今も現れる3・11の霊魂


3・11で亡くなられた方々の霊魂が今でも現れるそうですね。



(参考)

「死後体験」ハート出版 著者 坂本政道氏によると、

.....①人間誰でも、ある周波数で死者の霊魂に会えたり、現在生存している人の生霊に会える。
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.....②訓練を積むと、円盤型宇宙船と宇宙人に遭遇できる。
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.....③この世に未練のある場合、あるいは、自分が死んだことを知らない場合、死者の霊魂が現れる



ユーチューブがあります。
ある脳外科医の体験です。

【衝撃真実】死後の世界は100%存在した!【奇跡と感動】



NHKも取り上げた被災地の“心霊体験”はまだ終わっていなかった
週プレNEWS 3月9日(月)2時0分配信

津波から逃げる幽霊を見た」「某所の橋はマジで“出る”らしい」ーー。
 被災地では、震災から4年になる今でもこうした幽霊の目撃談が後を絶たないという。

さらに「東日本大震災ほど幽霊話が顕著だった震災はない」と指摘する研究者も。被災地に出る幽霊の正体を追った。

■沿岸の、とある道路に幽霊の行列!
 3・11直後から被災地にはこんなウワサが流れている。震災で亡くなった人が幽霊となって出る――。例えば、こんな話だ。

 「ある橋では、幽霊がタクシーを止めて乗り込んできて、運転手が行き先を聞くと決まって『あの、私、死んだんでしょうか?』と聞いてくる」

また、こんな話も。
 「沿岸にある、とある道路では、夜になると震災で亡くなった人たちの霊が行列を作るほどたくさん歩いている。そこを通る車から『人をひいてしまった』と警察にたびたび通報があるが、実際、誰かがひかれた形跡はない」

 他にも「ある町では、津波から逃げているのか何度も何度も同じ建物に駆け込む幽霊が出る」「大勢の人が亡くなった浜に青白い炎が見えたり、人の話し声が聞こえたりした」「ある道路が夜間通行止めになるのは、幽霊の目撃談があまりに多いから」などなど…。

 実は震災から4年になる今でも、こうした幽霊の目撃談が後を絶たないのだという。(以下省略)


被災地でいまだ囁かれる心霊現象、本当にあった震災の怖い話
週プレNEWS 3月5日(木)

山形市在住の怪談作家・黒木あるじ氏は、被災地で怪体験をした人に直接話を聞いて、「震災怪談」なる怪談実話を手がけている。ここに記した話はすべて、黒木氏が取材したノンフィクションである。

 【震災怪談1 電話番号】
 被災地にある、割合、大きな町の役場で聞いた話である。
 震災後、とある部署に設置されている電話が、決まった時間に鳴るようになったのだという。しかし、その電話を取ろうとする者は誰もいない。
(以下省略)


4年経っても広がり続ける震災後の“心霊伝説”目撃の裏にあるのは
週プレNews  2015年3月11日

前回、配信した「被災地でいまだ囁かれる心霊現象、本当にあった震災の怖い話」や「NHKも取り上げた被災地の“心霊体験”はまだ終わっていなかった」が反響を呼んでいる。(中略)

今も被災地で広がり続け、終わらない幽霊譚(たん)。その背景には一体、何が…。

山形市在住の怪談作家・黒木あるじ氏は、これまで100人以上から被災地での奇妙な体験を聞き、「震災怪談」を手がけてきた。その黒木氏が「被災地での幽霊との遭遇」についてこう語る。

「それは東北だからです。戦後間もない時期まで飢饉(ききん)や災害、疫病で多くの人が亡くなり、今もその記憶が残っている。

東北では死者が身近な存在なんです。青森・恐山のイタコが行なう口寄せ(死者の魂を呼び寄せる儀式)に代表されるように、死者とのコミュニケーションの回路がいくつもある。

西日本では伝統的に死者の霊が出たら祓(はら)って鎮(しず)めますが、東北ではイタコのような巫女(みこ)が死者とのコミュニケーションを図る。この地では、死と折り合いをつけてきた文化や風土があるんです」

「だから…」と黒木氏は続ける。「今回の震災でも、みちのくの民は“彼ら”を遠ざけずに交流する道を選択したのだと思います」(以後省略)



(3・11の私の場合)
今、眠っている場所を発見するためにも  2012/3/26(月)

それにしても、昨年の東日本大震災津波で未だ遺体を発見されていない方々はどうしているのかな?
 
何処で眠っているのだろうか?
早く見つけてあげたいもの。

そう思い、目を閉じたら見えたのは縦長の「のぼり」。次に砂浜。
翌日は女の子。

恐らく、この砂浜に少女の遺体は眠っているものと思われる。
『私はここよ。私を早く見つけて!』と言いたいのかも。

でも、色々とサイトで検索してみたものの、震災地でのこののぼりの情報が無いから、場所を特定出来ない。




この世に何等かの未練を抱いて亡くなった方の霊魂は、この世をさまよい続けているのは明らかですね。

以下は、数ある私の実体験の中から数個抜粋。

実在としての霊魂  2013/1/4(金)
霊魂が実態として登場する。

私の両足首は掛け布団からはみ出した形で床に就く。
と、この両足首が現世から霊魂の世界に突き抜け、足首の向こうに見えるのは芝生の中庭。

その中庭中央にあるガザボの中に、白いドレスを着た女性が立っている。左手前の木の下には、かすりのモンペ姿の女性。

その彼女たちが、私の霊界に突き出た足の裏をくすぐる。
くすぐったいので私は足首を少しねじる。

と、彼女たちは、明るい霊界に突き出た足首から、真っ暗闇な寝床の私の身体をせり上がり、私の右脇の下を、更には両脇の下を、胸を、くすぐる。


                  ◆

あの世の女性は何故全裸なの? 2013/1/5(土)

2006年夏、眠っている私の顔に何かがそっと当たるので目が覚める。
見上げると、天井を突き抜けてきた白いロングベールの端。

2007年4月25日未明
彼女のスナップ写真二枚が映し出され、その写真の下には彼女の『フルネーム』と愛称『○ー○ン』がピンク色で書かれている。


                   ◆


菅原 道眞の場合

和歌『東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな』は有名ですね。

忠臣として名高く、宇多天皇に重用されて寛平の治を支えた一人であり、醍醐朝では右大臣にまで昇った。

しかし、左大臣藤原時平におとしいれられ、大宰府へ権帥として左遷され現地で没す。

死後天変地異が多発したことから、道真の祟(たたり)とされ、清涼殿落雷の事件から道真の怨霊は雷神と結びつけられた。

火雷天神が祭られていた京都の北野に北野天満宮を建立して道真の祟りを鎮めようとした。(以後省略)


その道真が、8年前、長岡天神に参拝後、夢に現れるんです。

追い落とし陰謀はいつの世でも!  2006/12/15(金)

彼の言う「おもむき」とは?  2006/12/16(土)



駿河大納言忠長も、兄の家光により切腹自害を強制され、この世に未練を残して逝きましたから、現れたんですね。

私の履歴書・401
高崎のホテルでの怪奇な一夜 2011/10/11(火)

駿河大納言忠長とは、徳川家三代目将軍徳川家光の弟。兄・家光よりも才覚があり、家光の存在を脅かします。 
 
跡目三代目将軍を巡って家光を春日の局がバックアップした結果、家光が三代目将軍となり、弟・忠長は駿河城主から、一転、高崎で幽門され、切腹させられます。
 
忠長はこの世に強い未練や恨みを残し自刃したものと思われます。



亡くなった夫の場合は、一周忌以降、妻の元を訪れるようです。

誰でも行ける霊魂の世界  2009/10/2(金)

ブログ友のご主人の亡くなって一周忌も済んでから、ご主人が度々現れます。
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同じようなことを、私の母も体験しています。
今は亡き私の母の日記を見ますと、父が亡くなり、一周忌が終わってからの9月11日夜、眠ろうと床に就いたら父の霊魂が初めて母に現れるのです。

父は『私、死にたいな』と言う。母は『父さんは死んでいるのにどうしてこんな事を云うのか』と思ったそうです

そしたら母の背中からごろっと大きいものが畳の上に落ちた。それは人間の身体位の大きさであった。気持ちが悪くとても背中の方は見られなかった・・・と母は書いています。