札幌クラブハイツに行った契機

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           私の履歴書301 
 
 昨今(2010年)、他の人のブログを見ていますと、札幌の繁華街「すすきの」は元気が無い様です。
 
私の札幌時代(1980年代後半)は、ピンクの無法地帯と言われていました。
 
霞ヶ関の高級官僚が都内で遊ぶと騒がれるので、息抜きをする場所として札幌を何でも有りの街にしたと言っていたのが地元取引先の社長。
 
「すすきの」のど真ん中のビルで一階が家族向け食事処ですが、上階全部が過激な風俗店はザラでしたからね。
  
若い男女が遊ばなくなったようです。
草食系男子の時代になったからでしょうか。
 
 東京では、肉食系おば様族が気を吐いているようですね。
 
はとバス「はじめてのホストクラブ~今宵のあなたはシンデレラ~」は、毎週(水)(金)運行。無論女性専用。行き先は歌舞伎町ホストクラブ「愛」。
地方からツアーで来るおば様族もいるでしょうね。
 
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 さて、1988年
 
キャバレー「札幌クラブハイツ」に行く契機となったのは、機器の売買で我社のお客さんになったことからでした。(住所)札幌市南5西3東宝公楽会館6F

「所長、東宝公楽会館に2台納品しました」
「それで?」
 
「半端じゃないです」
「何が?」
 
「1台の納入先が六階のキャバレーですよ。でかいですよ」
「今時あるのかね、そんなキャバレーなんて」
 
「それがあるのです」
「それがどうした?」
 
「キャバレーの副店長が、是非来いと言うことです」
「何を言いたいのかね」
 
「一緒に行きましょう」
「何処からその金は出て来るのかい?」
 
「所長経費で、何とでもなるじゃないですか」
「馬鹿言いなさんな」
 
「でも、受注の時の条件でしたよ」
「嘘かホンマか分からんけど、上手いこと言うね」
 
「じゃ、行きましょう」
「よっしゃ」
 
魚住君は厚い冊子のクーポン券を差し出しました。
ペラペラめくって見ると、時間帯によって価格が違いました。
 
 後学の為に、魚住君と草野君との三人で出かけました。
ひょっとして、顧客の接待に使えるかもしれない。
 
東宝公楽会館の六階へ。
エレベーターが開きますと、素敵なお嬢様方が待ち受けています。
 
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案内されて中に入ったとたん、びっくりしましたね。
未だこんなに大きなキャバレーが残っている!
客席数は400。
 
 副店長は、小柄な50歳代後半。
店の女の子達の手配をする役目。
 
この副店長との交渉は魚住君の役目。
若い子(娘)を回してもらう。
 
入れ替わり立ち代り来るのが全て女学生でしたね。
東京の女子大生が何で札幌のキャバレーで働くの?
 
彼女等のシナリオは、東京から片道切符で札幌に来る。
そしてここクラブハイツの寮に入り、約一ヶ月間ホステスとしてアルバイト。
 
東京と違って札幌の場合は、知人に会うリスクは無い。
ここでお金を貯めてから北海道一周旅行に出かける。賢い!
 
女子大の名前は、私の知らないところが大半。
彼女等の言う大学の地図を聞きますと成る程その周辺の建物等は合っている。
 
アルバイトホステスの大学名で一つだけ覚えているのが、文京区の跡見学園
 
「定山渓ホテル」の混浴大浴場で一緒に入浴した女性も同じ大学でしたから、この大学の名前はだけは忘れませんでした。
 
注1)当時定山渓温泉で混浴のホテルは「定山渓ホテル」だけ。
尚、今は混浴ではないそうです。この話は後日
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注2)写真は、先日、札幌クラブハイツの現在の店長からいただいたものです。
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注3)札幌クラブハイツの地図です。
詳しい地図で見る 
 


(続編)
私の履歴書・302  女性社員が楽しんだ札幌クラブハイツ

私の履歴書・40歳代北海道編 目次(1)~(3)