ドタバタだった広島での最後の週

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前回のあらすじ)
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これまでの子会社時代の北海道の状況とは。
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営業部署とメンテナンス部署が連日のバトル。
月次決算書をめくってみると、過去業績は最悪。
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他方、営業部署事務の砂子さんは、そのバトルの渦中の一人でした。
メンテナンス部署の事務所では、針の筵(むしろ)だったでしょう。

私の履歴書・240

広島に帰り、週明けの12月29日(月)
シャープ家電と最後の面談となりました。

シャープ側の言う内容とは、

コピー機の対策パーツの出来る時期は未定。
②機器に付いてある一年間の保証書を抜かして欲しいとの事。
カード一枚に付き3,700円。合計37,000円を払うとの事。

断りました。

まともな機械でないのに、メーカー保証書まで抜いたのでは客に売ること等できません。
シャープとしては、どうせ私は広島から消えるのだからと思い、こういう話をしてきたのでしょう。


最後の送別会は、能美島の元漁師が新しく開いた居酒屋でした。
ここで㈱ウズマサ広島営業所の連中も参加。

それから、数人でネオンチカチカの流川へ。
大林係長も一緒です。

例のクラブに行きました。
案の定、クラブの店長に入店を断られました。

大林係長 「今夜は、彼(私)の送別会なので頼む!」
店長 「駄目と言ったでしょう。もう来ないで下さい」

私も 「何とかお願いしますよ。今夜だけ」
店長 「大林さんと一緒の入店は駄目です」

大林係長は、両手を合わせて懇願しました。
「今夜だけ!お願い!おとなしくしているから!」
然し、入店ならず。


このクラブとのその後の傑作な話。
店長は大失敗しましたね。

大林係長のツケ(未支払い分)が未だあった事を考慮していなかったのです。
大林係長は、怒ってツケの支払い拒否を宣言。注)接待交際費で落とせるのだが。

私が札幌に着任してから何ヶ月か後、店長から札幌に電話。
私に、支払って欲しいとの事です。即、断りました。

大林係長に電話をすると、店長からは一度も電話が無いとの事。
店長は、大林係長に電話が出来なかったのですね。

手土産持参で、土下座をしたら払ってやるとの彼の言。
大笑いしました。

一ヶ月後、再度かかってきました。
私 「あなた達の世界では、ややこしい組織に取立てを頼むでしょう。そのややこしい組織に聞いてみて下さい。私にそのツケの支払いを求める事がまともなのか。私の送別会なのに入店拒否したことの前提で!」

再々度、かかって来ました。
私 「大林君が言っていましたよ。土下座したら払うって。彼に電話をしたらどうですか?」

会議で本社に行った時、偶々、彼も別の会議で来ていて廊下で大笑い。
店長からは、一度も電話が無かったそうです。


正月は、広島で過ごしました。
妻は、当初、3月末の引越し予定でしたので、引越し準備はボツボツ。

それが一月末日に荷物を出すことになりましたから、比治山神社初詣後、予定表を作成。
後、正月二日から荷物の片付けが始まりました。

広島からコンテナを出しますと船便となり、苫小牧港→札幌着は六日後。
つまり六日間は妻子三人が何処かに宿泊しなきゃなりません。

荷物を出す日の一月末日は広島のホテル一泊。
以後、特急寝台日本海で一泊、秋田の実家で三泊、札幌のホテルで一泊のスケジュール。

尚、年末に母から現金書留が来ました。
転勤引越しで大変だろうと、30万円入っていました。

そして1月4日、再度、広島空港から千歳空港に飛び立ちました。
いよいよ、札幌着任です。