オホーツク・流氷に嫌われた私
私の履歴書・318
網走の北西に隣接する紋別(もんべつ)商業組合は、ブラウン社と密着。
紋別管内での各商店の機器は100%ブラウン社でした。
処が、組合の理事長の使い込みが発覚。
その額、5千万円。
これはイチ大事。
だから、道東事務長会議にも出席しなかったのか!
「紋別組合には、近づかない方が良いですよ」 とはLL社所長の言。
そう言われれば近づきたくなるのが反骨精神旺盛な私。
新理事長の店舗事務所兼組合事務所にお伺いしました。
使い込みで旧理事長と会計は逮捕されている。処が、ブラウン社は、新理事長に交代してから一度も当組合に顔を出した事が無いとのこと。
つまり、旧理事長とブラウン社は癒着していたから近づけなかったのです。ブラウン社は斡旋バックマージンを組合に払うのではなく、旧理事長に個人的に渡した結果、公私混同の癖を旧理事長につけてしまったのです。
紋別市は人口3万2千人。組合加盟商店数が100軒ならば、一軒あたり50万円の負担。50軒ならば、一軒あたり100万円の負担。
数ヵ月後、面談予約をとり二度目の訪問。
私が考えた組合再建書を渡し、説明しました。
反応ゼロ。性格なのでしょうね。
新理事長には更にもう一度お会いしましたが同じ。
次回からは、組合には寄りませんでした。
(写真は流氷に閉ざされた能取岬と灯台)
紋別には、この組合訪問の三回も含めて1988年から1990年の三年間に10回前後入りましたね。
理由は? と言いますと、北見枝幸(えさし)の毛がにを食べにではありません。無論、仕事です。
行く経路は三つでした。
その2)千歳空港から女満別空港へ。
そこからは北見出張所の塚本君の車で網走→紋別へ。
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そこからも塚本君の車で紋別へ。
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流氷の接近を当てにして毎年二月に紋別に行く予定を立てました。
然し、この流氷だけは何ともならなかったですね。
宝くじみたいなものでした。
前日に流氷が接近が二度。
ところが何れの日もその夜、風向き一つで遙か沖へ。
翌日に確実に接近するのでしたら何とかスケジュールを変え、もう一泊したのですが何ともなりませんでしたね。
処が、何故かオホーツク海に出ますと曇りとなります。
どうして?
午後、斜里から知床半島へ行った時もそうでしたね。
好天の秋。途中、オシンコの滝を観、浜辺に降りて幅4m程の川を見物。
シャケが河口から遡上ですね。浅瀬で背びれむき出しですから、四足の熊さんにだけでなく、闇夜に紛れ網を抱えた二本の忍び足が活躍するはず。
ウトロを過ぎて温泉宿泊。
翌朝、風雨極めて強し!
ウトロから遊覧船に乗るつもりが、よく揺れるとか。
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お互い船に弱いので取り止めました。
別の時、空港でレンタカーを借り一人でウトロに入った時も晴れず。
オホーツク海には、悉く嫌われましたね。
やはり、出張の動機が不純だったからかも。
注)上記の掲載写真四枚は「旅なび!網走」に掲載されている画像です。
網走市経済部観光課観光振興係の許可をいただいて掲載しております。
※私の履歴書40代北海道編 目次