男女社員の混浴の始まり

 
   私の履歴書・328
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男女社員の混浴の始まり
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1990年11月10日(土曜日)
 
帯広の東にある十勝川温泉ホテル「観月苑」(河東郡音更町 モール温泉)での出来事から始まったと思います。
 
9日、全道社員を集めて豊平区民センターで会議をし、夜にNo.6グリーンビル1F「居酒屋なかせ」で大宴会。
 
翌10日、全員二日酔い気味でJR十勝五号に乗車。
帯広に向かったのです。
 
観楓会(社員旅行)ですね。
この時、世子は主任になっていました。 
 
 
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夕方、社員男女二十数名の全員が入浴。
 
男女別々の大浴場が壁1枚で背中合わせ。 注1)浴場図面参照
大浴場からガラス戸を開けて露天風呂へ。
 
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 男女各大浴場と隣接している大きな露天風呂は一つのみです。
 
が、男女別にするため浴槽の真ん中を高さ3m程の板塀で仕切ったもの。 注2)浴場図面参照
 
かっては混浴だったの?と聞きましたら混浴の時は無いとの事。
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注3)当時の仕切りの塀には置石が無く、底をもぐって隣の女露天風呂に移動出来ました。
注4)当時、露天風呂には屋根がありませんでした。
注5)この時、直ぐにお湯かけが始まったので、せっかくの十勝川の光景の記憶は無し!
注6)この時は、男湯と女湯の位置が逆でした。
 
仕切りの板塀の向こうから女性達のはしゃぐ声がします。
うちの20歳代女子社員5名中の21歳の女子営業社員3名の声です。
 
喜悦の声を連発している原因は、彼女達が我等の入浴姿を観てのことです。実は、仕切りの板塀の節穴の何箇所かは、のぞき穴になっていたのです。
 
こちらものぞき返したから大騒ぎ。
向こうからは、高い板塀の上を越してお湯が飛んできます。
 
こちらも風呂桶にお湯を入れて「エイヤッ!」とばかりにお湯のみを投げます。運動会の玉入れの代わりにお湯を投げているようなもの。
 
塀の近くにいたら、頭からお湯をかぶるので私は後方に控えていました。
のぞき穴から観る女子社員の連中は、無論一糸まとわず、あられもない姿でお湯をこちらに投げているとか。
 
もちろん、覗き見をしているとその穴めがけてお湯がドバッと飛んできます。

「所長、未だ女子が知らない穴が一個あるから、ここならよく見えるから来て」
 
そっと塀の傍に行き、満を持してその穴から覗いた瞬間、目の前には大きな目玉。当時流行の一個500円のマグロの目玉やゲゲゲの親父のようなもの。
 
「わぁ~!」と言ってのけぞりました。
向こう側でも「キャ~!」と言う悲鳴。
 
向こう側とこちら側で同時に穴から覗こうとしたから、見えたのはお互い眼だけ。それも、あれは亜子の大きな眼。
 
その日の深夜のことだったと思います。
午前零時には男湯は閉まると言うので午前零時前にもう一度入浴しました。
 
午前零時10分頃でしょうか。残った7~8人で入浴中でのこと。
三助(さんすけ)が来まして風呂場の掃除を始めました。
 
「ここの男湯は掃除をするから女湯に入ってくれ」と言うのです。
男湯に入浴している全員は我社の社員。
 
「エェ~ッ?」と皆びっくり。
午前零時から女湯で混浴になるのだそうです。
 
その女湯には確かうちの女子社員も入浴中のはず。
「所長、女湯に行きましょう」と誘われたけれど、私と神戸爺だけは行かずに部屋に戻りました。
 
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彼等は入浴後、我等の部屋に来て興奮しながら混浴の様子を話してくれました。
 
男子社員の連中は女湯に入りに行きましたら、女湯にいたのはうちの女子社員四名のみ。
 
24歳の世子と亜子等21歳の女子営業社員3名。
真っ先に浴場の扉を開けたのが魚住君。
亜子が啖呵を切るが如し、魚住君を怒鳴ったそうです。
 
何と言ったのかは忘れましたが。 
ひたすら低姿勢の魚住君。
 
「背中を洗ってあげる」と言って亜子に近づいた魚住君、「さわらないで!」と再度亜子に怒鳴られたそうです。
 
ホテルの規則で、午前零時には男湯が閉鎖されて女湯での混浴になることを脱衣所での小さな貼り紙でようやく理解した女性たちは、それからは和気あいあい。

男女全員、浴槽の縁にスッポンポンで座り、四方山話になったとか。
 
いつの間にか話題は各々女子社員達の若々しい裸を褒めることへ。次にはその個々のパーツを称える話になったとか。
 
その折、男女共に絶賛したのが世子の肢体とか。彼女の裸像がどんなに素晴らしいかを私に交互に話す彼等の息ははずむ。
 
 
世子は痩せ型。
だが、胸は大きく、しかもプリンと上向きに出ている。
 
エストは細い位くびれていて、ヒップはポコン。
すんなりと伸びた細く長い脚。
 
身体全体からにじみ出てくるのは、はちきれそうのプリプリ。
それで顔が小さいから九頭身。
 
彼等のその表現には、両手でのゼスチャー付き。
世子とは何度かチークダンスを踊っているので想像はつく。
 
 
それ以降、温泉の話しになると男子社員も女子社員も必ず世子のナイスボディーの話となる。
 
次回以降の温泉一泊研修では、混浴ではなくても、午前零時から混浴となる。
 
社員からは何度か一緒に入るように誘われましたね。
 
然し、私はその混浴には一度も行かず。
「何故一緒に入らないのですか?」とは、その都度質問されたこと。
 
 「もしも私が女子社員と入浴したことを本社の連中が知った場合、連中は何と言うと思います?
 
『水無瀬は、女子社員の裸を見たいために毎月社員研修という名目で温泉に宿泊している』とね。
 
そうなれば、温泉での研修が出来なくなるからだよ」
 
亜子や絵子から誘われたときでしょうか。ホテルの廊下で手を引っ張られて「一緒に世子さんの裸を観よう」って。「世子さんのは、こういう形でツンと上を向いているのよ」と手振り。
 
「あのね、君たちの全裸を見てしまったら、事務所で君たちを見る都度、君たちのピンクの裸を想像してしまい、仕事にならないよ」
 
結局、四年間の札幌勤務中に、若手女子社員の裸をちょっとでも見た事は一度もありませんでしたね。
 
余談)
 
私が以前、世子は畑知子さんに似ていると書きましたね。下記の写真は、真ん中だけ世子の写真で、両側は知子さんの写真です。
 
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 上記、左が19歳、真ん中の写真が24歳、右が40歳代としたら、同一の女性に見えませんか?
 
 但し、世子は、左のテレホンカードの知子さんのような、こんなにボリュームは無かったですね。
 
でも、スタイルは素晴らしいものでしたね。
今は、右の写真の年代ですから、このような感じでしょうね。
 



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私の履歴書275 和琴温泉露天風呂で天使と戯れた話