も出来なく、すごすごと札幌に帰った私を出来の悪い男と思ったはず。
 
私は、来るべき時に備え、稚内市内にあるA無線通信機器メーカー代理店のW船舶無線㈱の社長に出張の都度面談。
 
我社の機器のメンテナンス業務を請けてもらう交渉をしていました。
二年間もかけて。
 
稚内攻略のチャンスを窺がいながら。
ローカルのことですから、至ってのんびりゆっくりと。