北海道にとって東北は目標でしたね
前回のあらすじ)
清楚なオーラを発するあゆみさん。
その彼女を胃潰瘍にしてしまいました。
辞職を踏み留めようと父親に会いました。
扉がスッと開いて、そこには憔悴したあゆみさん。
私の履歴書・247
前回に書き忘れた事があります。あゆみさんのその後です。
あゆみさんが退職してから二年後の初夏、あゆみさん宅のコンビニに寄りました。
父親の言うことでは、あゆみさんは元気に会社勤めをしているそうです。
嬉しくもあり、寂しくもありましたね。
さて、時計の針を再度札幌に着任した1月5日の週に戻します。
着任五日目の1月9日(金曜日)に仙台出張。
10日(土曜日)の東北エリア支所長会議に出席の為。
東北の各県の所長と私は会議の前日の9日の夕方に仙台支店に集合。
その夜の新年会に出席。
雪がちらつく国分町を千鳥足。
二次会が高そうなクラブ。
三次会がスナックでしたね。
翌日は仙台支店で会議。
以後、毎月一回、仙台に会議で出張が二年間。
尚、毎回夜は東北の所長達と国分町ではしご。
払いは仙台の支店長経費。
仙台の会議に出席する度、羨ましかったですね。
東北の各県の営業所長や、仙台支店の社員の質の良さにレベルの高さ。
当時の北海道の連中とは、雲泥の差でしたね。
会議で仙台に出張の都度、コンプレックス。
それから1年半後ぐらいの時ですね。
会議の前々日に仙台に入り、翌日の支店の朝礼に出た時。
そこで全員の前で話している時に、あれっ?と思いました。
仙台支店の営業社員達を見渡して、ひょっとして?
社員の身なりのセンス、知的レベル、話し方、話しの内容。
札幌の方が全てに関して上回っていましたね。いつの間にか。
尚、この千歳空港⇔仙台空港往復2時間強の滞空時間は、貴重でしたね。
この下界を見下ろす2時間だけは天上天下唯我独尊の気分。
それと読書や通信教育の解答作成の時間でしたね。
他方、着任早々、急務なのが家族を呼び寄せる為の住居探し。
幼少の頃、秋田の山奥で過ごしましたから、雪の苦労は知っています。
一軒屋ではなくマンション探しをしました。
道案内の神戸部長を横に乗せてですね。
今でも、忘れられないのが地下鉄円山公園駅近くの空室の11階。
奥行きが50cm程のベランダ。防止柵が壁ではなくパイプ。
リビングの窓際から下界が見える。
天井が高い造りでしたので、普通の11階よりも遙かに高い。
この南向きの狭いベランダに出ただけで足がすくみましたね。
西25条の広い通りが足元の南2条から南9条の向こうまで見下ろせました。
無論、藻岩山も見えました。
鳥肌を立てながら。
数軒の不動産屋からFAXで送ってもらった中央区円山一帯の空室情報を回りきるも、これぞと思う所が無い。
いい部屋は、直ぐに無くなる。
住居は、広島の最初の転勤で失敗していますから、下手な所に住めない。
そこで、片端から視界に入るマンションの管理室を訪問。
「下手な鉄砲も数撃ちゃ当る」ですね。
やがて南9条西21条の交差点に。
この角地には大型店舗の西友ストアー。
その西隣にマンション。
菊水旭山記念公園通り。
道路の南向いが啓明中学校の校庭。その南が緑丘小学校。
ここなら、大吹雪でも買い物が出来るし通学も出来る。
管理人に会いました。
賃貸にしていないが、長期間、空いている部屋があるとのこと。
拝み倒してその部屋を見させてもらいました。
南向きで、藻岩山が目の前。
広さ95㎡。
確かに古く、賃貸にするなら改装が必要。
各戸毎石油ボイラー。
床暖房。床に敷いたパイプをお湯が循環。
エレベーターは、各階ニ戸に一基。
南側はサンルーム。
このマンション建築時、隣接地に北大医学部の建物があり、住居者は医師が多かったとの事。注)私が訪問した当時は空き地。
所有者は、地元中小企業の社長。
電話をかけましたら、社長は入院していると言う。
病院名を聞いて、ベッドに横たわっている社長を訪問。
お嬢さん夫妻が、数年後札幌に帰ってくるので空けてあるという。
社長が、子育てをした思い出の場所ですね。
渋る社長を説得。
転勤族ですから3~4年で転勤になりますからと。
家賃額を決め、管理費と駐車料金を合算して、その額を家賃として契約。
7万円だったと思います。
後日談
この地域の息子と娘の友達の親のレベルは、半端なじゃない。
地元大手企業の社長のご子息やお孫さん、銀行管理職のご子息、道庁官舎のご子息達。
例えば、或る日のこと、小学二年の我が息子が妻に質問。
「友達の家には、ベンツが3台も有るのに、どうしてうちに無いの?」
トホホ!
参考) 1987年当時の航空写真