北海道にとって東北は目標でしたね

イメージ 1
 
前回のあらすじ)
 
清楚なオーラを発するあゆみさん。
その彼女を胃潰瘍にしてしまいました。
 
辞職を踏み留めようと父親に会いました。
扉がスッと開いて、そこには憔悴したあゆみさん。
 
 
 
 
 
前回に書き忘れた事があります。あゆみさんのその後です。
あゆみさんが退職してから二年後の初夏、あゆみさん宅のコンビニに寄りました。
 
父親の言うことでは、あゆみさんは元気に会社勤めをしているそうです。
嬉しくもあり、寂しくもありましたね。
 
 
 
さて、時計の針を再度札幌に着任した1月5日の週に戻します。
 
着任五日目の1月9日(金曜日)に仙台出張。
10日(土曜日)の東北エリア支所長会議に出席の為。
 
東北の各県の所長と私は会議の前日の9日の夕方に仙台支店に集合。
その夜の新年会に出席。
 
 
雪がちらつく国分町を千鳥足。
 
二次会が高そうなクラブ。
三次会がスナックでしたね。
 
翌日は仙台支店で会議。
以後、毎月一回、仙台に会議で出張が二年間。
 
尚、毎回夜は東北の所長達と国分町ではしご。
 
払いは仙台の支店長経費。
 
 
仙台の会議に出席する度、羨ましかったですね。
東北の各県の営業所長や、仙台支店の社員の質の良さにレベルの高さ。
 
当時の北海道の連中とは、雲泥の差でしたね。
会議で仙台に出張の都度、コンプレックス。
 
 
 
それから1年半後ぐらいの時ですね。
会議の前々日に仙台に入り、翌日の支店の朝礼に出た時。
 
そこで全員の前で話している時に、あれっ?と思いました。
仙台支店の営業社員達を見渡して、ひょっとして?
 
社員の身なりのセンス、知的レベル、話し方、話しの内容。
札幌の方が全てに関して上回っていましたね。いつの間にか。
  
尚、この千歳空港⇔仙台空港往復2時間強の滞空時間は、貴重でしたね。
 
この下界を見下ろす2時間だけは天上天下唯我独尊の気分。
それと読書や通信教育の解答作成の時間でしたね。
 
 
 
他方、着任早々、急務なのが家族を呼び寄せる為の住居探し。
幼少の頃、秋田の山奥で過ごしましたから、雪の苦労は知っています。
 
一軒屋ではなくマンション探しをしました。
道案内の神戸部長を横に乗せてですね。
 
今でも、忘れられないのが地下鉄円山公園駅近くの空室の11階。
奥行きが50cm程のベランダ。防止柵が壁ではなくパイプ。
 
リビングの窓際から下界が見える。
天井が高い造りでしたので、普通の11階よりも遙かに高い。
 
この南向きの狭いベランダに出ただけで足がすくみましたね。
西25条の広い通りが足元の南2条から南9条の向こうまで見下ろせました。
 
無論、藻岩山も見えました。
鳥肌を立てながら。
 
数軒の不動産屋からFAXで送ってもらった中央区円山一帯の空室情報を回りきるも、これぞと思う所が無い。
 
いい部屋は、直ぐに無くなる。
住居は、広島の最初の転勤で失敗していますから、下手な所に住めない。
 
そこで、片端から視界に入るマンションの管理室を訪問。
「下手な鉄砲も数撃ちゃ当る」ですね。
 
やがて南9条西21条の交差点に。
この角地には大型店舗の西友ストアー
 
その西隣にマンション。
菊水旭山記念公園通り。
 
道路の南向いが啓明中学校の校庭。その南が緑丘小学校。
ここなら、大吹雪でも買い物が出来るし通学も出来る。
 
管理人に会いました。
賃貸にしていないが、長期間、空いている部屋があるとのこと。
 
拝み倒してその部屋を見させてもらいました。
南向きで、藻岩山が目の前。
 
広さ95㎡。
確かに古く、賃貸にするなら改装が必要。
各戸毎石油ボイラー。
床暖房。床に敷いたパイプをお湯が循環。
エレベーターは、各階ニ戸に一基。
南側はサンルーム。
 
このマンション建築時、隣接地に北大医学部の建物があり、住居者は医師が多かったとの事。注)私が訪問した当時は空き地。
 
所有者は、地元中小企業の社長。
 
電話をかけましたら、社長は入院していると言う。
病院名を聞いて、ベッドに横たわっている社長を訪問。
 
お嬢さん夫妻が、数年後札幌に帰ってくるので空けてあるという。
社長が、子育てをした思い出の場所ですね。
 
渋る社長を説得。
転勤族ですから3~4年で転勤になりますからと。
 
家賃額を決め、管理費と駐車料金を合算して、その額を家賃として契約。
7万円だったと思います。
 
後日談
 
この地域の息子と娘の友達の親のレベルは、半端なじゃない。
地元大手企業の社長のご子息やお孫さん、銀行管理職のご子息、道庁官舎のご子息達。
 
例えば、或る日のこと、小学二年の我が息子が妻に質問。
「友達の家には、ベンツが3台も有るのに、どうしてうちに無いの?」
 
                      トホホ!
 
 
             参考)   1987年当時の航空写真
イメージ 2