背水の戦略とは!  『徹底的に惨敗・敗走すること』

 
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     私の履歴書273
(函館戦争①)
 
翌年(1988)、ここ八雲商業の通常総会会場は、前年と同じく4月末に洞爺サンパレス。
 
 
この年は、私だけ出席。
 
 
 
この時の我社の道南をエリアとする函館出張所の状況と言えば、
会議等に一切出席しない佐藤君が道南エリアで一年間に一台販売しただけ。
 
2月佐藤君の母親が逝去。
この葬儀に参列。
 
3月佐藤君、辞表を提出。
同月受理。
 
同月函館出張所に駒田君を送り込む。注)北見→札幌営業所係長→函館
道南エリア対応につき、彼と議論。
 
今までの事と戦闘能力を考えたら、勝つ道など全く見えない。
 
最強のブルー社の代理店第百事務機(仮称)の戦力は営業員5名にメンテナンス要員2名の計7名。 ブラウン社函館営業所の総員は10名。
 
対する我社は、駒田君一人に函館通信機社(仮称)の山田店主。
17対2では到底勝ち目は無い。
 
この状況で、勝てる方法はあるのか?
誰が見ても、我社が勝てる途は皆無。
 
それでも、万が一でも勝機はあるのか?
 
これで駒田君とは、居酒屋でも含めて二日間、思考錯誤。
あれやこれやと激論でしたね。流石戦略教育効果抜群!
 
見出した戦略とは!
 
「一年間、道南エリアの商店へは、例え顧客の要望があったとしても一切販売しない。負け続けること」
 
前代未聞の戦略でしたね。
売ってなんぼの組織が、売らないって言うのですから。
 
このようなことが戦略とは、誰も予想不可。
無論、我等二人以外には口外せず。秘密裏に!
 
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この戦略の下で、二年目の八雲組合通常総会に臨んだのでした。
 
前年通り、宴会ではお酌で一周。
前年同様二次会はナイトイン『フェニックス』で。
 
今度は、宴会席上で気の合う八雲組合のおばちゃま4人組と3人組2チームの7人。
 
各チームの女性と交互順次チークダンス。
30歳前後の女性とは、フォークダンスもどきでしたね。
 
但し、新婚早々20代の女性には拒否されましたね。
密着しすぎるって。
 
午後9時半時頃、3人組が疲れたと言って退場。
残る1チームと代わる代わる踊り続けましたね。
 
何周目からか、元気な一人の女性とのみ踊り続けました。
40歳代後半。瀬棚の街の郊外の店の奥さん。
ご主人は健在バリバリとのこと。
 
他の三人の女性は、指を振って部屋に引き揚げました。
踊っている我等を残して。
 
周囲のお客さんも順次いなくなる。
残るは壇上の我等二人のみ。
 
いよいよ、最後の蛍の光の曲が流れる。
離れるのがつらい。
 
スポットライトを浴び続ける我等。
周囲は暗闇。
 
曲が終っても離れず。ひしと抱き合って、見つめ合って。
舞台での我等は、ロミオとジュリエット
 
遂にホテル職員から「消灯します」といわれましたね。
何と無粋な!
 
 
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翌朝、皆さんをホテルの玄関で送り出してからラウンジでコーヒーを。
 
LL社八雲の社員が言いました。
 
「水無瀬所長、昨日はフェニックスで遅くまでいました?」
 
「そうですよ。職員が消灯するまで」
「今朝、噂になっていましたよ」
 
「そうだろうな。今頃、皆さんの帰りのバスでは、この話でもちきりだろうな」
「地元に帰ってからも当分この噂ですよ」
 
 
恐らく井戸端会議では、驚き・軽蔑・嘲笑が主体でしょう。
羨望の言葉も多少入るかも。
 
これでこのエリアのご婦人の皆さん、私の顔と社名を忘れる事はないだろう。
 
だからと言って、私はこの八雲エリアの個店を訪問する事はしませんでした。
無論、二年目のこの年、このエリアに我社の販売実績はゼロ。
 
『この市場で最強の第百事務機が、完膚なまでもウズマサを叩きのめした!』
そう思わせるのが目的でした。
 
ところが、我等の敵は、ライバル社だけではありませんでした。
 
その年の夏の終わりの事、突如、我社の山村常務(元入社当時の私の上司)が、そのライバルの第百事務機と手を握り、私に道南エリアの明け渡しを求めてきたのです。
 
三国志で言えば、『赤壁の戦い』ですね。
私の命運をかけた闘わずにして勝つ戦略『函館戦争』の始まりでした。
 


私の履歴書・306 私の函館戦争 これぞ孫子の兵法!
(函館戦争②)

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