学校で教えない帝国陸軍と欧米の歴史
《戦前の日本がどういう国だったのかは外国人の方がよく知っている》
1549年、キリスト教布教の期待をもって来日したフランシスコ・ザビエルは、日本人について次のような報告をローマへ書き送った。
「まず第1にいうべきことは、今までの交際によって知り得た限りにおいて、この国民は、私が出逢った民族の中で、最もすぐれている。
‥‥日本人は一般的に良い素質を持ち、悪意がなく、交際して非常に感じが良い。彼らの名誉心は極めて強く、彼らにとって名誉にまさるものはない。
日本人は概して貧しいが、武士も町人も貧乏を恥と考えている者はない。彼らには、キリスト教国民の持っていないと思われる1つの特質がある。(以下省略)
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駐日フランス大使ポール・クローデルの讃える日本
太平洋戦争のまっただ中の昭和18年(1943年)の秋、日本が敗戦濃厚だった頃に、フランスのパリで晩餐会が開かれました。ここに出席した方に、もと駐日フランス大使のポール・クローデルさんという方がいました。彼はそこでこうスピーチしました。
「私がどうしても滅びてほしくない一つの民族があります。それは日本人です。」
前回記事
この続編です
先人である日本帝国陸軍兵士たちの民族解放の思いを否定し、それは侵略戦争と揶揄して正義ぶる輩は、欧米の黄色人種非人間論に基づく植民地主義を間接的に擁護している。彼らはマルクスの書いた共産主義宣言の本当の目的『国家を破壊し、世界の人類を奴隷化し、世界金融資本による世界統一政府の樹立(ワンワールド主義)にあることを知ってのことだろうか。
『今もインドで歌われる日本兵を讃える歌』 2分45秒
『日本兵士を讃える歌』(古田中勝彦訳)
(1)
父祖(おや)の時代(とき)より
今日の日まで
美しきマパオの村よ
いい知れぬ喜びと平和(やすらぎ)
永遠(とわ)に忘れまじ
美しきマパオの丘に
日本兵来たり 戦えり
インパールの街目指して
願い果たせず
空しく去れり
(2)
マパオの丘に来る
それは四日の火曜日
一九四四年のことなりき
我は忘れじ四月のあの日
(3)
罪なき民も散り散りに
西に東に追いやられ
再び神の恵み受け
集まり住まん
この地マパオに
(4)
広島の悲報
勇者の胸をつらぬき
涙して去れる日本の兵士よ
なべて無事なる帰国を
われ祈りてやまず
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日本が戦争に負けて日本の軍隊が引き上げた後、アジアに残っていたのは外ならぬ日本の精神的、技術的遺産であった。
この遺産が第二次大戦後に新しく起こった東南アジアの民族独立運動にとって、どれだけ多くの貢献をしたかを認めなければならない。
日本が敗戦国になったとはいえ、その精神的遺産は、アジア諸国に高く評価されているのである。
(画像)夫々インドネシアバリ島での日本と共に独立のために戦ったという記念碑。
(画像左)“松井”氏と“荒木”氏の記念碑
(画像右)敬礼している像は “大舘”氏
小学校の敷地内に建てられた10メートル程の高さの記念碑はここの村の方達における寄付金にて建てられた。
「この大戦は植民地主義に終止符を打ち、白人と有色人種との平等をもたらし、世界連邦の礎石をおいた。」
アーノルド・J・トインビー(イギリス、歴史学者)
第二次大戦において、日本人は日本のためというよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々のために、偉大なる歴史を残したと言わねばならない。
その国々とは、日本の掲げた短命な理想であった大東亜共栄圏に含まれていた国々である。
日本人が歴史上に残した業績の意義は、西洋人以外の人類の面前において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、過去二百年の間に考えられていたような、不敗の半神でないことを明らかに示した点にある。(1965年十月二十八日、英紙「オブザーバー」)
ククリックド・プラモード (タイ国元首相 )
「日本のおかげでアジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは難産して母体をそこなったが、産まれた子供はすくすくと育っている。
今日、東南アジアの諸国民が米英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるのか。それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。
バ・モウ (ビルマ元首相 独立宣言より)
約五十年前ビルマは三回にわたる対英戦争の結果その独立を失えり、英国側はアジアに対する掠奪的野望を以て此等の戦争を遂行せり。
英国はさらにその伝統的陰謀賄賂及び想像し得るあらゆる詐欺及び術策の武器をしようせり。
上記以外にも、日本帝国陸軍の評価をした人々の記事。↓クリック
『大東亜戦争(太平洋戦争)の世界からの日本評価(1)』 2014/8/7(木)
【アジア以外の植民地では…】
欧米の白人にとって有色人種は人間ではない
《祝田秀全 「忘れてしまった高校の世界史を復習する本」》
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(アフリカの植民地)
●アフリカの悲劇---貧困、飢餓、部族抗争、暴虐な独裁政治、このまず全部が植民地支配に起因するものである。
《呉智英 「健全なる精神」》
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●韓国併合時代、列強はどんなことをしていたか…
◇イギリス…オーストラリアのタスマニア人(3千人以上)を皆殺しにしている。
◇ドイツ …ユダヤ人のジェノサイドを試みる。
◇アメリカ…奴隷の売買をしたり、買ってきた奴隷と白人とを結ばせ、子供を産ませて大儲けしたりしていた。(奴隷牧場)
…これらに対して日本は、35年の朝鮮統治を通じて、民衆を獣以下の扱いにしたことは一度もない。
《小室直樹 「自ら国を潰すのか」》
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●アイルランドの受難史は、語って語り尽くせない。イギリスの不当な支配は12世紀に始まる。エリザベス女王(一世)はイギリス貴族を入植させた。イギリスの歴史教科書では大英雄とされるクロムウェルは、アイルランドを攻めて数千人を虐殺した。宗教・政治・経済、あらゆる面でイギリス人はアイルランド人を掠奪し搾取した。
●1801年、イギリスに合併された後に起った1845~49年のジャガイモ飢饉。数十万が餓死したが、イギリス地主は平然と小作料を取り立て続けた。死ななかった者は新大陸に棄民された。
●後年、皮肉にもその人々が、テロによりイギリス支配に抵抗するIRAの強力な後援者になった。
《徳岡孝夫 「『民主主義」を疑え!』》
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【アメリカはこういう教科書にしたらどうか】
●ヨーロッパの宗教戦争や国内の政治紛争のため、ヨーロッパに、はじめのうちは特にイギリスに住みにくくなった人たちが(悪く言えばイギリスで食い詰めた連中が)、インディアンが住んでいるところに勝手に侵入してきた。
●はじめ少人数の頃は、仲良くやろうという態度で接していたが、どんどん入植する白人が増えてくると、鉄砲で脅したり、ウィスキーで酔わせたりして片っ端からインディアンの土地を奪っていった。反抗する部族があれば、これ幸いと大虐殺を繰り返した。そしてバッファローなどインディアンの生活基盤となる動物を殆ど絶滅させ、インディアン自体を無力にした。
『昔も今も世界最大の大虐殺国は米国』 2014/5/22(木)
The American Indian Holocaust, known as the “500 year war” and the “World's Longest Holocaust In The History Of Mankind And Loss Of Human Lives.”
It's been well documented that the killing of Indigenous people in the Western Hemisphere since the beginning of colonization has been estimated at 120 million.
西欧諸国がアメリカ大陸を植民地化して以来、インデアンなどの先住民を大虐殺した数は1億2000万人と見積もられていることが文献で証明された。
●広い土地の農業に手が足りないと、アフリカから大量の黒人を奴隷として輸入し、その貿易によってボストンは繁栄し、またその奴隷を使って南部は豊かになった。
●イギリスに防衛を任せながらも、税金を払いたくなくて戦争になったが、イギリスと敵対していたフランスが助けてくれたので勝つことができた。
●独立宣言では「すべての人間は神によって平等に創られ…」などと宣言したが、一応平等だったのは白人の男性、特にアングロサクソン系の男性であり、女性や黒人やインディアンやヒスパニックは平等に扱われなかった。特にインディアンの土地は奪っても泥棒と言われなかった。
●独立宣言文は、巨大な嘘と偽善の文書である。後にテキサス問題を悪用してメキシコシティを軍事占領し、テキサスを自国に編入し、アリゾナ・ニューメキシコ・カリフォルニアなどのメキシコ領を安く売らせて自国のものにした。太平洋ではハワイ王朝を滅ぼし、フィリピンを植民地とした。
●日本が台頭してくると、日系市民を迫害し、土地の所有を禁じ、更にホーリィ・スムート法によってアウタルキー(自給自足経済圏)政策をすすめ、日本がそれに対抗しようとする努力を潰そうとした。そして遂に石油などの禁輸によって、日本の軍隊のみならず経済まで絞め殺そうとした。
●そして戦争になると、日本の大都市無差別爆撃や原爆によるホロコーストを実行した。1日のうちに殺された市民の数は、アウシュビッツ以上である。しかも国際法にもいかなる法律にも基づかない東京裁判をやって、日本を共同謀議による侵略国家とした…。
《渡部昇一 正論2002/11月号》
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●英米蘭などの領土拡張は、生きるためのやむをえぬ進出ではなくて、むしろ一種の使命感の満足であり、ほとんど道楽のようなものだった。
《竹山道雄 「恐れずおもねらず」》
●西欧列強というのは、この何世紀か帝国主義の時代から植民地を多数く持っていたし、その支配する術をよく知っていた。それを日本は持っていなかったから、占領地で批判されるべきことを行い、逆にアメリカは日本で成功した。
●近代日本の最大の欠点というのは、植民地支配に関して、何のノウハウももつ必要がなかったということだろう。(ノウハウをもっていないということは、実は本来は“健全な国家”だったということなのだが)
●ところが、日本はいきなりそういう未経験の場に出くわした。ノウハウもないから、かなり混乱してしまうわけだが、米英蘭はそのノウハウが長い植民地支配で身についていた。アメリカはそれほどではないともいえるが、イギリスはどのように一つの民族を、一つの国家を植民地支配していって、精神まで骨抜きにしてしまうかということに関しては、超ベテランだったということだ。
《保坂正康 「日本解体」》
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●人間の尊厳を無視した冷酷なまでの植民地統治を、なぜ彼らは痛痒も感じずに実行し得たのか。
会田雄次氏が『アーロン収容所』の中で触れているように、端的に言ってしまえば、彼らにとって有色人種は「人間」の範疇に入っていなかったからである。会田氏が捕虜の雑役として英軍士官室を掃除中、その部屋の主の女性士官が彼の目の前で裸になって着替えを始めた。「日本人を含むアジア人を犬か鶏か、家畜なみに思い込んでいる。だから裸を見られても別に羞恥心も働かない」と会田氏は言う。
●そういう目で英国の植民地施策を見ると、なるほどサーカスあたりの動物の調教に似ている。人間(白人)には絶対、勝てないことを鞭(弾圧)で十分、思い知らせて反抗を押えこみ、好ましい植民地人をつくるためには人種交配も平気で行う…。
《高山正之 「日本はどれほどいい国か」》
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●そもそも、満洲事変の起きた1931年は、フランスでも植民地帝国主義が爛熟を極めたとも言える年であった。パリではこの年、「国際植民地博覧会」なる一大イベントが大々的に開催された。これは、それまでの1世紀にわたるフランスの植民地事業を総括し、フランスと植民地が不可分であることを国の内外にアピールするのを目的とした「フランス植民地帝国主義の集大成」といった趣をなすものであった。
●会場にはアンコールワットをはじめ、各植民地の著名な建造物の巨大な複製品が築かれていた。さらに、各植民地から動員された現地住民は見世物同然に来場者の目に晒されるように配置され、民族に優劣の序列をつけるようなパネルも展示されていた。
「東京裁判フランス人判事の無罪論》
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●アフリカの悲劇---貧困、飢餓、部族抗争、暴虐な独裁政治、このまず全部が植民地支配に起因するものである。
《呉智英 「健全なる精神」》
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●西洋がほんとうに文明だというのなら、未開の国に対しては慈愛を本にしてゆっくりと説明しながら開明に導いてゆくのが本当なのに、実際はそうではなく、相手の国が未開であればあるほどむごい残忍なやりかたで自分の利益をはかっているではないか。
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●伝説の女性歌手ビリー・ホリデイが歌った「奇妙な果実」の意味するところは、木につるされた黒人の遺体である。白人の反感を買ったり、犯罪の疑いをかけられたりして、大勢がリンチを受けて殺された。
●ビリーが歌った20世紀まで蛮行は続いた。信じがたいことに、予告されて見せ物になり、女性や子どもまで集まったという。撮影した写真は絵はがきに使われた。
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●英国の植民地政策は狡猾を極めた。まずインド農村の税制を強化、生活難におとしいれ、次にマラヤ、ビルマ(現ミャンマー)など周辺地のゴム園、茶園の賃金水準をインドの3倍以上に設定、インド人が海外出稼ぎに出ざるを得ないように仕向けるのである。
●この政策実現により各地の商品作物の栽培は急増、英国の貿易輸出額の3分の1を占めるに至るのである。
(原本)欧米植民地の残虐さ
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