12月25日キリスト生誕日は古代ローマ時代に決定


12月25日キリスト生誕日は古代ローマ時代に決定

イエス・キリストの生誕については、聖書には「羊と羊飼いが野外で数夜を過ごすことができるほど暖かい時期に生まれた」と明確に書かれています。

The shepherds were in the fields with their flocks at night when Jesus was born.
"Flocks were kept outside in this way from April to November (SB II, 114–116) and occasionally in suitable locations during the winter (cf. Morris, 84)" (New International Greek Testament Commentary, Lk 2:8)

エムサレム-ベツレヘム地域では、10月下旬以降は、羊たちはずっと羊小屋の中で飼われているのを知っています。氷雨(ひさめ)が降って寒すぎるからです。

ですから、12月24日生誕説は全くのウソ偽りと言えます。

※イエスが地上にお生まれになったのは、ユダヤエルサレムベツレヘムにおいて、4月6日です。

(前回記事)
クリスマスとは子供誘拐行事の日2015/12/21(月)



12月25日クリスマスとは、エホバの神(旧約聖書唯一神ヤハウェのこと)に最初に敵対した人間『ニムロド(NIMROD)』の生誕日を祝う祭日。



※下記は、の記事ですが、過激な箇所は削除し、若干追記して掲載します。

以下本文
ニムロドというのは、バビロンの支配者で、神(エホバ)に反逆して、敵対する背教を起こし、これを組織化して広めた人物です。
ニムロドの生誕祭は、西暦起源のずっと前から異教徒たちが、毎年、正確に12月25日、バビロニアの女神(セミラミス)の息子に祝意を表して祝ってきたものです。

そして後に、ローマカトリックが、これに「キリスト」という別の名前を与えて、この祭りを採用したのです。

(つまり、今のキリスト教というのは、完全に異教徒=悪魔集団に乗っ取られてしまっているわけで、その偽宗教を広め、大衆を洗脳していくことによって、世界を支配しやすくしていってるのです)

ニムロドが死んだとき、その死はyule log(クリスマスイブに暖炉で焚く太い薪)として表わされるようになったとのことです。ニムロドの死は、この偉大なる“神”の薪の中に封じ込められ暖炉に投げ入れらることによって祝賀されるのです。

そしてサンタ(santa)の文字をよく見てください。
n と t の位置を入れ替えただけで、サタン(satan)になります。本来のクリスマスとは? サンタの正体とは?何かってことが・・・

アングロ・サクソンは、もともと悪魔崇拝者たちでした。悪魔崇拝の儀式は、アングロ・サクソンの冬の12月の祭の一部として執り行われていたのです。

ローマがキリスト教に改宗したとき、これらアングロ・サクソン悪魔崇拝者たちは、この12月の悪魔の休日を続けることを許され、そのとき、その悪魔の休日の名前を「クリスマス」と改名したのです。

そうしたことから、ヨーロッパの人々は、ブラック・ピーター(オランダでの悪魔の呼び名)、あるいはクランパス(Krampus=日本ではクランプスという風に呼ぶ方が多いかも?)といった悪魔とクリスマスをともに過ごすことになってしまったのです。

それでも、クランバスは、今日も今日、クリスマスの祝い事の一部になっているのです。

セント・ニコラウス(Saint Nicholas)は、クリスマスにクランパスを伴ってやってきます。人々は、クランパスを見るだけで、この休日がどこから由来しているのか理解するのです。(悪魔に由来している)

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クランパスは、割れた蹄(ひづめ)、長い舌、頭には角、暗い色をした煤けたような皮膚、その皮膚にうっすら生えた毛、そして熊手を持っています。

子供たちにとって、クランバスは、悪さをする子供を鞭で叩く悪魔のヤギのように見えるのです。

クランパスは、聞き分けの悪い子供を連れ去って、地獄の深みに落とすために、子供を入れる大きな袋を持っています。

そう、今日サンタが大きな袋をさげて、子供たちにプレゼントを持ってきてくれると言われているのは本当は逆で、子供たちを捕らえて入れるための袋なわけです!

ちなみに、Xmasの『X』というのは、二ムロドの象徴で、merry Xmas は『Magical or Merriment Communion with Nimrod』という意味だそうです。

また、クリスマスの伝統的な、切り株の形をした ビュッシュ・ド・ノエルタイプのクリスマスケーキは、ニムロドの死をモチーフにしてデザインされたものとのことです。
(ノエルが「クリスマス」、ビュッシュは「木、丸太」で「 クリスマスの薪」の意)

そういえば、クリスマスに七面鳥を食べるなんていうのも、いかにも悪魔儀式から来てるような感じがするしね!

どうでしたか? 本当のことを知って・・・
これでも皆さんはまだ、クリスマスを祝おうと思いますか?w



クリスマスツリーは、ニムロドの息子・タンムズ(Tammuz)としてニムロドの復活を表わす。



【ニムロドの末裔たちによる新バビロンの構築】

ニムロドは、現世を支配している神から離れ、神に敵対する背教を起こし、これを組織化して広めた人物です。

彼は自分を生んだ女性、つまり、実の母親-セミラミスという名前の女性と結婚しました。

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ニムロドの死後、いわゆる彼の“母親妻”セミラミスは、ニムロドが霊的な存在となって生き続けているという、邪悪な教義を世の中に普及し始めたのです。

セミラミスは、完全に枯れてしまった木の切り株から、一夜にして大きな常緑樹が生え伸びたと主張しました。死んだニムロドの新しい命が、その中に宿っていると言い出したのです。

セミラミスは、毎年、ニムロドの誕生日の12月25日には、その常緑樹にニムロドの霊が憑るので、ニムロドへのプレゼントとして、その木に贈り物をくくりつけるように人々に伝えまわったのです。これがクリスマスの本当の起源なのです。

伝統的に、クリスマス・イブには暖炉の中に大きな薪(yule log)がくべられ、それは一晩中燃え続けるのです。

そして、あたかもマジックのように、贈り物で飾られたクリスマス・ツリーが部屋の中に出現する、ということになっているのです。

大きな薪(yule log)は、太陽神・ニムロド自身を表しており、クリスマス・ツリーは、ニムロドの息子・タンムズ(Tammuz)としてニムロドの復活を表しています。

セミラミス (ニムロドの母親兼妻) が、一夜のうちに常緑樹が彼の墓の横にある枯れ木の切り株から大きく生えてきた、と強引に主張したときから、このバビロニアの悪魔の祭りが始まったのです。

ニロムド、セミラミス、そして肉体を持った神の子というバビロニアの異教的崇拝は、世界にあまねく広がり、結局、「三位一体」(註1)というキリスト教信奉の名前となったのです。

(註1)『ニムロド』、『彼の子』(Tammuz=死んだニムロドが生まれ変わるとされている神の子の名前、近親相姦の悪魔の子)そして『彼の母親妻セミラミス』(天の女王)の「三位一体」崇拝。



ローマ帝国時代、突如12月25日をイエス・キリストの降誕日とした理由は、ミトラ教の『無限の太陽の生誕日祭典』に対抗するためだった。



5. Encyclopedia Britannica, Vol VI Pg 945;
5.ブリタニカ百科事典、巻6ページ945 巻7 Pg202:

ミトラス教(ミトラ教)の「無限の太陽の生誕日」(ナタリス・インウィクティ)という冬至祭りは、古代ローマの最もよく知られている祭りの一つ.で、.ローマ帝国で栄えミトラ教の教団の起源を形成し、キリスト教の最大のライバルでした。

この祭典は、ソル・インウィクトゥス(不敗の太陽神)の誕生を祭るものである。

碑文には「ソル・インウィクトゥス・ミトラス」と記されており、ミトラス教徒にとってはミトラスがソル・インウィクトゥスであった。

ミトラス教徒は太陽神ミトラスが冬至に「再び生まれる」という信仰をもち、冬至を祝った。

この冬の祭りは12月17-24の期間行われました。太陽照らす時間が最も短い冬至から、日照時間が伸びていく方向への切り替わりを祝してですね。

農耕社会にとって、作物を育てる太陽の光は神なのでしょう。この期間中、人々は食べ、飲み、歌い、踊り、闇の力に対抗するべく陽気ならんちき騒ぎで楽しみました。

この期間、司法裁判所は、国民が、最大限に楽しむことができるように閉鎖されました。

この冬至のらんちき騒ぎの翌日の12月25日は、ミトラの生誕日、光のイランの神、無敵の太陽に捧げた契約の日などでしたが、キリスト教会では、この盛大な祭典に対抗し、この祭りの影響を打ち消すべく( to counteract the effects of these festivals)、クリスマス・キリストの降誕の日とすることが教会で採択されました


                           つづく

(クランパス画像借用先)
A Dose of Awesome: Krampus!

(ツリー画像借用先)