涼しかった五年前

写句詩(うつくし)
イメージ 1

朝顔一輪 蝉無言」

昨日はお彼岸の中日。今朝は曇りですが、依然と朝から蒸し暑くなりました。
朝顔とつるりんどうは、益々咲く花の数が増えました。

下記散文は、五年前の9月8日、東京の友人に書き送ったものです。この日の前日は、夕方から突然寒くなり、翌朝、朝顔は咲きませんでしたし、前日まで喧騒たる蝉の叫びもビタリ!と止みました。
五年前の九月上旬には、もう秋が来ていたのですね。

尚、当初、「朝顔咲かず」でしたが、朝顔の花の無い写真は寂しいですからね。
写真に副うべく「朝顔一輪」に変更しました。この写真を撮った朝も寒く、一輪しか咲きませんでした。



【 神田さまへのFAMメールの中から、2002年9月8日送信分より 】

午前四時覚醒。寒い。何故か土日は、前日作業をしなかった場合のいつもの目覚めの時間。
神は、私に、早起きして作業せよとの仰せか。

着手するもつまずく。迷える私の脳回路は、あれやこれやとON/OFFの繰り返し。
これが二時間も続く夜明け前。

疲れた! 熱い一杯のコーヒーでくつろぐ。夜が明けて来たらしい。
南側の二重窓を開け朝の空気を吸い込む。

おかしい。何か変だ。窓を開けると、喧騒たる蝉の声が飛び込んで来るのだが、今、凛(りん)とした静寂が漂う。まさか?と北の窓を開ける。

響くは、時たまの鳥の甲高い叫び。駅のアナウンス。動き出したらしい街の音。
あの海鳴りのような蝉の叫びは何処に。

そういえば、朝顔、毎日数個の赤紫の優しい花。どうした訳か昨日の朝は一輪も無し。偶々と思っていたが。やはり、今朝もその影無し。そうか、秋なのだ。

一昨日まで35℃、三日間。然し、九月。大自然は、やはり、秋なのだ。
夏の一瞬に懸ける、全てのつわもの供の夢は、もう終わったのだ。

西の天王山に微かに陽が差し込む。
平安時代後鳥羽上皇が狩で戯れた小高い山。そこに流れる水無瀬川

いにしえ、京都嵯峨野の藤原定家が、嵐山に流れる桂川に舟を浮かべ、宇治川との合流点、淀に下り、更に、水無瀬川を上がる。そこは、栄華を誇る広大な水無瀬離宮。後鳥羽と定家の新古今和歌集の編纂地。

今は、小さな水無瀬神宮として、跡を留めるのみ。
敗者の残せるものは、文学と、歴史と、存在したという微かな傷痕のみか。 (一部割愛)