差別なき日韓併合時代と満州国
今日、二回目の更新記事です。
スレッドを立てたユーザーは、1930年代に三越京城支店の高級カフェで撮影されたという写真を掲載。写真の左側には黒いスーツ姿の人たちがお茶する様子が写っており、右側にはチョゴリ(韓国・朝鮮の民族衣装)姿の人たちがお茶する様子が写っている。
この書き込みに、ほかのネットユーザーは以下のようなコメントを寄せている。
「デタラメを言うな」
「良い暮らしができたのは日本の協力者だけでしょ」
「普通の市民に対しては寛大だったと聞いたことがある」
「当時の親日派は裕福な生活をしていた。それを考えると、スレッド主の意見も一理ある」
「うちの祖母は日本統治時代を経験したけど、今では日本大好き」
「ほかの国に比べれば差別は少なかったかもね。だからといって、差別がなかったとは言えないだろう」
「日本に敵対心はないが、日本帝国時代を美化することは間違っている」
「比べるなら、貧乏な朝鮮人と貧乏な日本人を比べるべきでしょ」
「当時は朝鮮という国の存在を知らない人も多かったらしい」
「この写真は本物か?日本人は昔から捏造(ねつぞう)していたんじゃない?」(翻訳・編集/堂本)
当時の満州国とは
金文学氏(註1)の著書より引用。
(中略)
わたしの聞き込み調査の中で、大変驚いた証言が返ってきました。当時満州国で暮らした多くの人々は、実体験を交えながら、こう語りました。
「もしも満州国がそのまま維持されたならば、現在のようなみじめなことはなかった。日本みたいに発展したはずだ」
満州映画製作所で働いていたZ氏は、「日本人は残虐だ、悪人だと言うけれど、わたしはそんな日本人には会ったことはない。われわれは仲良くやりましたよ」と回想しています。》
「反日に狂う中国、友好におもねる日本」金文学著。
《私は何回も満州でフィールドワークをしていますが、満州国時代を経験した老人たちは、「日本人があのままずっと統治しつづけていたら、満州は日本並みの近代国家になっただろう。その後、共産党に支配されたことが不幸だった」と言っていました。
(参考)
これは昭和9年11月に営業運転を開始した特急列車です。
満州の軌道の幅(レールの幅)は日本国内よりも広く設置されています。このことからも、満鉄は思い切った設計を行うことが出来、ご覧の巨大な機関車が出来上がりました。
動輪の直径だけでも2メートルもあります。
動輪の直径だけでも2メートルもあります。
営業開始時に大連で撮影された写真とのことで、当時の新聞をはじめ、様々パンフレットに用いられています。
横から見ますと、流線型の車体の外形がよくわかります。人の大きさと比べても如何に大きな車体であるかが伺えます。(以下省略)
2)満州国地図
3)満州国の当時の絵葉書
明治以降に刊行された図書・雑誌のうち、インターネットで閲覧可能なデジタル化資料を公開
The capital of Manchukuo 1 of 2 / 満州国国都、新京《前編》
The capital of Manchukuo 2 of 2 / 満州国国都、新京《後編》