飛んで火に入る冬の虫!

 
イメージ 1
  
(函館戦争⑥) 
飛んで火に入る冬の虫!

予測通り、第百事務機(以下DJ社と称す)がLL社函館営業所新社屋の隣に土地を購入したとしても、ここでの問題は三つ。
 
一つ目、DJ社に我等の戦略が漏れるリスク。
感ずかれた場合、失敗する。
 
二つ目、DJ社の固定費を更に増やせるかどうか。
 
三つ目、DJ社の年間食品機器販売粗利益(あらりえき)額3,500万円を、1989年度に完全に断ち切れるのか。

一つ目の問題は、この戦略を一切誰にも口外しないことにしました。
 
二つ目の固定費の問題は、新社屋用土地と建築費での銀行借入金返済の他に人件費をも増やしてもらわなければならない。
 
但し、DJ社の食品機器の販売エリアを函館市並びにその周辺に限定した場合、増員3名で間に合う。
 
この人数で冷静に考えた場合、函館から江差までの山越えはしない。よしんば江差に入ったとしても、冬季を考えたら瀬棚までは侵攻しない。
 
だが、江差まで来たら、瀬棚迄深追いしたくなる仕掛けは出来ている。
 
参考)DJ社社員一人当たりの月間経費を最低の月50万円とすると年間600万円。瀬棚までだと、更に増員2名が必要で経費増は更に年間1,200万円。
他方、我社の場合は、一人当たりの平均月間経費は150万円、年間1,800万円。
 
そしていよいよ新年度の1988年4月がスタート。
 
函館通信機の山田店主が地元設計屋から得た情報。
DJ社に銀行融資が下りたとのこと。
 
新社屋の建築費は7,000万円で着工は8月。竣工は12月。
土地価格は不明。
  
私は再度4月と6月の二度、札幌から車で小樽から日本海沿いを南下。江差(えさし)商業組合に寄り、江差に宿泊。
 
未だ彼等が来た形跡は無い。
 
失敗したか!と思いました。
やはり賢い奴がDJ社にいたのか!
 
イメージ 2
 
処が8月、緊急電話が函館駒田係長からかかってきました。
 
DJ社が江差に入り、海沿いの例の商店(A点)に納品しました!」
 
いよいよ、函館から山を越えて江差に入ったのか!

ここからが問題。
果たして江差から北上するか?
.
DJ社が江差商業組合に顔を出した場合、私の名前を聞いただろう。だが、江差管内の商店に私が訪問した形跡が無いし販売実績も無い。
 
この頃ですね。
山村東京本部長が「道南エリアを明け渡せ!」と言ってきたのは。
まさか、身内から言われるとは驚きました。
 
だが、ことは既にシナリオ通り進んでいる。
知らぬはDJ社と我社の山村東京本部長。
 
その後、DJ社が江差から北上するのが遅くイライラしました。
「未だか?未だか?」
 
10月にようやく瀬棚の入り口(B点)まで来たとの報告。
予想より遅く、ひょっとしてそこで引き揚げるのかと思いました。
 
雪の季節になりました。
12月竣工予定のDJ社新社屋は遅れて春早々になるとか。
 
正月が過ぎ、あれは2月中頃。ぼたん雪の降る日の夕方でした。
魚住君が事務所に駆け込んでくるなり、泡を吹いて言いました。
 
「大変です! DJ社の社長が倶知安(くっちゃん)組合にやって来ました!」。更に「ウズマサはもう駄目だからDJ社と提携しましょう!と言ったそうです」
 
私は大笑いしましたね。
魚住君と亜子がキョトンとしていました。
 
然し、瀬棚から更に倶知安と言うと、予想を遙かに超えて出来過ぎ! 私は函館の駒田係長に早速電話をしました。
 
「勝ったぞ! この雪の中、何と倶知安まで攻めて来たのだって!」
倶知安まで? まさか! はまり過ぎですね」
「飛んで火に入る冬の虫!」
 
DJ社の社長の気持ちは分かります。江差から日本海沿いを北上し八雲商業組合エリア(B点)に入ってみる。
 
と、商店のおばちゃまはウズマサの水無瀬の名前を知っている。
何しろ私、洞爺サンパレスでのチークダンスで名を馳せていますからね。
 
だが江差と同様、八雲でも瀬棚でもウズマサが各商店を訪問した形跡は皆無。ウズマサの水無瀬って何も出来ない男と確信したでしょう。
 
これなら札幌までもいける!
それ行け!行け!ドンドン! 
雪の中、長靴をはいて先ずは倶知安へ!
 
この1989年の早春は、DJ社の社長と山村東京営業本部長は、東京・銀座のクラブで高笑いしたでしょう。
 
約束の期限である半年後の秋には、道南エリアはDJ社=山村東京営業本部長の担当エリアになるのは間違いないと。


私の履歴書・311 孫子の兵法『戦わずして勝つ』実践版
(函館戦争⑦)

私の履歴書・40歳代北海道編 目次