捏造:南京大虐殺の元は中国と朝日新聞


私が南京大虐殺に有無に関して疑惑を抱いたのは、凡そ7年前だと記憶している。

当時、ネットで一日4~5時間投入で約一ヶ月間、色々な資料を探し出しUSBにコピーして言ったが、肝心のUSBが長期間の私の削減や書き換え、膨大な画像のメモリーで遂にはオジャンのパーのトホホ。

今回、改めて色々な資料を調べてみました。



先ずは、確認事項。

毛沢東は生涯ただの一度も南京虐殺などということを言わず、当時の中国国民党が行っていた300回の記者会見においても言及されたことがない。

1960年から1982年まで人民日報には南京大虐殺を論じた記事は一つもない。

その前に、日本が南京市民を60万人とか30万人とかを虐殺したとか騒いでいるが、では一体、中国共産党が何人の罪なき自国民を殺したであろうか。

1)大躍進の死者数

中国共産党中央党史研究所の副主任”蓼蓋隆”氏は「炎黄春秋」の中で異常な死者の数は4000万人を超すと書いている。

2)文化大革命の死者数

文革時の死者40万人、被害者1億人」と推計する解説が11期3中全会(78.12月)に行われた(『毎日新聞』79.2.5日)

平成9年(1997)にフランスで刊行された「共産主義黒書」には、6,500万人が死亡と記入されている。






曽野綾子さんの産経新聞 2010年10月20日 朝刊7面オピニオン《透明な歳月の光》 という記事

「中国礼賛し続けた日本のマスコミ」
-抵抗の精神、今も失ったまま-

・・・そもそも中国に対してあってはならない尻尾の振り方をし続けたのは、日本のマスコミだったのである。

今から40年前、産経新聞時事通信を除く日本のマスコミは、絶えず脅しを受けながら、特派員を受け入れてもらうために、完全に中国政府の意図を代弁する記事を書き続けた。

朝日、毎日、読売、等の全国紙、東京新聞などのブロック紙などは、中国批判はただの一行たりとも書かず、私たち筆者にも書くことを許さなかった。

私が少しでも中国の言論弾圧を批判すれば、その原稿は私が内容表現を書き直さない限りボツになって紙面に載らなかった。

私の手元に亡くなった作家の杉森久秀氏の書いた『中国見たまま』という1972年に文芸春秋から出版された本があるが、その中にほんの5行で、当時の日本の卑屈な空気を伝えた箇所がある。

「戦後長い間、私は中国訪問から帰った人の口から、この国を賛美し、たとえば、人民は希望に燃えているとか、国中に建設の意欲がみなぎっているとか、町にはゴミが落ちていないとか、ハエが見当たらないとか、泥棒がいないとか・・・・。 しかし、この国がいかに貧困か、いかに工業製品がすくないか、いかに開発がおくれているかについては、誰も言わなかった」。

当時日本の一般人までが中国へ行くと必ず「中国の子供の目は輝いていた」と書いた。

私に言わせれば、マスコミは正気で「発狂」していた。意図的に、権威と脅しの幻影に追従した。中国の、近、現代史がいかに多くの人民を殺害(粛清)氏、言論を弾圧し、学問、移住、職業選択の自由を迫害したかには触れなかった。 <以下省略>




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日中国交樹立直前の1971年(昭和46年)8月末より朝日新聞紙上に掲載された本多勝一記者の『中国の旅』という連載記事とは。

1971(昭和46)年8月から12月まで、本多勝一記者の手になる「中国の旅」は、4部構成で通算約40日間にわたって朝日新聞に掲載されました。

南京を含む中国各地での日本軍の残虐行為が精細に描写された記事で、南京事件についての一般的日本人の認識はこれ以降大きく広まり、また日本人による南京事件目撃証言がさまざまな雑誌や本に掲載されるようになった

 同時に、朝日新聞社は手持ちの活字媒体を中心に、「アサヒグラフ」「週刊朝日」「朝日ジャーナル」 を総動員、日本軍断罪の一大キャンペーンを始めたことはすでに記したとおりです。

1    「 ウラづけ取材ナシ」 報道のさきがけ

 これほど国民に衝撃をあたえた「中国の旅」連載は、まっとうな取材にもとづいたまっとうな報道だったのでしょうか。

とんでもありません。とても報道と呼べるような代物ではなかったのです。

ただ日本軍を叩きたいという1点で、朝日新聞社の目先の利益と中国の利益が合致していたからにほかなりません。

 私の言いがかりではありません。また、事実に反したことを記しているわけでもありません。当の本多本人が次のとおり書いていることからも判断できます。 


「中国の旅」は、

   第1に「中国の視点」を紹介することが目的の「旅」であり、
   その意味では「取材」でさえもない。

   第2に事実関係については日本側の証言を求めています。

 というのです

(つまり本多勝一記者の抗弁とは)
(1)   “ 「旅」であって「取材」でさえもない”
(2)   「 私は代弁しただけ、抗議するなら中国に 」


                               続く
(注)記事と画像は借用しております。