霊界からの訃報


私は、京都・山科の岡本さん宅に留守なのに上がり込み、ちょっと寒いのでおこたに入った。間もなく、増井(浅井)のばあちゃんが帰ってきた。

(あれ? ばあちゃんはとうに亡くなったはずなのに)

「岡本さんは?」と聞くと、ばあちゃんは言う。
「一昨日、亡くなった。」と。
「幾つで?」と聞くと、
「113歳か、116歳。」と言う。

私は疑問に思った。
岡本さんが存命なら今年は95歳のはず。

「何の病気で?」
「京大の先生が、何とか言っていたけど…」

ここで画面は、大きなガラス窓の白い部屋に変わった。
恐らく病院であろう。

ここで目が覚めた。
右肩が布団からはみ出していて寒い。

それにしても不思議なこと。
あれやこれやと思いを巡らしていると、あっと気が付いた。

113歳か116歳というのは、ばあちゃんの存命中の場合の年齢なのだ。「幾つで?」との私の問いにばあちゃんは自分の年齢を言ったのだと。

私は起きて時計を見ると午前5時前。夢は午前4時半。
やはり、ばあちゃんの霊魂があの世にご帰還する時刻。

ばあちゃんは内縁の夫・岡本さんが亡くなったので一時的にこの世にご帰還されていたのか。

この夫婦は昭和50年代初めに山科に一戸建てを約2900万円で購入し住む。その後、我等家族は同じく昭和50年代、東京や広島勤務時代、正月や連休の時は、車で実家の如く訪問したもの。

(写真)1979年(昭和54年)増井のばあちゃん、岡本さん、私の娘(当時四歳)。この時は広島勤務で息子が生まれたばかりで私と娘の二人で訪問。

それから何年後でしょうか。ばあちゃんが亡くなったのですが、即座に岡本さんの妹夫婦がこの家に入り同居を始める。

巷では、余りにも早い妹夫婦の行動に、岡本さんに子がいないこともあり、あの家を乗っ取る算段だとささやかれたもの。

以降、それ故に私の足は遠ざかるも、10年前、訪れようと家の傍まで行ったが、その時、何故か玄関が開いて外に出ていたのが妹の旦那。私は結局訪問することなく、そのまま帰ったのでした。

増井のばあちゃんは、岡本さんが亡くなったのであの世から一時的に帰還され、その足で私に岡本さんの逝去を知らせたのでした。

やはり焼香するのでしたら、岡本さんの霊が在宅の49日以内がいいでしょうね。つまり、年内には訪問しようと思います。

(参考)
私の履歴書・20代編
春夏甲子園・鉄人衣笠の思い出
増井のばあちゃん一家は、満州で使用人20人ほどの化粧品販売数店舗の商売をしていましたが、昭和20年代前半、命からがら満州から舞鶴港に引き上げ、京都・下京区若宮通正面下ル鍵屋町の銭湯丁字湯の南隣の家を借り、ここで商売を始めました。

丁字湯