私に通じなかった死の恐怖

 
 
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この話も、着任した初月の1987年1月13日(火)の事。
 
「南方電機㈱(仮称 室蘭市)にも挨拶で同行して欲しい」と山川課長。
 
彼の私有車の助手席に乗る。
最新のスタッドレスタイヤを購入したのが自慢。
 
 
 
 
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札幌の郊外の北広島インターから道央自動車道へ。
 
高速道路はガラガラ。
 
雪景色に道路はアイスバーン
小雪がチラチラ。
 
 
 
当初時速60km。やがて時速90km。
暫らくそのスピードを維持してからチラリと私の顔を見る。
 
しまった!
 
私、座席をメイチ下げるのを忘れた!
本来なら、座ってから足を一杯に伸ばし、座席を動かす。
 
 
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それは、ダッシュボードの下の空間を広げておく為。(写真の赤い斜線の部分)
 
万が一の場合、身体全体をダッシュボードの下に入れる為。
 
 
スタントマンの手法ですね。
 注)1987年1月では、日本車でエアバック付きの車は無かった。
 
当時の車は衝突しても昨今の車のようなクシャクシャには壊れない。
ダッシュボードの下が一番安全な所。
 
 
次の問題はシートベルト。
助手席で外していると運転手が捕まる。
 
形だけ左肩からかけ、右手で端を持ち、コンソール付近に右手を置く。
いざという時、一瞬で上半身をシートベルトからすり抜けるかが勝負。
 
私、スピードなど意に介さない風を装い、ゆっくりと左右の雪景色を見渡す。
だが、右手指先には密かに全神経を集中。
 
垣間見えるスピードメーターは、120kmを指している。
知らん顔をしていると、メーターは140km。
 
彼 「今、140kmですよ」
私 「あ、そう」
彼 「危ないですね」
私 「安全ではないことは確かだ」
彼 「スピード、落とします」
 
話す内容が逆。
以後、アイスバーンの路を90km程で走りましたね。
 
 
それから半年後、再度、彼の車の助手席に乗って室蘭へ向かいました。
毎年この時期に、南方電機㈱社長と登別温泉一泊のデーラー会とか。
 
例の北広島インターから高速道路へ。
今度はアイスバーンではなく、乾いた路面。
 
今回は、忘れる事無く、最初から座席を一杯後ろに下げました。
ダッシュボードの下に私が身を隠せるスペースを確保。
 
時速120kmからどんどんスピードを上げて180km。
 
彼「いやぁ、流石200kmに近づくと加速が悪い」
私、苦笑 「まぁ、捕まらんように走ってちょうだい」。
 
その昔、京都天神川土手道や名神高速をぶっ飛ばした名古屋の彼奴(きゃつ)のシャコタン車に比べたら何のその。
 
 
名古屋の女性の彼氏の運転する車に同乗した時。(私が23歳位の頃)
カローラのシリンダーを削り、キャブを変えて、それにシャコタン。
 
京都・天神川の当時一車線しかない土手道を時速180km。
その足で名神高速では220km。後部座席には私。この時も祈りましたね。
 
(実は、その彼、名神高速道路で三回横転。仕舞には、刑務所行き。面会に行きました。)
 
 
200kmを超えた頃、一瞬、左を何かをよぎった感覚。
後ろを振り返りましたが、道路沿いの土手しか見えない。
 
210kmを超えたあたりから、私、半分眠った振り。
このスピードで、もしもパンクでもしたら、車はコロコロ転がるだろう。
 
 
成る程、これか!
これが会社でイニシアティブをとる為の彼の手法か。
 
北海道の子会社再建で本社から出向して来た連中は、全員悲鳴をあげただろう。
「山川部長(子会社時代の役職)! 怖い! 恐ろしい! 停めて!」
 
特に関西人の大半は、雪を知らないから座席にしがみつく。
あるいは、時速180km以上となると何れも死の恐怖。
 
でも、私には、この手は通じない。
さぞや運転をしながら残念であろう。
 
 
突然、
 
彼 「あっ! やられた!」
私 「どうしたん?」
彼 「捕まった!」
 
後ろを振り返ろうとしたら、振り向かないでくれという。
横目で後方2km先を眺めると、赤色警告灯が道路の起伏で出たり沈んだり。
 
ブレーキを踏まないで自然にスピードが落ちるのを待つ。
ブレーキを踏み、テールランプを点灯すると、遠方からでも実測するとか。
 
120kmを割った時に、ようやくパトカーが追い着いた。
高速警察隊「やあ、追い着くに苦労しました」
 
彼 「すみません」
そして彼は、パトカーの中へ。
 
暫らくしてから戻って来た。
しっかりと赤紙を握って。
 
80km規制の所を実測では38kmオーバー。
だが、30kmにまけてもらったとか。
 
それに今日は向かい風。
 
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パトカーの長四角の赤色警告灯が風の抵抗で通常より30kmは速度が落ちると高速隊員は言っていたとか。(写真左が風の抵抗を受けやすい)
 
 
その夜は、南方社長と登別温泉・第一滝本館宿泊
彼の顔は、捕まってからずっと赤い。
 
罰金は幾らか聞かなかったが、痛かったでしょうね。