昔も今も、女性はグルメ

 
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今回の話は、取引先の社員の奥様とお子様をも我社ファンにした方法です。
 
それに、奥様に高級料亭の料理を食べてもらいましたら、料理の腕もあがりますから、一石二鳥!
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旭川から北見を周り、そして札幌に帰ってきてからLL社札幌支店長と面談。
LL社旭川&北見での出来事を報告。LL社旭川所長を褒めちぎりました。
 
恐らく、支店長は、私が去ると早速旭川に電話を入れたはず。
「ウズマサの水無瀬所長が、随分君の事を褒めていたよ」と。
 
これでLL社旭川所長は、私に大いに感謝したでしょう。
何せ、札幌支店長と言えば、彼等の組織では神様みたいな存在でしたから。
 
この話が、LL社旭川所長の口から社員達に伝わるとなると、面白い事になる。
つまり、私により彼等の事がLL社支店長に報告されることを意味する。
 
可笑しかったですね。
彼等24名全員は、私を軽視するわけにはいかなくなったでしょう。
 
 
半月後、我社の旭川に電話。
 
LL社の我社ファン二人を接待します。
君達が行きたくても行けない料亭に予約を入れて下さい。
 
日時は、二つの日を提示して、どちらかを選ばせなさい。
その日に私が旭川に行きますから」
 
指定の当日午後、旭川行きのJR特急に乗車。
斉木君は、LL社旭川の近くの路地に車を隠して彼等を迎える。
 
私と塚本君は、予め、その料亭の座敷でお出迎え。
斉木君が連れてきた彼等を、床の間に座らせました。
 
床の間には、掛け軸に花。
厚い漆塗りの座敷テーブル。
 
しっとりとした中年の仲居さんのお酌。
四人共、カチンカチンでしたね。
 
皆、こういう席は初めてだったのですね。
話しかけても口が回らない。
 
早くこの場を去りたいという雰囲気が見え見え。
それでも1時間半はいましたかね。
 
料理の大半は私の分以外は手付かず。
箸も通らないと言う事ですね。
 
途中、塚本君に、子供が一番喜ぶ食べ物はと聞くと餃子(シュウマイ?)。
人気がありいつも行列とか。それを斎木君に買いに走らせました。
 
料亭から全員外に出ましたら、直ぐに帰宅すると言う。
客人二人と我社の社員二人には、餃子二人前と重箱入り料亭の料理がお土産。
 
注)漆塗り褐色の重箱は、料亭の古くから使っていたもので、新しいものを購入したから不要とのことでした。
 
社有車で斎木君が二人の客人を各自宅まで送り、そのまま帰宅。
 
我等二人は、ステラへ。
今で言うキャバクラですね。
 
開口一番、塚本君が言いました。
 
「所長、今日は拙かったですよ。僕もそうですけど、皆、緊張して話しが出来ませんでしたから」
 
私は、大笑いしました。
「その話は、明朝、聞きましょう」
 
私は、二十歳前後の素敵なお嬢さん達と交互に間断なくチークダンスを。
その夜は早めにホテルへ引き揚げました。
 
翌朝、ホテルに迎えに来た塚本君が言いました。
 
「水無瀬所長、昨夜は大変でした」
「何が?」
「女房が感激しました」
「何で?」
「一生に一度、食べれるかどうかの料亭の料理を食べて」
「あはは!」
「女房は子供を起して、一緒にぎょうざも食べました」
「と言う事は?」
 
「はあ? 子供達もおおはしゃぎでしたが?」
LL社の二人の家庭でも、同じ事が起きていたのですよ」
 
 
 
『 将を射たら、馬も射よ 』 これ、当時、私の自作の諺。