それ以降、度々現れるマドンナ


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昨年2014年2月、51年振りに高校2年の同級生T婦人と偶然鎌倉で再会しましたね。

当時の昔話の中で、T婦人は柚子さんをマドンナだったと言うんです。確かにオーラが漂っていましたからね。

以降、この一年間、柚子さんは、度々、私の夢に登場します。


(参考)

私の履歴書〈高校時代-1〉 2014/5/8(木) 
53年ぶり高校の同級生との再会

私の履歴書〈高校時代-目次〉

初恋慕情目次



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それから三ヶ月後の5月下旬、亡き柚子さんは私の夢の中でそっと現れ、やがてそっと消えてゆき、再度静かに現れ静かに去っていくんです。

恐らく5月連休後に、毎年行っているだろう柚子さんの親族による法要があったからでしょうか。確か以前も5月連休後に柚子さんが夢に現れたんですから。

            ☆

8月のお盆後も登場します。
この時の場面は、高校3年の時の教室の中。

私の座席は教室の廊下側最後尾でドアの近く。
彼女の座席は教室のほぼ中央。

彼女はそこで立って友と向き合い会話をしています。
その彼女の眼差しは、じっと私に注がれたまま。
それに気づいた座っている私も、思いを込めて見上げます。

        ☆

同年12月6日(土曜)
この日は眠く午後8時には就寝。
何故か3時間後の11時5分に目覚めます。

この時の夢。

何かの会合があり、広い会場は人でいっぱい。
立っている二人の男の隙間から向こうに見えるのは彼女の横顔。

幾つになったのだろう。高校時代のあの頃ではない。
40歳台? 50歳台? 
あの頃よりきりりとした横顔。

私は思い切って彼女の前に立ちました。
ふくよかな彼女は、雪のように白い。昔のまま。

赤ん坊を抱いている。
お孫さん?

私 「可愛い八重歯」
彼女が口をそっと開く。
私 「あなたの八重歯ではなく、赤ん坊のですよ」

それでも彼女は微かに口元を開く。
そして、そのままでじっと私を見上げ、静かに目を閉じる。

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着物の衿のラインから偲ばせる二つの大きな白い胸。

思わず抱きしめ、唇を重ねる。

甘い!
柔らかい!

唇から身体全体に伝わる甘美。
二度、三度、と、熱きベーゼ。

(※)画像はクリムト作『接吻』(右下の+をクリックしたら拡大します)

あの頃私にこのような勇気があったなら・・・。

いつの間にか彼女が抱いていた赤ん坊は消えていました。
私は「二人きりになろう」と言い、彼女の手を取り、三方厚いガラスに囲まれた玄関に歩みました。

ここから見える外は日差しで庭の木々は緑に光っていたものの、寒そうと私が思った瞬間、場面が変わりました。

          ☆

彼女 「あの時は有難う御座いました」と。
私には、あの時とはいつのことかを指すのか分かりませんでした。

私 「赤ん坊は?」
彼女 「彼が抱いています」

彼とは誰であろうか。
赤ん坊の父親? 彼女のご主人? 

私はその彼がいるだろうテールームの中を垣間見ました。
正面テーブルには若い二人の男が並んで座っています。

右のガラス窓側のテーブルには白髪の男と若い男が向い同士に座っているます。

テーブル座席は10セットほどあるのですが、赤ん坊を抱いた御仁は見当たりません。ガラス越しに隣接するレストランルームには誰もいない。

ここで目を覚まします。

         ◆

それから更に三ヶ月後の今年の3月2日朝5時目覚めの時です。

恐らく柚子さんは40歳代でしょうね。
着物姿の柚子さんが自宅の玄関に何故か二度現れます。

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私は駐車場で青い車を探し、運転します。
それは外車で運転しにくいのです。

お寺(神社?)の境内を走行し、土手を降りるような左カーブの坂道を滑り落ちるように降りるのですが、ハンドルが思うように切れなく大回りしてしまいます。

そして道は突き当たりになり、左は車が通れないほどの細い路。右が広いのでそちらを走ります。

と、車の行先には、崖のような下り坂の道路。これをまともに降りるのは困難ですし、然も、降りてしまったらもう車では上がれないでしょう。

見下ろすと歩く人が小さく見えます。

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向かい側には、崖下から天上(お寺?神社?)に続く長い石段が続きます。

私に何を知らせようとしているのでしょか。このような夢の場合、過去の例では、数ヵ月後、私の身分に関わる何等かのことが起きるのです。

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6日後の3月8日の朝
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図書館の閲覧室のような場所では、入室者は自分の所属を示す名刺大程のステッカーを貼っています。

柚子さんは背中にも貼っています。

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彼女は、テーブルの最前席に座り伏せています。

体調が相当悪いのか?
それとも何かで悩んでいるのか?

離れたところには、同じく同級生のK君が立っています。最近、彼も亡くなったのでしょうか?

私は彼女をそっとしておくべく、そのルームの中の離れた場所で暫く時を過ごしてからエレベーターホールに出ようとしました。

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処が、彼女はそのドアの袂(たもと)で腰を落とし、うずくまっているではありませか。

声を掛けようと近づきました。処が手や髪の隙間から見えた彼女のほほは、赤く染まっているのです。

2007年秋のお彼岸の9月25日未明に見えた彼女の横顔も赤く染まっていました。
(参考)小鳥に託す面影  2008/1/12(土)

彼女はやはり顔が赤くなる何等かの病気に違いありません。
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私はその時声を掛けたかったのですが、少し時間を置いてから掛けようと思い、広いエレバーターホールに出ました。

これが失敗の元でした。
それからEVホールでほんの僅かな時間を過ごした後に、再度彼女のいたドアに行って見ると、彼女の姿はもうありませんでした。

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ただ、その跡には、恐らく彼女の身につけていただろうベージュのマフラーが床の上にありました。 ここで目を覚まします。

それにしても、T夫人との何十年振りの再会以来のこの一年間で、何度も柚子さんが夢に登場するなんて、2003年、私の夢に柚子さんが突然登場して以来無かったことでした。



実は、2007年秋、夢の中の彼女が電車の座席テーブルに顔を埋めた時に顔が赤くなっていましたので、それ以降、顔が赤くなる病気を調べ、当初は白血病と思っていたのですがそうでもありません。私には何の病気か分からないままです。

尚、私の田舎時代、美人薄命と言うよりも、色白の人は薄命との話を聞いたことがあります。

そこで高校時代の私は、彼女の母親を物陰からそっと見、それとその母の妹さんの自営する商店に何度も買い物に行き、その小母さんと会ったものです。

やはり、彼女の母親も小母さんも色白でした。
遺伝子ですね、彼女の色白は。

それにしても彼女は一体どんな病気だったのでしょうか。
その病気で相当苦しんだのでしょう。
その苦しさを私に伝えたいのかも。



(※)
天空階段の画像借用先
エレベーターホール画像借用先 常翔学園高等学校」(旧、大阪工業大学高等学校