誰も再建出来なかった北海道の歴史

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これまでのあら筋)
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1986年12月第一金曜日の事
社長室に呼ばれた私に待ち構えていたのは札幌転勤。
未だ広島に問題を残したままなのに。
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それに、これから行く札幌とは、暗黒の北の大地のようだ。
出征する兵士の如く、太秦社長から形見の品を貰おうとするも失敗。
肝心な時に、高価なネクタイピンを貰うアプローチが拙かった!

私の履歴書・230

社長室を出まして、廊下を歩いていますと、かって部下だった田辺君とバッタリ。
(1982年BB課からの転属・5ヶ月間の部下)

「水無瀬常務、お久し振りです」
「おう! 田辺君! 元気にやっちょるか?」

「今度、結婚することになりました!」
「それは目出度い! で、相手は社内? 社外?」

社内結婚です」
「そう言われても、最近、本社の女性はトンと分からん!」

「グループ会社管理室です」
「そこに今行く所だよ。あそこでは女性は二人。
痩せた坂尾さんと、太ももが丸太んぼだが足首がキュッと細い奈美子さんだが?」

「その、太ももの丸太んぼの方です」
「それは失礼! で、何でまた彼女と結婚することになったの?」

「彼女、BB営業部の細目君と同棲していましたが、私が奪ったのです」
「何とぉ~~! 同僚じゃないか! 凄いことをやるもんじゃ!」

「彼女は優しいんです。どの女性よりも」
「早速、これからその部屋に入ったら、オメデトウ!と言うよ」

びっくり仰天。
私の知らない間に時代は変わっていたのですね。男女関係の。

室に入ると、池内室長が書類を積んで待ち構えていました。

先ずは、丸太んぼの奈美子嬢に「コングラチュレーション」と言いながら、彼女の肩を両手で揉み解す。
彼女、22歳。

もういいだろうと手を離したら 「もっとしてェ~」
池内室長の部下・佐々課長 「水無瀬常務、その肩はいつも凝っていますから、幾らやっても同じですよ」

私 「いや、実は、本当は坂尾さんの方を揉みたいので、これはイントロ」
坂尾嬢も22歳。

かっての本社勤務の時代、偶々社員旅行の宴会で隣席になり、親しくなった女性。
社員旅行以降、廊下ですれ違う都度、お互い、手を振ったりの極上の笑顔。

坂尾嬢 「私は結構です。肩は凝っていませんから」
佐々課長 「そうだろう。だいたい所帯持ちから肩を揉まれることを喜ぶ若い女性なんていませんよ」

と言うプロセスを経て池内室長と膝を合わせました。

聞きますと、㈱ウズマサの北海道での歴史はややこしい。
紙に書かなきゃ分からない程の代物。

       ☆       ☆       ☆

ややこしいので、要点だけ述べますと次の通り。

北海道に販売拠点が無かった㈱ウズマサは、A社の通信機器販売網・B社(本社札幌市)を引き継いだ。
尚、A社とは、本社東京で東証一部上場会社。

昭和40年代後半の事。(1971年以降)

㈱ウズマサは、このB社販売ルートに当時本州で爆発的に売れていたS社製低価格商品M機を流す。
B社販売ルートとは、全道各漁港にある現地通信機器販社七社。


このM機、北海道でも同様、爆発的に売れた。
販売価格は、値引きなしの定価19.万8千円。

稚内や網走、釧路から、小売店が直接札幌まで買いに来た。
売店主は待ちきれなく、自らトラックを運転して。

M機は、全道、津々浦々まで一気に普及。
儲かり過ぎて笑いが止まらない。

然し、人の子。儲けの分配で騒動勃発。
他方、市場は反動の低迷期に入る。

次の手段は、㈱ウズマサとB社長とは折半で札幌に新会社Cを設立。
社長はB社のB社長が就任。

濡れ手に粟の楽な体験をしてしまうと労苦を厭い、待ちの営業が続く。
業績は伸びず。次々とライバル社に根こそぎ市場を奪われていく。

見かねた㈱ウズマサは、C社を解体。

C社の田原常務とC社社員30名を引き抜き、新会社「北海道ウズマサ㈱」を設立。
ここに、官庁OB6人も含めて、36名でスタート。 更に社員を募集して社員60名に。

然し、依然と業績は回復せず。
会社は大赤字。

マーケットシュアーは惨憺たるもの。
札幌では30%台だが、全道ではここ10年間と同様10%台。

この北海道は、太秦社長の直轄の地。
これ以上失敗を繰り返したら、社長の責任問題に発展してしまう。

そこで「北海道ウズマサ㈱」を解散し、今度は改めて㈱ウズマサ札幌営業所として再起を図ろうというもの。

       ☆       ☆       ☆

その白羽の矢と言おうか、ドツボの矢と言おうか、当ったのが私と言う訳。

話を聴き終わった時には、思わず大声で笑ってしまいました。
過去十年間、太秦社長が北海道再建の為に、これぞと言う人間を本州から何人送り込んだのか!

誰一人として成功していない。
太秦社長の取り巻きとは、何てドジな連中の集団なのか!