中国軍での米国従軍記者のレポート


ニューヨーク・タイムズ』のティルマン・ダーディン通信員は、上海から南京まで追撃される中国軍に従軍していた。

つまり、この通信員のレポートは中国軍の内部からの情報であり、これが逃げた他の通信員との違いである。

以下、彼のレポート。



ニューヨーク・タイムズ』のティルマン・ダーディン(英語版)通信員は、『文藝春秋』(1989年10月号)のインタビュー記事にて、


「(上海から南京へ向かう途中に日本軍が捕虜や民間人を殺害していたことは)それはありませんでした。」とし、

「私は当時、虐殺に類することは何も目撃しなかったし、聞いたこともありません」

「日本軍は上海周辺など他の戦闘ではその種の虐殺などまるでしていなかった」

「上海付近では日本軍の戦いを何度もみたけれども、民間人をやたらに殺すということはなかった。

漢口市内では日本軍は中国人を処刑したが、それでも規模はごく小さかった。南京はそれまでの日本軍の行動パターンとは違っていたのです。南京市民にとっても、それはまったく予期せぬ事態でした」と、

伝聞等による推定の数として南京では数千の民間人の殺害があったと述べた。

また南京の『安全地区』には10万人ほどおり、そこに日本軍が入ってきたが、中国兵が多数まぎれこんで民間人を装っていたことが民間人が殺害された原因であるとしている。

またニューヨーク・タイムズは「安全区に侵入した中国便衣兵が乱暴狼藉を働いて日本軍のせいにした」とも報道した




中国軍に従軍していた『ニューヨーク・タイムズ』のティルマン・ダーディン通信員は、当時の南京市内の状況を以下のように述べている。


                ☆

For example, the New York Times reported the following incident with the headline, "Ex-Chinese Officers Among US Refugees; Colonel and His Aides Admit Blaming the Japanese for Crimes in Nanking," on January 4, 1938:

たとえば、1938年1月4日、ニューヨークタイムズは見出し「米国の避難民の中の元支那軍将校達」で以下の事件をレポートしました。

支那軍大佐と彼の側近は、彼等の南京での犯行を日本人のせいにしたと白状した。

SHANGHAI, Jan. 3 - American professors remaining at Ginling College in Nanking as foreign members of the Refugee Welfare Committee were seriously embarrassed to discover that they had been harboring a deserted Chinese Army colonel and six of his subordinate officers.

The professors had, in fact, made the colonel second in authority at the refugee camp

南京の金陵女子大学で避難民救助委員会の外国人委員として残留しているアメリカ人教授たちは、逃亡中の元支那軍大佐一名とその部下の将校六名を匿っていたことを発見し、心底から当惑した。

実は教授たちは、この元支那軍大佐を避難民キャンプで二番目となる権力ある地位につけたのである。(注)元支那軍人達は市民を装っていた。

The officers, who had doffed their uniforms during the Chinese retreat from Nanking, were discovered living in one of the college buildings.
They confessed their identity after Japanese Army searchers found they had hidden six rifles, five revolvers, a dismounted machine gun and ammunition in the building.

この将校たちは、支那軍が南京から退却する際に軍服を脱ぎ捨て、それから女子大の建物に住んでいるところを発見された。

彼らは大学の建物の中に、ライフル6丁とピストル5丁、砲台からはずした機関銃一丁に、弾薬をも隠していたが、それを日本軍の捜索隊に発見されて、自分たちのものであると自白した。

The ex-Chinese officers in the presence of Americans and other foreigners confessed looting in Nanking and also that one night they dragged girls from the refugee camp into the darkness and the next day blamed Japanese soldiers for the attacks.

この元将校たちは、南京で掠奪した事と、ある晩などは避難民キャンプから少女たちを暗闇に引きずり込んで、その翌日には日本兵が襲ったふうにしたことをアメリカ人や他の外国人たちのいる前で自白した。この元将校たちは戒厳令に照らして罰せられるだろう。



東京裁判陳述書 
ティルマン・ダーディンの陳述

昭和二十一年三月三十一日

私は現在中国で紐育タイムス通信員(中国局長)を務めています。そして昭和十二年には南京で同社の為に働いていました。

私は陥落の二,三日後中国の兵隊が四十人か三十人の団体を作って引き出され南京の揚子江近くで日本軍により小銃や拳銃で射殺されるのを見ました。又撃たれたり銃剣で突かれたりした一般市民の死体が南京の街上に横たわっているのを見ました。

私は日本軍が入って来た時南京に居ました。
そして夫れ迄に約三ヶ月南京に居たのです。

私は同様に証言出来る同業者の名簿を提出しました。
私は南京占領後間もなく米国の砲艦に乗って南京を離れました。
私は南京で松井大将を見ませんでした、

私は南京の情況について紐育タイムスに記事を書きましたがそれは昭和十二年の十二月二十四日頃同紙上に出ました。

私は漢口占領の時にも其処に居りましたが、其処では中国兵の死体は沢山見ましたが、一般人の死体は見ませんでした。

私は漢口の残虐事件は若しあったとしても見ませんでした。
残虐が行われてと言う報道はありましたが私は一つも見ませんでした。

ジャック・ペルデンは多分上海に居ります。そして、コリアーズの通信員は昭和十二年に中国に、ユナイテッド・プレスと共に居りました。




(注)
日本軍が南京攻撃中、逃げずに南京市内に留まったのは、アメリカ人特派員二人、ニュース・カメラマン一人のほかに、一五人のアメリカ人であった。他にドイツ人六人、イギリス人一人、ロシア人二人が残留外国人集団を構成していた。

つまり、海外メディアの連中の大半は南京にはいなく、無論、現場もみていないにも拘らず、日本軍は何万人も民間人を虐殺したとの記事を書いたのである。



今日、二回目の更新記事

差別なき日韓併合時代と満州国