大東亜戦争:残虐な欧米植民地主義時代
日本が大東亜戦争(太平洋戦争)を始める前の東南アジア諸国の大半は、欧米の植民地であり、そこでのアジア人は人間扱いをされていなかった。これら諸国の人民の独立を助けたのが帝国日本陸軍の大東亜戦争であり、これが欧米諸国や日本の左翼系から言わせると「侵略戦争」であった。
『中国紙が記事にした日中戦争』 2015/4/30(木)
顕著な例としては、1602年、オランダはインドネシアのジャワに東インド会社を設立。以降、植民地では愚民化政策を採り、インドネシアから巻き上げた収益はオランダの国家予算の三分の一。笑いが止まらなかった。
日本人は心優しき侍/世界から感謝される日本【独立アジアの光】
(※)但し、上記のユーチューブの最後に、天皇とマッカーサーと白洲のことが述べられているが、あれは歴史捏造のプロパガンダであるNHKがGHQ(⇒CIA)の指示により創作したもので、完全なるフィクション。
日本帝国陸軍が植民地を解放するまでの欧米諸国の残虐さ
●イギリス人によるオーストラリア原住民アボリジニ殺しは20世紀に入っても続き、ニューサウスウェールズ州立図書館に残された資料には、1927年の日付で「今日の収穫アボリジニ17匹」とある。当時は日曜日にみんなでアボリジニ狩りをしていた。
《高山正之 正論2008/9月号》
※管理者注…「アボリジニ」とはオーストラリアの原住民のこと。
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●インドネシア人は、家畜よりひどい存在として扱われていた。
◇鞭打ち・平手打ちは当たり前だった。
◇粗相をした2人の女性を裸にして、オランダ人農場主がベルトで鞭打ち、さらに裂けた傷口や局部にトウガラシ粉をすりこんで、木の杭に縛りつけて見せしめにした。
◇刑務所で過酷な労役を課せられている囚人が、オランダ人の農場より食べ物がいいからと、出所を拒んだ。
《前野徹 「戦後歴史の真実」》
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●米国はフィリピン人に「スペインの植民地支配を終わらせる」と嘘を言ってマニラに進出し、スペインに代わって植民地にした。話が違うと抵抗するフィリピン人を米軍は徹底的に殺しまくった。米上院公聴会では、殺した島民数を20万人と報告している。
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●岡倉天心…「ヨーロッパの繁栄はアジアの屈辱である」 屈辱的に人員を供出させられたり、資源を買いたたかれたりして、欧州の繁栄を下支えしているアジアの現実がある。
《松本健一 「ぼくらの『侵略』戦争」》
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●レーニン…「ヨーロッパの近代における繁栄は、植民地における豊富な資源の一方的略奪と、安価な労働力の収奪による」
《石原慎太郎 「亡国の徒に問う」》
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●太平洋には2万の島々があったが、原住民は何の防備もせず、海から侵略者が来るなど予想もせず、昔ながらに平和に暮らしていた。
ここに白人海賊たちは鉄砲と十字架を担いでやってきて、片っ端から襲いかかり殺戮と掠奪を繰り返していった。
●無主物先取特権だとばかり、自分たちの土地にしてしまった。「誰も住んでいなかったので、早い者勝ちで自分のものにしたのだ。何が悪いか」という言い分である。先住民が住んでいたはずだが、彼らにしてみれば白人以外は人間ではなく、猿やけだものと等しい存在と見なして平気でいたのである。
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●1900年の時点のイギリスは、天才も秀才もたくさんいたし、人格者も聖職者もたくさんいたはずである。しかし、論理というものがきちんと通っていれば、後に振り返っていかに非道に思えることでも、なぜか人間はそれを受け入れてしまうのである。
●帝国主義が「本当にいけないこと」として認知されたのは、第二次大戦が終わってからに過ぎない。それでも往生際悪くイギリスやフランスは、第二次大戦後もしばらく、何とか植民地を維持しようと無駄な努力を重ねた。
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●西欧諸国がつくりあげた「植民地」とは、白人が主人で、ほかの人たちは奴隷に準ずる存在と考えればいいだろう。
《渡部昇一 Voice2007/9月号》
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●ベトナムなどは植民地統治の結果、固有の文字がなくなって全部ローマ字になっている。
《三宅久之 「『日本の問題点』をずばり読み解く」》
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《藤岡信勝 「教科書が教えない歴史(2)」》
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●インドは昔から木綿産業が盛んだったが、産業革命が起きると、イギリスのマンチェスターから木綿が圧倒的に安い値段で入ってくるようになった。インドで木綿を作って生活している何百万人という人たちが、これにより生活できなくなった。
●普通の独立国だったら、国は農民を保護するために輸入制限をしたり、関税をかけなければならない。しかし、輸入を拒否したくてもできないのが植民地だ。その上、イギリス政府は木綿を作りにくくするために、木綿の作り手たちを何万人も集めて、その手首を切り落とした!インドの木綿工はそのまま仕事がなくなって、餓死してしまった。ベンガルからインド洋まで、何百万人という白骨が並んだと伝えられている。
《福田和也 「魂の昭和史」》
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●植民地時代のインドネシア原住民とオランダ人の所得比は、1:13,000 だった。そうやってオランダの隷属下に置かれていた。
《土屋敬之 「ストップ偏向平和祈念館」》
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●住んでみると気候がいい、地味もいい。それで普通の市民も移住していった。もっとも市民といっても多くは食い詰め者・厄介者で、これがオーストラリアを1世紀にわたって血まみれの地獄に変えた。600万人いたアボリジニは、今30万人が生き残る。ナチスのホロコーストを凌ぐ大虐殺を行った結果だ。(50万人が住むタスマニア島では、その殆どが崖から突き落とされ、銃で撃たれて殺された)
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●別の曜日には彼らはアボリジニの女を犯した。そして妊娠すると豪州政府が出てきて母と子を引き離し、子供だけを白人世界に引き取る。いわゆる融離政策というものだ。
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●植民地時代の、まだ電気による扇風機のない時代のイギリス人は、寝室の天上に取り付けた巨大な団扇を室外から紐を引いて作動させるようにして、原住民の少年に終夜団扇を動かさせたという。
●シンガポールでは、イギリス人の女性は夜になると涼をとるために、人力車を雇い現地人に何時間でも引かせた。
《三浦朱門 「日本の正論」》
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●オランダの植民地支配の残酷さ…
◇蚊に刺されて化膿し、血や膿を全身に流して働く現地人に、薬ひとつ与えなかった。
◇性病が蔓延して、街ゆく男たちの鼻骨が露出しているのは珍しくなかったが、衛生教育ひとつ行わなかった。(オランダ人だけは完璧に衛生的な環境で生活していた)
そのためであろう。日本軍が入ってきたときには、地鳴りがするような歓迎のどよめきが湧き起こったと言う。
《小川義男 正論2005/12月号》
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●だからフランスは都市の数ほど監獄をつくり、それでも足りないからとサイゴン南の島コンダオに4つの監獄と拷問棟「虎の檻」を建てた。ここには屋根がなく、鉄格子越しに生石灰と水を素っ裸の囚人の上に撒いた。囚人はやけどを負い、さらに熱帯の太陽に焙られた。
《週刊新潮2009/1/29》
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●欧米列強の間接統治(例えば、イギリスがマレーシアを統治していた時)…
◇イギリス人は一番上にいるエライ人で、みな政府の高官になる。
◇その下にいて威張っているのはインド人で、警官はインド人の仕事だった。
◇インド人の下で商売していたのが中国人。
◇もっと下でグダグダ酔っ払って寝ていたのがマレー人。
…彼らマレー人を取り締まって嫌われるのはインド人、金を儲けて嫌われるのは中国人、その上に立って「まあまあ」と言っていたのがイギリス人、という植民地統治だった。
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●オーストラリアの代わりに囚人が送り込まれるようになったタスマニア島は、毎年4千人位、1853年までに6万9千人が送り込まれたという記録がある。これはイギリスから送られた囚人の約半数であるそうだ。
●その状況が『豪洲聯邦』(昭和17年9月刊行 宮田峯一著 紘文社→焚書)に残っている…
◇イギリス移民が大挙して原住民の居所を襲い、放火して付近一帯の土地まで焼き払い、そこに本国から持参した穀類の種子を蒔いたようなことは枚挙に暇がないほどであった。
◇数十名の原住民をカヌーに乗せて、沖の方へ漕ぎ出させた後、海岸から一斉射撃を浴びせて、あたかも鳥獣を殺すようにして殺戮したりした。
◇原住民を使嗾(そそのかして)して仲間同志の闘争を惹き起こさせ、彼らの絶滅を図った。
◇原住民が夜中沐浴している時や、野営の篝火を囲んで楽しく団欒している時、突然襲撃して、全団を皆殺しにするような行為もしばしばあった。
◇負傷者は脳を打ち砕かれ、赤子は火中に投ぜられ、まだぴくぴく動いている肉には銃剣が情け容赦もなく突き込まれ、原住民がその周囲で安眠するために取り囲んでいた篝火は、夜明け前に、彼等を焼く火葬の火となった。
…欧米人が日本の「従軍慰安婦」を非難できるのだろうか? レベルが違い過ぎる。(管理者)
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●蘭領インドシナの悪名高い「強制栽培制度」=1830年に開始されたもので、植民地政府が現地農民にコーヒーや砂糖きび、藍、煙草、胡椒などを強制的に栽培させ、オランダはこれらの熱帯作物を大量にヨーロッパへ輸出して、莫大な富を築いた。
●藍や砂糖は水田で栽培されたから、当然米の生産は減り、農民は困窮していくことになる。
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●太平洋戦争でフィリピンでは200万人死んだといわれている。しかし、そのほとんどはアメリカ軍の爆撃で死んでいるのであって、日本兵に殺されたというのは少ない。それも日本兵が殺したのは、一般人ではなく、戦闘でフィリピン兵を殺しただけである。
●ひどいのは、アメリカ軍は自分たちより先にフィリピン兵を出して日本軍と闘わせ、そのフィリピン兵が全滅した後やっと自分たちが出ていった。
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●その方がアメリカも喜んでくれる。
《高山正之 〃 》
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左翼が信奉するカール・マルクスの植民地絶賛論
●カール・マルクスには、イギリスのインド植民地化を論じた『イギリスのインド支配の将来の結果』という小論がある。(大月書店『マルクス・エンゲルス全集』第9巻所収)
●そこでマルクスはこう言っている。「問題は、イギリス人がインドを征服する権利があったかどうかにあるのではなく、インドがイギリス人に征服されるよりも、トルコ人、ペルシア人、ロシア人に征服されたほうがましかどうかにある。イギリスは、インドで二重の使命を果たさなければならない。一つは破壊の使命であり、一つは再生の使命である。古いアジア主義を滅ぼすことと、西欧的社会の物質的基礎をアジアにすえることである」。
●要するに、マルクスは、インドが近代化されるにはイギリスによって植民地にされるよりしかたがないと言っているのだ。どうせインドはトルコかペルシアかロシアによって植民地にされるだろうから、それならイギリスによって植民地化された方がましだ。イギリス人にインドを支配する権利があるかどうかは問題ではないのだ、と。マルクスのこの冷酷なまでのリアリズムに西洋人の傲慢を見た。
《呉智英 「健全なる精神」》
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●フランスが植民地にしたベトナムでは、「住民には人頭税のほか結婚税も取った」・「重税に抗議するデモには、仏戦闘機が容赦なく機銃掃射を浴びせた。死んだ者を弔うと徴税吏が飛んできて、葬式税を取り立てた」(A・ビオリス「インドシナSOS」から)
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●アーネスト・ゲルナー「民族とナショナリズム」…「第一次世界大戦後、イギリスの委任統治領となっていたイラク国家は、襲撃者たちが遠征の前と後とに最も近い駐在所に報告し、殺人と略奪とのきちんとした官僚的な記録を義務として残すという条件の下に、部族による襲撃を大目にみていた」
→しかし、日本はイギリスのような二重基準を採らなかった。
《佐藤優 「日米開戦の真実」》
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●英仏の植民地統治は間接統治で、その点では手馴れていた。例えばベトナムやカンボジアはフランスの統治した国。しかしフランスとは敵対関係にない。かつてミッテラン大統領が訪問すると、両国とも大歓迎をした。かつてかなり搾取されていただろうにと不思議で、現地に行った時いろいろ聞いてみた。
●そうすると、英がインドを、仏がインドシナを統治した際に直接統治はしなかった。これが日本との決定的な違いである。農場などはプランテーションを作って、宗主国側の管理者は別荘みたいな所で優雅に暮らすが、直接的に民衆を支配する警察官や徴税吏は他国の人を使う。自分たちに反感の矢が向かないためのテクニックである。
●一方でカンボジアは、とても反ベトナム感情の強い国である。カンボジアが親中、ベトナムが親ソということもあって中ソ対立を反映して国境紛争も起きているが、基本的にはそうした対立よりも植民地統治の手法に根ざすところが大きいのである。
フランス人がカンボジアを支配する時に、徴税吏や検察官としてベトナム人を雇ったためである。カンボジア人が税金を収めない時に、裸にしてムチ打ちにしたり、手を縛って連行したのはみなベトナム人だった。フランス人は雲の上にいるから、後ろで糸を引いているのが目には見えない。
《三宅久之 「『日本の問題点』をずばり読み解く」》
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●「米西戦争でたくさんのフィリピン人が殺されたんです。フィリピンは白色人種によって全てを奪われたんですよ。
フィリピン人通訳のマリオ・ピネダ氏は、フィリピン人は白人国家間の覇権争いの犠牲者だとして続けた。
●「アメリカは、アジアにおける唯一の植民地フィリピンを徹底的に弾圧しました。アメリカの国旗に頭を下げない人々は皆グアム島に送られたんですよ。グアム島の人口の30%がフィリピン系である理由にはこうした歴史的背景があります」
●「かつて日本の統治を受けた台湾や韓国を見てください。立派に経済的な繁栄を遂げているでしょう。これは日本の“教育”の成果です。ですが、アメリカの統治を受けたフィリピンでは、人々は鉛筆すら作ることができなかったんですよ。アメリカが自分達の作ったものを一方的にフィリピンに売りつけてきたからでした」
《井上和彦 「日本が戦ってくれて感謝しています」》
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●ビルマは19世紀に三度にわたってイギリスに侵攻され、1886年に英領インドの一州として植民地にされた。ビルマ国王夫妻は、これも英領スリランカに流され、その地で死亡する。王子は処刑され、王女はなんとイギリス軍の士官の従卒に与えられてしまう。
《日下公人 「日本はどれほどいい国か」》
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続く
補充編
『白人至上主義(黄色人種大虐殺)の歴史』 2017/06/05(月)
続編
『学校で教えない帝国陸軍と欧米の歴史』 2017/5/12(金)
(参考)
『欧米人の思考ー白人最上位主義』 2012/7/29(日)
(原本)
大東亜戦争:侵略したのは米国 2014/8/7(木)