鳥海山五合目『東雲荘』盆休残念


8月15日、レンタカーに息子を乗せ、象潟(きさかた)から鳥海ブルーライン鳥海山(標高2,236m)5合目の鉾立(ほこだて、標高1,150m)の駐車場の象潟口登山道からちょっと上にあるTDKの『東雲荘』(とううんそう)に向かいました。

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※上記地図の上方(北)の赤い印の場所が私の生誕地。(現、象潟町長岡)
『私はこうして生まれた』 2016/3/16(水)

鳥海山の上部は厚い雲で覆われています。
そこで鳥海ブルーラインの途中から日本海を展望するビデオを撮りました。

やはり、5合目の鉾立(ほこだて)では四方八方、雲に覆われ視界不良でした。
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鉾立(ほこだて)駐車場に車を停め、鳥海山登山の象潟口・鉾立ルート(さきかたくち・ほこだてルート)の入口から200m弱登ると『東雲荘』です。

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鳥海山象潟口、鉾立登山道入口(この画像は借用しました)(註1)

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※「高松宮同妃両殿下御来荘記念」と書かれた木の碑が立っている。

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(看板の案内文)『TDK創立者である初代社長斎藤憲三氏(地元出身)の意向により、登山を通して従業員の健康増進を図ることを目的に昭和44年6月(1969年)に、山荘として建設されたものです。』

昭和40年代の初代管理人は、私の父母の知人の「齋藤大(まさる)」さんで、2004年12月に逝去(享年84歳)されていまして、その命日が2001年亡くなった母の命日と同じでびっくりしたものです。

(私のブログ記事)
『人間、こうありたいものですね』 2011/9/12(月) 
故、管理人齋藤大(まさる)さんのお人柄を忍ばせる記事。

その管理の後を継いだのが齋藤大さんの長男齋藤惣一郎さんなのですが、電話によると現在は斎藤さんの親戚の同じく斎藤さんという方が管理をしているとのことです。

そこで現在の管理人の斎藤さんに会えるかもと思ったのですが、残念にも盆休で「東雲荘」には鍵がかかっていました。
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会えなく残念でしたが、備え付けのベンチで暫しの休息をとらせていただきました。
実は、力(まさる)さんの長男齋藤惣一郎さんに力(まさる)さんの10歳代の頃の写真を頼まれていたのです。

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処が、何年か前に田舎の空家に泥棒が入り、父が戦前から撮ったガラス乾板(白黒反転のガラスのネガ)(註2)をごっそりと持って行かれたので探し用がなくなりました。そのお詫びも兼ねての訪問だったのです。

それにしても、ダンボール箱いっぱいのガラス乾板ですので、重さは軽くても100kgはあったはず。恐らく小分けにし、車に積んだのでしょう。

犯人は、ここにガラス乾板のあることを知っている本荘の石脇の者で、玄関に車を停めているのを近所の人が目撃しているのですが、証拠が無いのです。

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息子は、ここから少し登った展望台に行きましたが、常日頃運動不足の私にとっては息切れと脚の筋肉が言うことを聞かないのみならず、五臓六腑までが抵抗しましたから上がるのは諦めました。

息子にとってここの展望台に上るのは約30年ぶりでしょう。
その当時は同じく盆中で、息子の頭と言わず肩や伸ばした指などに赤とんぼがいっぱい停まったものですが、今回は飛んではいるものの、そんなに飛んではいなかったようです。それに雲で視界はゼロに近かったとの由。

それから鉾立の駐車場に戻り、息子が土産物を買っている間、私は北の方角を見ると瞬間雲の切れ目から、私の生誕地である象潟町長岡や小滝方面やを見おろせ、ビデオに撮ることが出来ましたので先ず先ずの満足です。


欲を言えば、もうちょっと上まで見えたら仁賀保高原土田牧場も視界に入ったでしょうに。然し、雲が視界をどんどん覆い、息子が来た時には雲海だらけ。まさに山の天気でした。

(参考)4年前、逆に、土田牧場から眺望した鳥海山
仁賀保高原⇒蚶満寺』 2013/10/3(木) 

それからその日のもうひとつのイベント、岩牡蠣を食べに象潟町に降りて行きました。  続く。



象潟・小砂川の岩牡蠣を堪能す 2017/8/22(火) 



画像借用先
(註1)
鳥海山 象潟登山口 ”鉾立”にて
(註2)
銀塩手帖(ガラス乾板)