別府:赤面に好感を抱く女性科長
私の履歴書:50歳代編
『別府:赤面に好感を抱く女性科長』
平間君のことについて、前回記事『私の履歴書:60歳代編忘却出来ぬ在職中の虐待』の中で書き足らないことがありましたので追記します。
彼が福岡支店課長から大分出張所に転勤したものゝ、自社の弱い地域での出張所長ですから、営業は彼一人にメンテナンス要員が一人の二名体制なのです。でもここなら暇ですからいつでも抜けて透析に行けるのです。
その彼は、自社製品で私の部署が販売する病院向けの機器販売に尽力しました。特に別府の公的病院への販売実績は彼ならではのことだと思っています。
彼は私の東京単身赴任前後、度々私に大分出張を要請してきました。都度、彼は大分空港に迎えに来ました。
当時の大分空港と言えば、田舎の駅舎に毛が生えた程度のもの。
この空港で離着陸する都度苦笑したものです。
でも今は空港は移転し、立派な姿に豹変したようです。
彼が私を乗せて真っ先に行くのがお天道様がまだまだ上にあるのに宿へ。つまり私のその日の仕事は伊丹か羽田空港から大分空港まで。
その宿というのがJTの別府保養所で『志高寮』(しだかりょう)と称しました。
(注)住所 別府市上原町1-13
但し、現在この建物はなく、住宅地になっています。尚、ここの跡地の一部に現在銭湯『上原(かみはる)温泉』がありますが、ひょっとして元JTの泉源かもしれません。
ここに宿泊出来たのはJTOBの紹介です。
私は部外者なので、宿泊料金は一泊二食付きで4千円前後でした。
夕食までは時間がたっぷりあるし、やることはその宿の温泉に入ることでした。浴槽の大きさは6畳程の自家泉ですから、まさにかけ流し。湯につかりながら結構大きな池の鯉を眺めていました。
夕食は、ここで調理人の豊後水道の関サバ・関アジの自慢の味講釈を聴きながらです。
翌朝は彼の迎えが10時ですから、それまで朝風呂を二度ほど。
当に湯治もどきの保養地『志高寮』でした。
彼との訪問先は、別府市内の公立・公的病院ですが、内、彼が受注し納品した公的病院での滞在時間はいつも最長です。
彼が何故この病院から受注出来たかが分かりました。
彼はここの女性科長と会う都度、顔が真っ赤になるのです。
それに他の人との会話と違って一生懸命話すのです。
成程、彼はこの女性科長にしびれている。
年齢は40歳過ぎの他人妻で柔和さと知性の溢れる整った顔でした。受注出来た理由は、女性科長のみならず、そこの科員全員が、彼の豹変する赤面と熱意ある話で、彼を純朴と看做した故と思われました。それは彼女達の勘違いであるかどうかは別として。
他方、京都での医療関係の学会へその女性科長が来たときは、彼女たちの夕食後に迎えに行き、数人を夜の祇園で接待しました。
そのような経由で、この病院からは追加の購入や買い替えでも競争入札することなく㈱ウズマサ単独で受注できました。
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尚、個々の病院と新規取引するには大変な困難を伴います。病院出入り業者が各部署と密着していますから、その壁を打ち破るのが難しいのです。
特に病院職員の学会への参加などは個人負担が大半で、参加費の他に交通費・宿泊費も身銭を切るのです。
ですから、この相談をかけられるチャンスは取引の無い業者にはなく、あるとしたも、従来の業者が大チョンボをした時ぐらいでしょう。
或いは、誰が見ても従来にない素晴らしい特許製品で病院の収入アップに貢献できる場合や、作業工程を、或いは作業負荷を大幅に減らすことが出来る場合です。
私が在職中、大手公的病院三組織の各東京本部に通いましたが、各本部は傘下病院を単に紹介する程度しかなく、やはり個々病院の部署(科)と地元の営業員が人間関係を作れるかどうかにかかっていました。
成功事例としては、大手病院組織の近畿地方病院で管理職で定年退職され、現職中、部下の面倒見が良かった方を採用したケースです。この場合は7割の病院に自社製品を納入できました。
他の地方でも同様に管理職OBを採用したのですが、現職中での部下からの信頼度が低く、大した実績を上げることが出来ませんでした。
※私の履歴書40代本社編目次
※私の履歴書50代東京編目次
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