❸絶体絶命 それでも途はあるのか


私の履歴書50代編

(これまでのあらすじ)
東大阪の下請けHO社の工場が放火で仕掛品とこれから使うプラスチック成型品の全てを熱でやられる。然し、受注している大半の納期は2か月半後の3月中旬。通常の対応では7か月後となる。病院や施設では、我が社製品を3月から導入する旨、掲示したり院内説明会をしている。のみならず対外的にも公表している。更に、納入が7月となれば、その損害賠償額は概算で1億円。さてどうするか、どうしたのか。

❶下請け火事による正念場 2017/11/7(火)

❷第一関門はこうしてクリアしたが 2017/11/7(火)

❸絶体絶命 それでも途はあるのか

繰り返して伊田課長は言いました。
「3月15日までと言ったけれど大丈夫ですか?」
「大丈夫なはずはないじゃないか。」
「部長、下請けは1社や2社じゃないんですよ。」
「分かっとる。」
「何社もの下請けにパーツを作らせる必殺技でもあるのですか?」
「ナッシング。何もない。」
「何もないのにタンカを切ったのですか?」
「そうだ。」
「・・・・・・」

伊田課長よ。ごちゃごちゃ言わずに、最も難関と思える下請けは何処か?」
「神戸の向こうにあるAプラスチック社ですよ。」
「社長は堅物か?」
「そこそこ堅物ですが、気はいい人ですよ。」
「よし、そこに行こう。」
「これからですか?」
「そうだ。」
「でも、恐らく社長は断ると思います。」
「どうして?」
「この暮れから来春にかけて工場はメイチで動いていますから。」
「然し、そこがプラスチックの成形品を作ってくれなきゃ、全てのことが前に進まないと言うことだ。そこから行こう。」

伊田課長は、阪神高速にハンドルを切りました。

運よくAプラスチック社のA社長は在社していましたが応接中でした。私たちは暫く待った後、A社長との面談を始めました。

先ず、伊田課長が東大阪のHO社の組み立て工場の放火の新聞記事のコピーを広げ、組み立て中の仕掛品(しかかりひん)のみならず、倉庫に保管してあるプラスチックのパーツが熱で全てやられ、微妙に変形し、使い物にならなくなったと話しました。そして3月中旬までに是非新たに成形して欲しい旨を伝えました。

A社長は、気の毒なことだが、自社では対応が出来ないとの回答でした。私は、B5のノートを広げてから、A社長に出来ない理由を尋ねました。

A社長の出来ない理由は主に以下の三点でした。

(その1)「要望するカラーのペレット(粒子状のプラスチック)はメーカーに在庫がないし、今からオーダーしても最短で6ヶ月を要する。取引単位は1トン。」


(その2)各射出成型ラインの大日程表を広げながら、「工場はこのようにフル稼働で、今でも毎日残業してもらっており、新たなことに着手する余裕は無い。」

(その3)「よしんば出来るとしても、射出成型したパーツは温度と湿度で微妙に寸法が狂う。ここでカットしたパーツで、果たしてうまく組み立てられるかどうか。」

私はその3点をノートに記入し、そして読み上げました。
A社長はそうだと言わんばかりにうなずきました。そして「工場を案内しましょう。」と立ち上がったので、私たちもA社長の後に従いました。

工場は細長い建物で、中に入ると作業員があわただしく動き回っていました。凡そ30人程で、大半はおばさん達でした。


ホッパーに投入されたペレットは、シリンダー内部で加熱され溶解し、それがノズルから出てきてから金型を通って外気と直接触れます。

その時に成形していたのが、幅10cm程の帯状のもので、それが20m程伸びた先では指定された寸法にカットしていました。今でしたら、大半が自動装置になっていますが、当時の町工場では手作業が主流でした。

伊田課長が顔をしかめながら私にささやきました。
「水無瀬部長、これではどうしようもないですね。」

(続き)         
❹社会への貢献の熱意は伝染する 2017/11/10(金)
人は、社会に、他人のために、何らかの貢献をしたいと潜在的に思っている。