女性誌が誘導した女性社会


私の履歴書・50代編

女性誌が誘導した女性社会

1998年のある月の新宿の子会社NK社の月例役員会議でのことです。

場所は千代田区の自社ビル4階会議室。出席者は、本社太秦社長、山村常務(入社当時の私の上司)、同じく本社経理部長と私の4名。

子会社NK社側は、川口社長、町田専務、中田常務、それに経理課長の4名。会議はいつもの通り、NK社の報告と今年度の最終予測などの一連の報告や質疑応答が終わり、余談に移りました。

そこで、最近の若者の状況についての話題となった時に、誰かがこんなことを言いました。「今の女子中学・高校生は、自分が履いたパンティを売って小遣い稼ぎをしている。」

この話なら週刊誌などで全員知っているので別にびっくりするようなことではなかったのですが、中田常務がとんでもないことを言い出しました。

「偶々、中学2年の娘が読んでいる少女向け雑誌を見ると、何と、SEXのことまで記事にしている。それも体位の色々な図解付きだ。マンガの少女雑誌にだよ。」

私達は、「へぇ~、時代はそこまで進んだのか。」と顔を見合わせました。

中田常務は更に話を続けました。「何と、その少女雑誌には、ピンクローターの通販広告まで載っている。」

私達はきょとんとしました。ピンクローターって何か怪しげな名前だが皆その名を聞くのは初めてです。

彼は一段と声を張り上げて言いました。
「女のマスターベーション器だよ。電動式バイブレーションの。」

私達は皆「エェッ?」と驚嘆の声を上げました。
彼は猶も話を続けました。

「ピンクローターを持っているのか、と娘に問いただしたら持っていると答えやがる。頭にきたので、娘をひっぱたいてやった。娘に手を上げたのはこれが初めてだったが。」

私達には衝撃でした。齢14歳の女の子がそこまで目覚めているのかと。

その会議は例月の如く会議用昼食弁当を食べ終わって閉会となりました。私は、3階の自部署の部屋に戻り、淀川取締役の秘書役の鈴木嬢(仮称)に問いかけました。

彼女は都内の4年制のお嬢さん大学から新卒でウズマサに入社して2年目です。色白で多少ぽっちゃりしていて、清く澄んだパチクリの大きな黒い瞳。全体から育ちの良さと高い気品のオーラが漂い、その瞳で彼女に見つめられたら、男はイチコロだろうと思へるレベルです。なるほど、彼女の父親は、霞が関のある省庁の上級管理職であることが彼女の評価をより高めていました。

私は彼女の耳元でこっそり囁き(ささやき)ました。
「さっきの会議でピンクローターの話になったけど知っているの?」
彼女は躊躇することなく、いかにも当然の如く
「私、持っていますよ。」

またまたびっくりポンでした。まさかの事態。
「エッ、買ったの?」
「友達が新しいのを買ったので、私、お古を貰ったの。」

私達二人のヒソヒソ話に10m先で地獄耳をそばだてていた福知部長と足立課長がやってきました。こういう話はよく聞こえるんですね。遠くまで。

足立課長、「今の若い女の子に限らず、中年おばさんでもそれは持っているよ。」

福知部長が負けじと自慢気に言います。「うちの高校生の柔道部の息子なんかは、うちの二階に同じ学校の女子高校生を連れ込んで同棲しているよ。毎日二人はうちの家から通学しているんだ。」

足立課長、「よくぞ女の子の親も黙っているもんだね。」
福知部長、「先方の母親が、娘をよろしくお願いしますって挨拶に来ているんだ。」
私、「親が親なら、子も子だね。あんたとこの夫婦の子だったら、寧ろ当然かも。」

この福知夫婦、練馬の家族寮二階に住居時代、凄まじき夫婦喧嘩で名を馳せていました。

亭主が浮気を繰り返し、怒った妻が、お茶碗などを亭主に思い切り投げつけるから、そのお茶碗や皿やコップなどが窓から階下の関東メンテナンス会社の事務所の通路で割れて砕ける。それも度々。うかうか下を歩いていては頭にあたる。

福知部長は更に言います。
「女房が出刃包丁を投げたんだ。それが僕のほほをかすめて、板の扉にドスンと刺さったんだ。」。それを自慢げに言うものだから呆れました。

後日、鈴木嬢の、「今の女性誌は年齢にかかわらず性に氾濫しているから、AnAnなどを見たらよく分かるでしょう。」とのサジェスチョンで、私は京都本社での会議の折、近くの懇意なイタリアンレストランの女性マネージャーに聞いてみました。

「そうですよ。よく読まれているから、うちの店でも待ち時間用に置いてあります。」。

そこで雑誌差しからAnAn(アンアン)ともう一冊をとり、中を検証しました。

やはりそうでした。その二冊の女性誌ともプレイボーイ誌には決して載ることのない激しいものでした。それぞれ競うように各号に特集編のSEXページがあるのです。


マネージャーの話によると、これらの雑誌の発売日には、小学高学年の娘に買いに行かせ、そして娘と二人で読んでいる母親もいると聞いて呆れるばかり。


やはり、1980年代のバブル期をマハラジャなどのデスコで20代や30代の青春時代を過ごした女性たちは、親になっても違うのだそうです。

この話を東京に帰ってから足立課長に言うと、思わぬことを聞かされました。

   つづく


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