❽予期していた仕打ち



❽予期していた仕打ち

企業はトップの器以上にはならない。
企業とは、そういうものですね。

翌月初の太秦社長主催の部長会議では、いつもの様子と違って、社長の私への罵倒の言葉は皆無でした。

不思議なことでした。年が明けての月初の部長会議でも同様に皆無でした。

これは異常。何かあるな。

案の定、2月になって、私の部署を企業向けと病院向けとに分割した内の企業向けを担当した町田部長(子会社NK社専務)が外れ、代わって福知参事が部長として就任するということです。

福知参事というと、私の札幌所長の後任で、吉田専務の義理の弟なのです。

(福知参事のこと)
私の履歴書・369とうとうきた転勤命令
私の履歴書・374 怒り狂った彼の妻が包丁を投げる
私の履歴書・(60歳代編) 北海道の社員の給与問題 

あゝ、彼の能力では、自社での企業向け新製品の開発は終わりか、と思いました。

東京の営業本部の同じフロアに彼は着任。
着任早々、上司である淀川取締役本部長に揶揄(やゆ)されました。
「福知部長は、足し算引き算がまともに出来ない。」

淀川本部長に提出する書類の計算がいつも違うのです。
それに言うことがさっぱり要領を得ないのです。

更に、月初の部長会の2~3日前には、あちこちの支所に電話を入れ、何かいい話はないかと聞きまくります。それを自分が指導した結果であると部長会で報告するのですから、呆れるばかりでした。

他方、不思議なこともありました。
本来、企業向け機器の設計・製造をする子会社・三島社と、子会社の販売会社NK社との新製品設計や製品改良会議に彼は出席しないのです。

それに、太秦社長主催のNK社の役員会議にも出席せず、何れも継続して私が出席したのです。

本来は福知部長の担当のはず。理由は分かりませんが、どうやら出席しないようにとの上からの指示があったことは確かです。

そうこうしている内に一年弱が経過しました。
今度は、同じ部長でも、福知部長が私の上司という地位に就きました。

そういうことだったのか。

私が40歳代後半の本社営業企画課長時代、仙台支店所属の所長連中からは、仙台支店長待望論が噴出していましたが、この騒ぎは東北のみでのこと。

然し、今回は違います。工場のみならず京都本社内で製造部の連中が私の製造部長待望論を熱く訴えたからです。男山製造部長の心境は穏やかではなかったでしょう。

それにしても、このような社長人事は、吉田専務とやり手の山村常務(元入社当時の私の上司)との間でもあったことなのです。山村常務の頭を抑えるために吉田専務を上位にしていました。

所謂、男の嫉妬でしょうか。
或いは、将来の危険人物と看做(みな)されたからでしょうか。
トップをはじめ、上位者は、自分の保身のために、自分を脅かすであろう者を予め蹴落としておこうとするのは戦国時代でも今でも変わらないこと。