三途の川
私の履歴書⑥ |
四歳の夏、母の父が危篤との電報が来ました。
母は、取りも直さず私の手を引いて母の実家・仙北郡神岡村に向かいました。
母は、ヒッチハイクもどきで大型トラックを停めたのですが、乗るスペースは荷台にしかないのです。
しかも、空いている場所は、運転席の後ろの荷台の釜の焚き口のみ。
当時はガソリン車ではなく木炭車。
この釜は、ドラム缶程の大きさで常に薪を焚いていますから熱いのなんの。
更に、この日は、特別の炎天下で暑い暑い。
焼き芋屋の釜の横に乗ったようなもの。
途中、分かれ道で下車し、松本須山バス停(当時、下川大内村松本)で暫し待ってバスに乗車し岩谷駅まで行きました。無論バスも木炭車です。
岩谷駅から羽越線で秋田駅へ。そこから奥羽本線で神宮寺駅に到着。臨終には辛うじて間にあいました。
焼き芋屋の釜の横に乗ったようなもの。
岩谷駅から羽越線で秋田駅へ。そこから奥羽本線で神宮寺駅に到着。臨終には辛うじて間にあいました。
亡くなってから間も無く、裏の雄物川の近くで遺体を焼くのです。
キャンプファイヤーのように木が四角に高く組まれた上に棺桶を載せ点火。
途中、遺体が突然蓋を開けてガバッと起き上がると言うので、傍から母屋に連れ戻されました。
葬儀が済んだら、遺骨を墓に埋葬に行くのです。
墓は、雄物川の向こう側にあるのですが、当時、橋は無く、渡し舟。対岸から何十メートルもロープを張っており、船頭がそのロープを手繰ると小船はヨヨと進むのです。
後日、この時の光景を思い出す都度、あれが三途の川かとだぶってしまうのでした。
途中、遺体が突然蓋を開けてガバッと起き上がると言うので、傍から母屋に連れ戻されました。
墓は、雄物川の向こう側にあるのですが、当時、橋は無く、渡し舟。対岸から何十メートルもロープを張っており、船頭がそのロープを手繰ると小船はヨヨと進むのです。
参考)当時の汽車は、石炭車。汽車の窓から顔を出していると、飛んでくる煙と石炭の粉末で、顔が真っ黒くなったものです。
それに、連結している客車の数が少なく、混むと、貨車に乗ったものです。
(写真、左がワム 右がトム)
それに、連結している客車の数が少なく、混むと、貨車に乗ったものです。
(写真、左がワム 右がトム)
母の実家にて、母方一族。中央が母の父母。母の父が亡くなる2年ほど前かも。
私は、その間の真後ろに立つ日焼けした背の低い悪がき。
私は、その間の真後ろに立つ日焼けした背の低い悪がき。
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(画像借入先)
木炭トラック トヨタ博物館
木炭バス 広電
蒸気機関車
http://rail.hobidas.com/kokutetsu2/archives/0010-14/0090-8/
ワム画像
http://www5f.biglobe.ne.jp/~y_ich/FC/CAR/VAN/WA/WAMU80000.htm
トム画像
http://satoyama.in/auto/sharyo/auto861.html
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木炭トラック トヨタ博物館
木炭バス 広電
蒸気機関車
http://rail.hobidas.com/kokutetsu2/archives/0010-14/0090-8/
ワム画像
http://www5f.biglobe.ne.jp/~y_ich/FC/CAR/VAN/WA/WAMU80000.htm
トム画像
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