安倍マリオを陰で操る者とは③モーゼス・ヘス


私見をここで述べようと思いましたが、長文になるので、それは別途稿を改めることにして、引き続き『安倍マリオを陰で操る者とは』の稿を記載します。



(前回まで)

-  安倍マリオを陰で操る者とは①

-  安倍マリオを陰で操る者とは②共産主義宣言



(参考)
馬渕睦夫が暴露する世界支配の影。国際金融資本の正体と戦争経済の実態【グローバリストの世界政府とユダヤ教
(注)下記のユーチューブは、最初の10分間だけ視聴のこと。以降は繰り返しになります故。

以下、続編です。

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【「共産主義者の宣言」と「シオンの議定書」との編纂関係考】

● 四天王延孝・氏著、太田龍・氏解説の「シオン長老の議定書」の解説において紹介されているユースタス・マリンズ著「カナンの呪い」の文中記述に拠れば、「シオンの議定書」とは、1860年、カリシャー長老がスールの自宅で秘密会合を開き、1848年の革命から得られた教訓を検証した講演録であると云う。

 れんだいこが興味を覚えるのは、1848年に初版されているマルクス・エンゲルスの共著「共産主義者の宣言」との絡みである。

してみれば、「シオンの議定書」は、「共産主義者の宣言」に遅れて12年後の講演著述であるということになる。これを大きな歴史の流れで見れば「ほぼ同時代」ということになる。

 興味深いことは、その後の歴史の流れに於いて、圧倒的に読まれたのは「共産主義者の宣言」であったにも拘わらず、真に世界を創ったのは「共産主義者の宣言」に遅れて12年後に編集された「シオンの議定書」の方であるということである。

2006年現在では、シオンの議定書派が世界を恣(ほしいまま)にしており、通俗マルクス主義派はシオンの議定書派の口舌に組み敷かれ、「シオンの議定書」の豪語する通りにその下位に組み込まれた変調運動に堕している。

それを痛苦に思う僅かの部分が新左派運動を創出せんとしているが、未だに宗派的に棲息しているに過ぎない状況下にある。

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マルクスと「シオンの議定書」を橋渡ししたモーゼス・ヘス考】

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● もとへ。モーゼス・ヘスに注目してみたい。モーゼス・ヘスは、「ローマとエルサレム」を著し、その中で「シオンの議定書」に言及している人物であるが、マルクスともカリシャー長老とも交際があった。

つまり、モーゼス・ヘスを媒介させることにより、マルクスと「シオンの議定書」の講演著述者カリシャーとが裏で人脈的に繋がっていた可能性がある、ということになる。

 ここでモーゼス・ヘスについて見ておくことにする。フリー百科事典「ウィキペディア (Wikipedia)」の「モーゼス・ヘス」、「マルクシズムの起源5」等々を参照すると次のように記されている。

 モーゼス・ヘス(Moses Hess, 1812-1875年)は、ドイツのユダヤ系の哲学者にして社会主義者カール・マルクスエンゲルス、ラッサールとともに、ドイツにおける社会主義の祖とされている。

 ヘーゲル左派の哲学から始まり、のちにライン新聞の創刊に加わる。このころヘスは、汎神論的な階級なき社会をといた。

しかし、マルクスエンゲルスの批判を受けて唯物論へと転じ、階級闘争による資本主義の矛盾の追及を模索していくこととなる。この頃、ヘスは、マルクスについて次のように述べている。

 「マルクス博士は私の偶像である。彼は、中世の宗教と政治に最後の一撃を加えるだろう」(Moses Hess, letter of September 2, 1841 to Berthold Auerbach, MEGA, I, I (2), p. 261; cited in ibid., p. 24.) 。

 また、人間のすべての価値体系が貨幣に置き換えられ貨幣の多少でしか快楽を味わえなくなる人間社会の到来を感じ、貨幣廃止論を唱えたことも有名である。1864年にはマルクスらとともに第1インターナショナルにも参加。

 モーゼス・ヘスにはフリーメーソン(註8)及びイルミナティ(註9)との結びつきが認められる。「シオンの議定書の真贋考」に次のくだりを記している。

ユダヤ教改革派フリーメーソンを生み出しており、その最初のロッジは、マイン河畔のフランクフルトに置かれ、ここが政治的シオニズム運動の中心となった。

この運動を最初に指導したのがラビのヒルシェ・カリシャーであった。カリシャーは、マイヤー・アムシェル・ロスチャイルドと親しかった。カリシャーは、カール・マルクスの親友モーゼス・ヘスとも親しかった。

1860年、カリシャーは、スールの自宅で秘密会合を開き、1848年の革命から得られた教訓を検証した講演をした。この講演の筆記録が「シオンの議定書」の底本となる。つまり、これがタネ本ということになる。

この底本を元に、1861年、カリシャー著『ドリシャル・シオン』、後にモーゼス・ヘスの『ローマとエルサレム』が生まれている」。

 こうなると、「マルクスとモーゼス・ヘスとの思想的交流」はこの面からも考察されねばならないことになろう。

 モーゼス・ヘスの晩年は、シオニズム運動の先駆者となり、シオニストとしてイスラエルの地に建国されるユダヤ人国家を社会主義国家とすることを計画していた。


● 太田龍・氏の「時事寸評」の2003.9.4日付けの「マルクスについて知らなければならない最低限の常識。ジューリ・リナ著『カール・マルクス-悪のアイドル』」には次のように述べられている。

カール・マルクス - 悪のアイドル」は、2003.8.12日付けで週刊日本新聞編集部の訳・編集で刊行されている。れんだいこ風に要約する。

カール・マルクス-悪のアイドル」の著者ジューリ・リナは、エストニアからスエーデンに亡命したジャーナリストである。このリナ氏と「将棋の駒」の著者W・G・カーの言をミックスすれば次のようなことになる。

 「モーゼス・ヘス(ユダヤ人)こそが、マルクスエンゲルスの師であり、指導者であった」(リナ)。

ヘスは、18世紀以降の人類史、世界史に決定的に重要な役割を果たしたヤコブ・フランクユダヤ人)を開祖とするフランキズム派のユダヤ人であり共産主義者であった。

カール・マルクスの父(ユダヤ人)もまた、フランキズムの影響を受けて居り、子供たち(マルクスを含む)にもこの思想を教え込んで居た。

 モーゼス・ヘスは、イルミナティーと結び付いて居た。概要「イルミナティーとは、1773年、ロスチャイルド(初代)が、フランクフルトに、彼を含めて十三人の有力ユダヤ人指導者を集めて、極秘の会議を開いた。

イルミナティは、そこで設立された。イルミナティの本当の創立者にして、奥の院の指導者は、ロスチャイルド(初代)である。

このイルミナティ奥の院が、若きイエズス会士であったヴァイスハウプト教授を選抜して、彼を表面に立てて、1776.5.1日、秘密結社イルミナティを組織させた」。

 ヴァイスハウプトが死去すると、イタリー人のマッチーニが、次のイルミナティ指導者として選抜される。モーゼス・ヘスは、マッチーニより少し下の世代になる。

1847年、マルクスエンゲルスは、義人同盟に加入した。この義人同盟は、イルミナティの地下組織の一つであった」。

太田氏は、以上の流れを踏まえて次のように指摘している。

 概要「日本人のこれまでのマルクスエンゲルスについての知識は、少なくとも、三つの点で致命的に欠陥がある。

即ち、一つは、フランキストについて何も知らない。

二つは、モーゼス・ヘスを通じて、マルクスエンゲルスが、ロスチャイルド(初代)に由来するイルミナティに結び付いて居ることを何も知らない。

三つ目、マルクスエンゲルスは、イルミナティの下部機関としてのフリーメーソンの会員(第三十二階級)であったことを知らない。

マルクスこの初歩的大前提について何も知らずにマルクスマルクス主義共産主義について、おしゃべりすることは児戯的である」。

                     つづく