収益を断つ戦略

 
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(函館戦争⑤)
 収益を断つ戦略

駒田君の函館着任が1988年3月。早速、函館通信機の山田店主からその後の第百事務機(DJ社)の動きを聴聞
 
第百事務機は、土地を物色していたが、どうやら函館の郊外に的を絞ったようでした。
 .
当時、LL社函館営業所は、郊外の物流倉庫に新築事務所を建て移転中。この倉庫は、函館市街から北に10kmの場所で敷地25,000坪。
 
的を絞った土地とは、LL社の物流倉庫正門横の三角形の更地。
広い道路に面した300~500坪でしょうか。
 
LL社との関係をより深めることも出来る一石二鳥の場所でした。
  
[仮説]
 
第百事務機に銀行の融資が下りるのは、1987年度の決算書が出来てから。故に、この土地を買うのは、1988年6月か7月。
 
新社屋を建てるのは、着工8月で竣工は遅くても翌年1989年の2月。建築業者への全部の支払いが終るのがその2月。もしくは3月。
 
[我等の打ち出した戦略]
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【グラフ①】本業の事務機器の販売での第百事務機の収支はトントン。(a)-(b)。処が、食品機器の扱いで増収増益。(c)
 
食品機器収益(c)を今断ち切ったとしても第百事務機は潰れない。第百事務機が潰れるためには、社屋新築のために大きな借金をしてもらわなければならない。
 
黒字決算が三期(三年)連続で、更に増収増益が見込めるなら銀行がスムーズに融資するだろう。
 
融資を受けた場合、その全額を使い切ってもらわなければならない。途中で使うのを止めた場合、その残金を返済にあてたら生き続けられる。拠って、全額を使い切る翌年1989年3月まで、彼等の活動を妨害してはならない。
 
つまり、我等は、この一年間、この道南エリアの商店には一切機器を販売しないことが戦略となる。
 
 [壊滅戦略]
 
【グラフ②】 恐らく、彼等の1989年度計画では、この年の収益は増え(c)、その分を借入金の返済分(e)に回す。
 
だが我等は、1989年4月から彼等の食品機器の収益を根こそぎ奪う。
 
拠って、1989年度の決算【グラフ③】を超赤字に陥(おとしい)れる。単に赤字で収まるはずはなく、現金が回らなくなり手形を落とせず。何れ倒産の事態まで。
 
簡単に言えば次のようになる。
 
旦那はサラリーマンで一定収入がありました。
でも、毎月の家計簿は収支トントン。
 
奥方が働きに出ました。奥方の新たな洋服代や化粧品代はかかりましたが大した額ではない。
 
奥方が転職し、高収入を得るようになったので新築のマイホームを購入。奥方の収入分を返済にあてることにし、30年銀行ローンを組みました。
 
処が奥方は病気で長期入院。入って来るお金は医療保険のみ。結果、住宅ローンを払えなくなり、マイホームは競売にかけられました。残ったのは、マイホーム購入金額と競売金額との差額の借金。


私の履歴書・310 飛んで火に入る冬の虫!
(函館戦争⑥)

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