〈高校時代-6〉母の戒め


(前回の記事)
私の履歴書〈高校時代-5

もう手遅れの修学旅行の後悔




私の履歴書〈高校時代-6〉
母の戒め

誰にも気づかれなかったですね。私が何故に修学旅行でバスガイドを冷やかしたり、可愛い娘(こ)を見つけてはパチリしたのかを。

これらの行動は実は私の噂を柚子さんに届ける為でした。
私の存在を柚子さんに再認識して欲しかったからでした。

幼稚な手法ですね。
あたかも母の温もりを求めての幼児の泣き叫ぶ姿と同じですね。

       ☆
苦しかったのです。
胸の内は。
 
中学1年後半から始まった反抗期はまだまだ続いていましたし、それに恋情に、更に話しかけることさえ出来ない気弱な自分。
 
こういう自分が嫌でしたね。
鏡を見ることは大嫌いでした。

鏡に写る顔は、反抗心と苦渋に満ちたもの。
然も眼には睡眠不足で精気がない。
 
こんな自分を柚子さんが好いてくれているなどと思ったことは皆無でしたし、思いたくもなかったですね。
 
勉強の方と言えば、アホなことの繰り返しでした。
未明に兄が私に声をかけました。
「お~、徹夜か。明日は数学のテストか。」
実は、明日は日本史のテスト。
 
こんな調子でした。
学校のテストでは直前にテストの教科を勉強しないのです。
 
アホですね。学校のテストは範囲が決まっており、或は、教師が事前に選択した幾つかの練習問題の中から試験問題を出すと言っているのに、それさえも無視。
 
試験で一番難しかったのが数学でした。皆は解答を暗記して試験に臨みますから模試で20点台の人でもこの試験では100点とれる。

私の場合は、それらの問題には初めての挑戦なので解くのに時間がかかる。
テストで5問出題されたら時間中に解けるのはせいぜい3問ですね。自業自得。
学校のテストは模擬試験のテストより難しかった!
 
日に日に益々自己嫌悪に陥る私。
どうしようもない自己。
 
このどうしようもない自己をぶつけた被害者が文通相手。
中学二年の時、転校していった女の子とその後文通をしていたのです。
 
面々と自分の胸の苦しさを書いて投函。
徹夜で手紙を書いたことも何度か。
 
そんな長々しいくだらん手紙を読む相手の女性の迷惑な心情などを考える心の余裕はありませんでした。
 
いつからか返事は赤ペンで書かれてある。
当時の慣習として赤ペンで書かれた手紙の意味は『絶交』。

(注)この文通の一部は昨年まであったのですが今は見当たらない。見つかり次第、この記事に画像を貼付します。

それを無視して手紙を出し続ける。
手紙が重量オーバーで郵便料金不足なんて気付くはずもない。
 
恐らく母は私の手紙の下書きか、もしくは相手から来た手紙を読んだのでしょうね。私が柚子さんに狂っていることを、どうやら知っていたようです。
 
或る日のこと、母は柚子さんの両親を知っていると言う。

「あのね、冬樹。あの娘(こ)の両親はあの娘が小さい時離婚し、息子と娘の二人の子供は母親が引きとったの。父親の方は再婚したけど、母親の方は実家に帰り、家業を手伝いなだら子供を育てているの」
 
更に「子供が小さい時に両親が離婚した場合、父親の実態を見て育っていないし、特に女の子の場合、母親は娘に父親の愚行を話しているから、娘は結婚してから夫に対して清浄潔癖さを求め過ぎるの。だから夫婦喧嘩や離婚しやすい」 と。
 
もう一つ「夫婦喧嘩の大半の理由は夫の収入が少ないこと」
 
母は私を見るに見かね、そして私を勉強に集中させようとして言っていることは分かるのですが・・・・。
 
だが、これで更に悩みは増し、深刻な事態となりました。
彼女の望む夫の姿とは?
 
こんな自堕落な自分ではどうしようもない・・・・・・
彼女と結婚した場合、愛想をつかされるのは必死。
 
収入の点では、高収入で安定した職業に就くためには、中途半端な大学卒では無理かも。超難関大学が最低条件かも。そうでなければ毎日が夫婦喧嘩・・・・・
 
想像するのは笑顔が消えた彼女のほほと瞳。
トホホ・・・・・・
 
亭主に愛想を尽かした彼女の母親とはどんなんだろう。
そう思って、彼女の母親のいる店の前を二度歩きました。

「着物姿のあの人が母親か」
背は大きめの凛とした威厳のある姿。
 
このどうしようもない自己に輪をかけ落胆した私は、その母親の妹(柚子さんの叔母)が経営している店にも行きました。

この店には、凛とした威厳はなく、度々行って何かしらの物を買い、何かしらの言葉を交わしました。
 
この時が最も心が落ち着く一瞬でした。

      ☆     ☆     ☆

(余談)

私との文通相手で然も私の気違いじみた文章を読んでくれた女性との6年ぶりの再会の記事は以前に書いていましたね。

不二家はどうなるのだろうか  2007/1/16(火) 

『 不二家のショートケーキ 』
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京都に来てから二年目の昭和41年(41年前)のこと。

東京にいる同郷の、ある君との初デート。
中学二年以来、六年振りの再会。
渋谷忠犬ハチ公で待ち合わせ。

最初に入ったのが、そこからほど近いビル2Fの不二家茶店

ペコちゃんが、したり顔で迎える。

君が注文したのが、ショートケーキ。

生クリームは輝く白。真綿のような柔らかさ。
イチゴの表面は、つやつやと赤く輝く。

君は、小さなフォークで、その小さな一片を口に運んだ。

「おいしい!!」

とたん、表情がゆるむ君。
笑顔がますますかわいくなる君。
後光が差したように、まぶしくなる君。

そして数年後、私が不二家のショートケーキを初めて味わう日。

そうか!!
あの時の、あの君の喜びがこの喜び!
あの時の、君の舌の感触がこの感触!

あれから幾十年。
そして今も、あれからずっと今までも、買うのは白く赤いショートケーキ。

白い皿に乗るショートケーキを見る度に、あの時の光景があざやかによみがえる。
あのときの君が、今でもまぶしい。

      ☆     ☆     ☆

ハチ公像:あれから50年弱  2013/7/26(金) 

昭和42年新宿通り伊勢丹に行き、1Fの女性店員のアドバイスで蓋がカメオの銀製(スターリングシルバー)コンパクトを買い、彼女に贈りました。

イメージ 2

                                  つづく



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