ヒトラーの任務と国際金融資本


前回の続編です。

前半は以前の記事の繰り返しになりますが、後半ではヒトラーナチスユダヤシオニストの米国企業との密接なる関係を述べていきます。

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(前回記事)
ユダヤ国家創建目的のナチス
19人殺害:簡単に洗脳される日本の若者 2016/7/29(金)

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(以前の記事より)
第二次世界大戦ユダヤ人国家『イスラエル』(1948年独立宣言)を「シオンの地」パレスチナに国家を創るための茶番劇だったので、それを隠すために歴史が捏造された。

ロスチャイルドを中心とするシオニスト達が1897年にスイアウのバーゼルで開いた第1回世界ユダヤ人会議での決議事項として「50年後には、民族の悲願だったユダヤ人国家を誕生させる」との誓いが為された。
 
そして「イスラエル建国の為の国家の誕生には必須の国家の3要素(領土・国民・政府)の内の最も困難な「国民」を創出させる為には、ヨーロッパ全土から無理やりユダヤ人(いわば「羊」)をかき集める必要があった。
 
「ドイツ民族を牧羊犬シェパード」に仕立て上げて、パレスチナの国土と狙いをつけた土地に「羊」(ユダヤ人)を追い立て誘導する「牧羊犬」に育て上げる「調教師ヒトラーとその親衛隊ナチス」を作った。

尚、「ナチ(NAZI)」の本当の意味は、「国際シオニスト連盟 (National Association of Zionist International)」だという。「Zionist(シオニスト)」とは、イスラエル回帰を求めるユダヤ人の原理主義者の集まりである。

捏造された歴史を叫び続ける醜態 2012/1/18(水) 
アウシュビッツの茶番劇は今も続く 2016/6/18(土)

■1929年と1931年にヒトラーのナチ党の前身「ドイツ社会労働党」は、アメリカの国際資本家グループから、それぞれ1000万、1300万の米ドル献金を受けている。

ナチ党が主導権を握った1933年には700万米ドルの献金を同一グループから受けていた(UPI報道)こともあるという。アメリカに限らずドイツ国内や英国、フランス、オランダなどの国際資本家グループの資金も一旦ナチ党の金庫に収納した。

ブッシュ大統領の祖父のプレスコット・ブッシュやジョージ・ウオーカーなどのシオニスト米国ユダヤ金融財閥もナチ党に資金提供した。尚、ブッシュはナチ党への化学薬品の納入で莫大な利益を得た。

広島・長崎に投下された原爆の秘密①  2014/8/18(月) 

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第一次世界大戦で敗北したドイツが、軍事大国に成長出来たのは、上記のようにアメリカに限らずドイツ国内や英国、フランス、オランダなどの国際資本家グループの提供した資金があってこそである。

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以前の記事で述べたように、ナチス・ドイツが開発したベルギーに保管中のウラン型原爆の管理責任者ロンメル将軍が当初の約定通り米国(アイゼンハワー連合軍最高司令長官)に原爆を渡した。それを米国はエノラゲイで広島に投下した。

このことは、ナチスは米国などのユダヤシオニスト国際金融資本の資金と物資の援助で諸分野の研究・開発を行いし、そこでの成果を主に米国の国際金融資本に渡したことを意味する。

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さて、本題

ナチスは、ワンワールド(世界統一政府)へのプロセス・共産主義の目的でもある人間の従順な家畜(ゴイム)化への実験をもおこなっていた


ナチスはヨーロッパ全土から無理やりかき集めたユダヤ人(いわば「羊」)をアウシュビッツなどの強制収容所に入れた。次にやることは、「シオンの地」パレスチナにこれから建設する国家の国民とするべくかき集めたユダヤ人をいかに従順で管理の容易な家畜(ゴイム)にするかだ。

ナチスの医師が発見したフッ化ナトリウムの効用)

“the Nazi concentration camps used fluoridated water to suppress the will and vigor of inmates.This appears to have been during the 1930s and was the first known example of fluoridated water supplies for a specific population.”

「ナチ収容所でフッ化ナトリウム(フッ素)添加水を飲ませると、受刑者の意志と活力を抑制することができた。これは、1930年代になって、特定の集団に対するフッ化ナトリウム添加水道水供給の最初の例だった。」

"The first occurrence of fluoridated drinking water on Earth was found in Germany's Nazi prison camps. The Gestapo had little concern about fluoride's supposed effect on children's teeth; their alleged reason for mass-medicating water with sodium fluoride was to sterilize humans and force the people into their concentration camps into calm submission. (Ref. book: "The Crime and Punishment of IG Farben" by Joseph Borkin.)"

ゲシュタポには、子供たちの歯に対するフッ化物の想定された影響をほとんど考慮しなかった;

フッ化ナトリウムを強制収容所の水道水に入れ、多数の人に飲ませた疑わしい理由は、人々を断種(消毒?)し、人々を穏やかな服従者とすることであった。
ジョセフボーキン著書「I・Gファルベンの犯罪と罰」より)


ヒトラーナチスを支えたドイツ企業のオーナー達はユダヤ人であった。


「I・G・ファルベン社」は、1925年にドイツの8大化学会社が合併して設立された。
「I・G・ファルベン社」の株主はユダヤ人が多く、社長もカール・ボッシュというユダヤ人だった。また、ヘルマン・シュミッツが初代会長に就任した彼はナチス御用達の銀行だった「BIS(国際決済銀行)」の設立にも参画し、第二次世界大戦終了時まで役員を務めた。

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「I・G・ファルベン社」は、1939年までにドイツの外貨の90%、輸入高の95%を稼ぎ出し、かつ「4ヵ年計画」に基づいた軍需製品および工業製品の85%を製造した。従業員は10万人に達し、世界の大企業の中でもアメリカの「GM」「USスチール社」「スタンダード石油」につぐ4番目、化学会社としては世界最大の企業にのしあがった。

「I・G・ファルベン社」は、ドイツの化学工業をほぼ独占し、ナチス戦争経済を維持するうえで不可欠だった2つの製品を供給した。それは合成石油と合成ゴムで、その大半はアウシュヴィッツで運営していた同社の巨大化学工場で、被収容者を労働力にして製造されたのである。

※画像は、アウシュビッツ第三収容所の中の巨大化学工場(モノヴィッツ
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不思議なことに大東亜戦争(太平洋戦争)では日本の都市部周辺のみならず田舎町にある工場まで空爆されたが、ドイツの「I・G・ファルベン社」の建物は一切空爆されることはなかったのである。お分かりですね、その理由を。


スタンダード石油(エプソン)とナチス


「I・G・ファルベン社」はアメリカ企業、特に世界最大のロックフェラー財閥の石油会社「スタンダード石油」(エクソン、海外ではエッソ)と密接な関係にあった。

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「スタンダード石油」は、ルーマニアの油田をドイツにリースし、更にハンガリーの油田を売り渡して、ナチス政権を助けた。また、「スタンダード石油」は、ナチス政権のために毎週1万5000トンの航空燃料を生産する製油所をドイツ国内(ハンブルグ)に建設してもいた。

スタンダード石油のタンカーのみがドイツの潜水艦攻撃を受けていないという報告を受け、1941年7月22日、アメリ財務省は「スタンダード石油」が行なっているタンジール向けの石油輸出について国務省と会議をしたが、「スタンダード石油」に対して何らかの圧力をかけることはしなかった。

結局、真珠湾攻撃後も、財務省国務省は、「スタンダード石油」や他の大企業がナチスの協力者と戦争中も取り引きすることを許可し、証明書を発行していたのである。

「スタンダード石油」は、第二次世界大戦を通してファシストの国であるスペインにも石油を輸送していた。

このような状況を憂えた経済学者のヘンリー・ウォルドマンは、1943年2月26日付の『ニューヨーク・タイムズ』紙に次のような意見を載せた。

「考えても見てください。戦争の真っ最中に敵国を実際に手助けをしている国がアメリカなのです、そればかりではなく、スペイン大使が詳細に述べているように、アメリカはこのような援助を続けるばかりか、援助を拡大する準備までしているのです。スペインは『敵国』です。しかしそれでも、アメリカはスペインを援助しているのです。」

それでも、状況は改善されなかった。毎月4万8000トンのアメリカ産の石油が、スペインを経由してナチスに供給され続けたのである。


フォードとナチス

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「フォード社」の創業者ヘンリー・フォードは、熱烈な反ユダヤ主義者であった。1919年に『ニューヨーク・ワールド』誌で初めて反ユダヤ主義を表明し、1920年にはユダヤ人に対する悪意に満ちた『国際ユダヤ人』を出版した。

(註)ユダヤ人を凌辱するユダヤ人が描いたシナリオの一つ。

ヘンリー・フォードヒトラーを溺愛し、1922年という早い時期から、外国人としては初めてナチスに資金援助をした。その見返りとして、ヒトラーはフォードの大統領選挙立候補を助けるために突撃隊の派遣を申し出た。

ヘンリー・フォードは1938年の75歳の誕生日に、非ドイツ人に与えられたものとしては最高の、ナチス・ドイツが制定して以来3人にしか授与されていない「ドイツ大鷲十字章」を、ヒトラーから授与されている。

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フォード親子はイギリスのために航空機エンジンを製造することを断わり、その代わりにドイツ陸軍の輸送部隊の主力となった5トントラックの部品の製造を始めた。その上、アメリカ国内のタイヤ不足にもかかわらず、ドイツへのタイヤ輸送も手配していた。「フォード社」からタイヤ輸出の30%はナチスが支配する地域に出荷されていたのである。

1940年に「フォード社」は、ナチス占領地域にあるフランスのポアシーに自動車工場を建設し、ドイツ政府に納入するための航空機エンジンの製造に着手した。また、この工場はドイツ陸軍のトラックや軍用車両の製造も手がけた。更に「フォード社」は北アフリカにも自動車工場を建設し、ロンメル軍団のためにトラックと装甲車を製造した。

こうして1942年には、ナチス・ドイツで使用されていたトラックのうち、約3分の2をフォード製が占めるようになった。


「デュポン財閥」とナチス

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アメリカのデュポン一族が経営する「GM」とナチスの関係は、フォードに負けず劣らず親密なものだった。「GM」とナチスの関係は、ヒトラーが政権を握った時から始まった

「I・G・ファルベン社」のアメリカの子会社「GAF」は、「GM」に多額の投資をしていた。「GM」の経営陣も、1932年から1939年までの間、「I・G・ファルベン社」の工場に合計3000万ドルの投資をしていた。

※ 「GM」の欧州総支配人であるジェームズ・ムーニーは、ヘンリー・フォードと同じように、ヒトラーから勲章をもらっている。

1929年、「GM」は当時ドイツ最大の自動車メーカーだった「オペル社」を買収した。1931年に「オペル社」は「GM」の「完全子会社」となり、ドイツ自動車市場の40%という圧倒的な地位を占める事になる。(註)社名は1985年に「アウディ」に変更され、1964年以降は「VW社」の傘下に入っている。

GM's Opel, infused with millions in GM cash and assembly-line know-how, produced some 40 percent of the vehicles in Germany and about 65 percent of its exports.

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オペル・ブリッツ 3.6」


1930年代の中頃になると、「GM」はドイツでトラック、装甲車、戦車の本格的な生産に取り組んでいた。スイスでは、ドイツ陸軍のトラックの修理とガソリンをメタノールに変換する作業を請け負っていた

ドイツのリュッセルスハイムにある「GM」の子会社「オペル社」の工場は、第二次世界大戦を通じて、ドイツ政府のために軍用機を生産していたが、特にドイツ空軍で最も殺傷力が高かった中型爆撃機である「ユンカースJu88」のエンジンの50%を製造していた。また、「オペル社」はナチス軍用車の装備をほとんど製造してきた。

※下の画像は、ユンカースJu88
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1943年に、「GM」のアメリカ工場がアメリカ陸軍航空隊の飛行機を整備している間に、ドイツの「GM」グループは世界で最初のジェット戦闘機であり連合国を震撼させた「メッサーシュミットMe262」用のエンジンの開発に成功した。デュポン一族の工場がそのジェット・エンジンを製造し、組み立てたのである。

※下の画像は、メッサーシュミットMe262
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(註)但し、予定されていた「メッサーシュミットMe262」用のBMW 003エンジンは信頼性が低かったため、代わりにユンカース社のJumo 004エンジンを取り付ける。

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「GM」も「フォード社」と同じく多数の強制労働者を使い、主要工場では、ナチスの人種等級区分が適用されていた。SS(ナチス親衛隊)が工場の強制労働者を監視していたというが、その多くは女性であった。

(註)当時全世界を三分していた三大化学トラストである「デュポン社」「I・G・ファルベン社」「ICI社」(イギリス)は、敵味方に分かれた戦争中も、そして戦後も、国籍に関係なく一貫して友好関係を保ち、もちつもたれつで仲良く共存共栄を図ろうとしていたのである。


第二次世界大戦中の「デュポン社」は、「原子爆弾」の生産を除外しては考えられない。

マンハッタン計画」がひそかに計画された頃、この計画の中心人物レスリー・グローブス将軍は、「デュポン社」に協力を求めた。これを受けて「デュポン社」は、シカゴ大学の監督のもとに、まずテネシー州オークリッジの付近に試験工場を建設し、次いで、ワシントン州ハンフォードにプルトニウム工場を建設した。「これまで世界で企てられたもののうち、もっとも大規模な、また、もっとも困難な工業企業」はこうして実現されたのである。

※上の画像左が広島に投下されたナチスドイツが開発した劣化ウラン型原爆リトル・ボーイ。右の画像が、長崎に落とされたマンハッタン計画によるプルトニウム型原爆ファット・マン

もっとも、これらの巨額の費用は「デュポン社」が自腹を切ったわけではない。全て「国費」である。

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(註)核分裂は1938年12月、ナチス政権下のドイツ「カイザー・ヴィルヘルム研究所」において発見された。

その衝撃的なニュースは、翌年1月に学会参加のため渡米したデンマークの原子物理学者ニールス・ボーアによってアメリカの関係者に伝えられた。その伝聞は直ちにアメリカ国中に広まり、各地の大学で「核分裂」に関する研究が一斉に開始された。

一方、ナチス・ドイツは1939年4月末に「核分裂」の研究を本格化させた。「カイザー・ヴィルヘルム研究所」に大型の原子炉が造られて、原子力の可能性が探られるようになった。

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(註)「『カイザー・ヴィルヘルム研究所』で原爆リサーチを行なっていたナチスの科学者たちは、戦後イギリスへ連れて行かれ、『ファーム・ホール刑務所』へ一時的に拘留された。

その時、イギリス情報局は当然これら科学者の監房に盗聴器を仕掛けておいた。

1945年8月6日に広島に原爆が落とされた時、そのニュースはラジオを通じてこれら科学者たちにも知らされた。

彼らの反応が興味深かった。

盗聴されているとは知らずに彼らは広島に落とされた原爆についていろいろな反応を示したが、ひとつだけ一致した反応があった。それは『なぜドイツが作った原爆が友好国日本に落とされたのか』という驚きの反応だった。

これによってイギリス側はドイツの原爆開発がいかに進んでいたかをつかんだのである。」

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 「IBM」とナチス

アメリカの作家エドウィン・ブラックが、『IBMとホロコーストナチスと手を組んだ大企業』という本を出した。

彼によると、「IBM」の創業者トーマス・ワトソンは、ヒトラーから「メリット勲章」(ドイツで2番目に位の高い勲章)を授かるほどナチスに貢献し、彼にとってヒトラー第三帝国は世界で2番目に大きな取引先だったという。

ブラックは次のように告発する。

「IBMは、もともとドイツの子会社を通じ、ヒトラーユダヤ人撲滅計画遂行に不可欠な技術面での特別任務を請け負い、恐ろしいほどの利益を上げた。IBMこそ現代の戦争に情報化という要素を持ち込み、こともあろうにあの戦争でナチスの“電撃戦”を可能にした張本人なのだ。」

当時、コンピュータは存在しなかった。が、コンピュータの先駆をなす機械を「IBM」は開発していた。

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パンチカード機器の「ホレリス」がそれである。

ナチスは「IBM」の提供したパンチカード技術を使い、ドイツ国民の名前、住所、家系、銀行口座などの情報がすばやく参照できるようにした。その技術で、同性愛者を「ナンバー3」、ユダヤ人を「ナンバー8」、ジプシー(ロマ)を「ナンバー12」などと区分していたのである。(「D4」のコードは、殺害された被収容者を意味していた)。


ヒトラーが新兵器や量産を故意に遅らせた理由とは


下記のように果たしてヒトラーユダヤ人嫌いだからユダヤ人の開発したものを嫌ったからという説があるが、果たしてそうであろうか。

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シュペーアはその手記『ナチス狂気の内幕』に、彼が軍需大臣になってから、ヒトラーが新兵器の開発や量産を故意に遅らせ、無意味な失敗を繰り返させた、と何度となく書いている。純粋に第三帝国の勝利のために全力を注いでいたシュペーアにとって、ヒトラーの態度は全く理解できないものだったという。

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(私見
そもそもヒトラーユダヤロスチャイルド卿の孫でユダヤ人である。
その彼がパレスチナイスラエルを建国するために、ロシアから逃げてきてドイツに住み着いた大量のユダヤ人を集めイスラエル国の構成する国民とした。、

ヒトラーはシナリオ通りナチスドイツが負けることを意図して動いたのだから、強力な新兵器を開発したら、ひょっとしてナチスドイツが勝つかもしれない。故に強力な新兵器の開発は許されないのである。

これは日本の山本五十六にも同じことが言える。山本五十六ルーズベルトのシナリオ通り、米空母のいない無意味な真珠湾攻撃をかけ、然も、肝心な燃料タンク群や艦船補修基地の爆破を止めさせている。


更に、ミッドウェー海戦では護衛艦をつけずに空母4隻を出陣させ、米空軍に撃沈させている。これで帝国日本海軍の壊滅である。

(詳細)『広島・長崎に投下された原爆の秘密②』 2014/8/22(金)

※画像は、1920年代後半、米国の国際金融資本ロックフェラーの牙城ハーバード大学に留学中の山本五十六。右はカーティス・ウィルバー。

その任務を終えた山本五十六は、その後の1943年4月南方前線視察途上、ブーゲンビル島上空で米軍に撃墜され死んだことになっている(海軍甲事件)。然し、山本五十六は戦後生きいる姿を何名かの知人に目撃されている。

ヒトラーも同様、ナチスドイツ敗戦の任務を終えて、用意されたUボートで南米に渡り、ブラジル人の恋人と共に95歳まで生きた。無論、一般的な潜水艦より小さなUボート。ドイツから南米まで無事に然も燃料の補給なしに行けるはずはない。補給したのは米海軍である。

※下の画像は、晩年のヒトラー

余談だが、これと似た状況が大東亜戦争敗戦の直前にあった。
昭和天皇の金塊を積んだ日本の潜水艦が、東シナ海から南シナ海、そしてインド洋、スエズ運河経由でイタリアに無事到着している。無論、航海の途中、護衛と燃料補給をしたのは米艦隊である。

更に余談を言うと、鹿児島で日本人を拉致した北朝鮮の漁船に毛が生えたような船に燃料補給をしたのは日本の海上自衛隊補給基地である。



(続編)
ナチスの開発した人類家畜化薬フッ素 2016/8/2(火) 


(私の関連記事)
広島・長崎に投下された原爆の秘密① 2014/8/18(月) 
メディアが伝えない大東亜戦争① 2015/8/4(火) 
メディアが伝えない大東亜戦争② 自衛戦争 2015/8/9(日)
メディアが伝えない大東亜戦争③ 2015/8/11(火) 

(参照と引用先)
ナチスアメリカ企業の協力関係
ナチス製原爆」の謎