古代も今も文明は日本から朝鮮半島へ


遺跡発掘とDNA鑑定で、次々と明らかにされ、覆される従来の歴史(通説)

にも拘わらず、中学・高校の歴史教科書では、依然と学会でも否定されている稲作は朝鮮半島から伝わったと書かれているとか。稲のDNAを調べるとその逆で、稲作は日本から朝鮮半島に伝わったことが証明されている。

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(参考)竹田恒泰~嘘だらけの日本史教科書 稲作は朝鮮半島伝来ではない 
ニコ動コメ付き ユーチューブ  2014/10/08 に公開

(注)東京書籍の教科書『歴史』の全国シュアは50%強。
つまり全国の児童の半分は嘘の歴史を学んでいることになる。
無論、ありもしない南京大虐殺30万人なども事実として学んでいる。
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他方、韓国の前方後円墳の発掘で明らかになったことは、韓国の前方後円墳は5~6世紀の築造。対して日本の前方後円墳は3世紀には既に出現している。

つまり5~6世紀には、朝鮮半島最西南部では端から端まで100m近い墓を造る倭人(日本人)・倭種の強力な勢力があったということである。

然し、NHKクローズアップ現代 『明らかになる古代の「日韓交流史」』 では、単なる九州と朝鮮半島と交流があったとの見解で終始している。

NHKは韓国の前方後円墳から発掘した装飾用馬具を取り上げているが、もしもその馬具が新羅から九州に伝わったとするなら、新羅の隣国や朝鮮半島にもその馬具がなければならない。然し、九州と新羅以外にその馬具は見当たらないのである。

朝鮮半島前方後円墳の成立史から鑑みると、この前方後円墳から発掘された装飾馬具は、先ず中国から日本に伝わり、日本人(倭人)が新羅で増産し、それをこの墳墓に埋葬したとの検討が為されて当然ではなかろうか。


以下のユーチューブは結構面白い。



『韓国人は何処から来たか』 長浜浩明著
MSN産経ニュース 2014.2.23 09:16

イメージ 1

かつて南方と北方から人々が日本列島にやってきて、縄文人となり、そこに朝鮮半島から大量の渡来人が来て弥生人が構成されたとの説が広く流布されていた。

しかし、研究などから事実は逆であることが分かってきた。

 朝鮮半島には1万年前から5000年前までの間、無人時代があり、その後、日本から縄文人倭人)が進出して、古代朝鮮人を形成したと著者はいう。

だが、その後、北方民族が半島を侵略して、民族の大交代が起こったことが、最新の遺伝子研究によって裏付けられるという。

 目からうろこの朝鮮民族の負の歴史である。(展転社・1575円)


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ユーチューブ

尚、ここには短縮版を掲載していますが、もっと詳細を知りたい方は、『<歴史・公民>東京塾・第25回研修会【長浜浩明】韓国人は何処から来たか 2014.7.26』をクリックしてご視聴下さい。
http://youtu.be/63JZZK40CaQ   1時間10分12秒


(短縮版)
【長浜浩明】韓国人は何処から来たか   33分38秒
(注)↑映像がまともに出ない方は上記URLをクリック


(韓国の歴史書から)
朝鮮半島の古代王朝の始まりは倭人(日本人)。
遥か昔から血族結婚を繰り返した来た。

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『韓国人は何処から来たか』長浜浩明著
以下、最も参考になったカスタマーレビュー2件抜粋


縄文人は日本人と韓国人の祖先だったことがよくわかります。
投稿者 カスタマー 投稿日 2014/2/4
形式: 単行本 Amazonで購入

稲作は、朝鮮半島から日本に伝わったと書かれた書物を頻繁に見かけます。しかし、考古学の発見により、稲作の跡は日本の方が朝鮮半島より1000年以上古いことが明らかにされている。

また、米(コメ)のDNA鑑定から日本から朝鮮半島に伝わったと考えるべき結果が出ている。弥生人が米をもたらしたとされるが、縄文人の古墳である青森県の三内丸山古墳で6000年前の水田の跡が見つかっている。

つまり、俗に言われる「土着の縄文人と、朝鮮半島から日本に来た弥生人」ということが正しくないことは、すでに明らかにされている。

考古学的、遺伝学的(ミトコンドリア遺伝子解析、Y遺伝子解析)から、縄文人が日本列島と、朝鮮半島に住んでいた。

朝鮮半島では、モンゴル系、北方シナ系人に征服され、モンゴル系、北方シナ系人が父系、縄文人を母系として出来上がった民族であると教えてくれる。

本書は、マスメディアで報道されること、教科書、いわゆる学術書に書かれていることがいかに事実に基づかず書かれているかを教えてくれます。

                       ☆

現代朝鮮人は何処から来たのか。
投稿者 海 トップ50レビュアー 投稿日 2014/3/10
形式: 単行本

この本は、「日本人のルーツの謎を解く」」の姉妹書と言っていい。考古学界・古代史学界は、未だ敗戦の呪縛が解けずイデオロギー史観の影響も色濃く残っている。

そして、明治以来のモースの云う「はじめに縄文人が住んでいたが、その後北方起源の弥生人が入って来て混血により現在の姿となった」という素朴な考えも残っている。

興味を惹いた部分を記す。
近年、人骨・土器の発掘やDNA分析という強力な手法も登場し、現在までの説は実証的・論理的にも破綻し見直しが必要となってきている。

戦後の一時期、一世を風靡した騎馬民族渡来説や人・文化の朝鮮半島渡来(経由)説は怪しくなり再検討を要す状態である。

騎馬民族渡来説に至っては、ファンタジーあるいは時代の要請の中で生まれた産物であったとまで言われるようになった。

朝鮮民族について解ったことは、約4000年前に渡来してきた新石器時代人であり朝鮮半島からは、約1万2000年前人影が消えている。

旧石器時代人とは、断絶しているというのが定説である。
(韓国の歴史・金両基監修等)

これに対し、日本は沖縄で約3万6000年前の人骨・土器が出土している。また、北海道、東北、関東でも多数の旧石器遺跡が発見されている。

このことは、旧石器時代人がそれぞれ北回り、南回りで日本列島に渡来してきたことを示す。(注)朝鮮半島経由ではない。

そして、混血した人たちを縄文人と仮に名付ければ、その人たちが朝鮮半島へ渡来していった。

朝鮮半島南部の慶尚南道釜山広域市には、約7000年前〜約6000年前の縄文遺跡が残っている。そこでは、縄文土器・九州産の黒曜石等が発掘されている。そしてそれは、半島北部にまで及んでいる。

この事は、通説とは逆である。

沖縄については、港川人(約1万8000年前〜約1万6000年前)の後、1万年以上遺跡は消えている。

そして、約6800年前から縄文遺跡が発見されるようになりそこでは、九州の曾畑式土器及び佐賀県産の黒曜石が出土する。中国・朝鮮の土器類は出土しない。

これから言える事は、沖縄の祖先は日本からやって来たのであった。沖縄も断絶しているし現在の通説とは、逆である。


アイヌについては、アイヌ語が北回りの旧石器人の末裔である言語とは全く系統が違っている。

分っている事は、13世紀モンゴルの攻撃を受け樺太から追われて日本へ逃げてきたということである。これも、現在の通説とは異なる。

以上は、第一部第一章であるが第二章以降、第二部からは、個別具体論となる。

DNAのY染色体分析により現代日本人の祖先は縄文人であった。
韓国人女性の祖先は日本からやって来た。
韓国人は、「日本人と北方シナ人」の混血であった。

韓国5000年の歴史はウソ。
檀君神話は、日本書紀の560年後に書かれた等々続くが決して、トンデモ本ではない。
一つの事例として、北部九州(糸島地方)に支石墓とう弥生時代の墓が多数ある。これは、半島由来と言われていた。

ところが、人骨は何と全員、縄文人に似ていたのであった。形態人類学者は慌てた。そこで、篠田謙一氏は、国立遺伝研究所のデータによりmtDNAを持つ現代人は何処にいるかを調べた。

その結果、縄文・弥生人共に相同タイプを多く共有するのは、本土日本人でありそれ以外では、朝鮮、中国遼寧省山東省といった日本に近い地域の人々との一致が多かった。また、朝鮮半島縄文人と同じDNA配列を持つ人がかなりいた。

この世界の学者は、閉じた狭い社会でボスに逆らうことは出来ない。
変化を期待するのは、百年河清を待つの類いとなる。
この分野は、自由な在野の人たちの活躍が目立っている。

「知っていますか、 任那日本府」 大平裕(大平元総理のご子息)というのも良かった。日本を隠すため前方後円墳の形に手を入れているようである。ファンタジーに生きる民族には困ったものである。

一つ忘れていた。韓国語とは、「日本語の<文法>を母とし、シナ人の<音>を父として出来上がった高々500年の歴史しかない混合語」である。それは同様、混血民族であるという事と同義である。



尚、中国や朝鮮半島、そして日本に現存する史書から解き明かされた歴史のユーチューブもありますが、その掲載は後日。



(追記)1017.05.25(木)
魏志倭人伝に記されている食豊かな日本国
日本の稲作文化を朝鮮半島へ伝えたことが魏志倭人伝に明確に書かれている。
イメージ 2
(画像右の文章)
倭人在り帯方の東南大海の中依別分一体の衣の山烏(烏巣)の山の為に国邑「甲骨亀甲因書・示は亶?百々食余アマル」

国は水の方位は漢「歴の時・有「一心を断ち切る別分の舟月」に朝を見る者今の使い譯の所を通る参拾国を従え郡に到るは倭循海「取巻く海岸」水行歴韓国乍南東に到る其の北岸狗邪「いやしい」 韓国より千「一心一体の流れ 大いなる乙 一心一体に従う」食余アマル里。

邪馬壹国。「国家の因書」

食料「稲作」も九州から食余る「稲作」が伝わる豊かな日本国から韓国へ伝える明確な因書が示されて要る。

 詳細に解読すると、邪馬壹国は喰う事には「余る」十分な食料があり、倭族の先導で邪馬壹国に民族が移動した。

水の方位は「漢・歴の時とは?・大々的に倭族民族が移動した歴・と言う辞気である。
「一心を断ち切る別分の舟月」・・・今の使い譯(韓国)の所を通る・・・・

神道国学の甲骨亀甲因書で「邪馬壹国」の解読書と完全に一致して要る。

魏志倭人伝神道易学者の祖が執事した文書である。従って全編に渉って神道易学の甲骨亀甲因書で著書編纂されて要る。
特に注意して解読しなくては為らない場所は「十日」とか「二十日」「一月」の文書である。

この文書は日にち日数が書かれて要るのではない。明確に日数の認識は無く、甲骨亀甲因書に因る語部で伝える「語部因書」に為っている。
更に「一月」は第二次長州征伐で藤井徳佐衛門に略奪されて偽造されたのである。従って正しくは「一バウ月」である。

(画像左の文)
始め度(渡) 一海千「大いなる乙・一心一体に従う」食余る里。至る
對海国 其の大官曰く・卑狗副曰く・卑奴母離れ所居・絶烏山
の方可・四方百々食余る里。土地山険しく・多くは森深く林の道路如何に・?鹿径(獣道)有り・千「大いなる乙・一心一体に従う」食余る里は無し。良い田・食海物は自活・乗船南北市は雑日。

決まった定期的な市は無く・自活した生活と言って要る。

(以下の魏志倭人伝の文章省略)



(本日、二回目の更新記事)

 NHKに漂うウンコ(糞)文化