泥船だった渡りに船
私の履歴書・84 |
《渡りに船だった理由》
何故に、渡りに船とばかりに、東山二条から新聞配達所の宿舎・一軒家に移り住んだかと申しますと私なりに理由があったからです。
つまり、ぬるま湯に漬かってしまった自己を何とか立て直そうと、住み込みのアルバイトを辞めて東山二条に引越しをしたのですが、問題は、この住居。
部屋は中二階の三畳間。日は当たらない。風もそよとも来ない。下からは釜の蒸気。つまり、私は蒸篭(せいろ)の上のシュウマイ。部屋は湿気でじめじめ。それに寒い。洞窟の中ですね。
ある日のこと、この家の姪である女子大二年の娘さんと、隣の家の19歳の家事手伝いの娘さんとの三人で近くの岡崎の京都アリーナへスケートに行きました。
その夜、高熱40℃。見事に風邪を引きまして寝込みました。部屋が寒かったですからね。
一時帰郷していた友人が訪ねて来まして私の状況を見てホテルへ連れていってくれました。
一時帰郷していた友人が訪ねて来まして私の状況を見てホテルへ連れていってくれました。
当時、近くには普通のホテルが無かったですね。あるのは、岡崎法勝寺町にある連れ込みホテル。
但し、一般的に想像する連れ込みホテルとは全く違いました。
但し、一般的に想像する連れ込みホテルとは全く違いました。
有名なのは「ホテル石庭」「ホテル嵯峨野」。閑静な杜の中にある落ち着いた部屋。豪華な調度品。当時の京都の若い娘さんの憧れのホテルでしたよ。
この「ホテル嵯峨野」に宿泊。大きなダブルベット。夜通し熱でうなされました。翌朝、厚さ30cm程あるベットのクッションをめくりますと、それを突き通してベットの土台まで濡れていましたね。寝汗で。
こういうことですから、一刻も早く、この湿気の多く寒いうなぎの寝床を脱出したかったのです。彼等の好意は、私にとりましては渡りに船。早速、新聞配達所の寮となっている一軒家に引っ越したのでした。
《リチャード・キンブルとは訳が違う》
私「今でなきゃならんのか。明日にしてくれ」
彼「明日では遅い」
彼「明日では遅い」
私「新聞配達は、どうするんじゃ!」
彼「なんとかなるべ」
彼「なんとかなるべ」
私「行くならちゃんと店主に挨拶して行けや」
彼「時間が無いべ」
彼「時間が無いべ」
私「札幌の彼女には連絡したのか?」
彼「後で手紙書く」
彼「後で手紙書く」
私「一人で行くのか?」
彼「ここの集金担当の女と一緒に行く」
彼「ここの集金担当の女と一緒に行く」
なんと、いつの間にか、ここの新聞店に勤務している25歳の女性とねんごろになっていたのか。
私「どこに行くのだ!」
彼「京都駅に行ってみて直ぐに乗れる電車に乗るから分からね」
彼「京都駅に行ってみて直ぐに乗れる電車に乗るから分からね」
彼は、ボストンバック片手に、「すまん」と言って小走りで走り出した。
むこうで、こちらを向いて我々にお辞儀をしている彼女に向かって。
むこうで、こちらを向いて我々にお辞儀をしている彼女に向かって。
我等三人は、狐に包まれたように、ぽか~んと見送るだけ。
はっと気が付いた。彼は逃げると、あとはどうなる??
今から、新たに部屋を探して、今夜中に引越しするのは、不可能に近い。
今から、新たに部屋を探して、今夜中に引越しするのは、不可能に近い。
「集金した金を持ち逃げしているかもしれない!!」とね。上坂君の物を、先ず押さえるべしで、一軒家にやって来ました。そこには、見知らぬ私がいたのです。
私は、学生証を出して、ここに来た事情と、店主の許可無しに住んだ事を詫びたのですが。
そんなことで、収まるはずはありませんね。
そんなことで、収まるはずはありませんね。
つづく