平和ボケした国民の未来は?
一旦平和ボケしてしまった国民の末路は?
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カルタゴの悲劇
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○ 金で買った平和
カルタゴは今からおよそ2800年前にアフリカ対録の最北端、地中海に面した地に興った海洋商業国家で、その後数百年の長きにわたり、当時の世界最強の国として地中海に君臨しました。
やがてローマはシシリー島を領有する野心を持ち、ここにカルタゴとの間に戦争が開始されました。ときに紀元前264年、第1次ポエニ戦役の始まりでした。
大海軍国カルタゴに対する小国ローマは、国民が一致団結して大艦隊を建造し、たび重なる台風で艦隊の多くを失うと、ただちに倍旧の軍艦を新造して20年あまりを戦い抜きました。
その一方、カルタゴの国内では、これ以上戦費を負担するのはごめんだという世論が強くなり、政府はローマに和議を申し入れる状況に追い込まれました。
ローマは和議の条件として、シシリー島の割譲と巨額の賠償金を要求しましたが、カルタゴの人々は、金で平和を買えたとばかり喜んだのでした。
○ またしても金
ローマの狙いはカルタゴに代わって地中海を支配することにありました。ですからローマはその後も地中海の島々を次々と占領し、地中海の支配を強化してゆきました。
やっと事態に気づいたカルタゴは、名将ハンニバルをローマに進攻させました。ハンニバルはローマが支配する地中海を避け、カルタゴ領であったスペインに上陸、歴史に残るアルプス越えを行って北イタリアから攻め入り、ローマと戦いました。
(注)ハンニバルは植民地の総督の息子として生まれ、そこで育った。イベリア半島がハンニバル一族の属領だったからこそ、後に将軍としてローマ侵攻を任されたとき、北アフリカから象と騎兵を集め、ガリア諸部族の傭兵を加えて大軍を編成して現在のスペインを出発し、南フランスを経由してアルプスを越え北イタリアに入るという長征を敢行できたのだ。
(左)戦象のアルプス山脈越え
(上)第二次ポエム戦争での戦象
疲れ切ったハンニバル軍はよく戦いますが、強大なローマ軍に敗れ、第2回の和議となります。
カルタゴは、ローマに無条件降伏します。全ての海外領土は、放棄され、軍船、象もローマに引き渡されます。
軍隊は、自衛のためのものだけが許されました。そして、自衛のためでも戦争する場合、ローマの許可が要ることになったのです。(この許可の項目が、後に大問題となります)
そして、50年賦で1万タラントの巨額の賠償金をローマに支払うことが決まります。
この過酷な要求に対しカルタゴの政府も国民も、軍備は無い方が金がかからないし、あとは賠償金を払えば良いのだと応じたのでした。
カルタゴは、民主主義の国家に生まれ変わります。
○ 抹殺された経済大国
ローマの野心に気が付いていたハンニバルは、シリアと同盟してローマと戦うことを策しましたが、反対派の政治家がローマに密告するに及んで、自殺に追い込まれます。
その後カルタゴは、政界は政争に明け暮れしますが、商才に長けた国民性からまたたく間に経済大国に戻ります。
ローマの事前許可のない戦争開始は、条約違反でした。
ローマはカルタゴに対して、突然宣戦布告をします。
カルタゴの使者が「どうすれば、許していただけるのですか?」とローマの司令官に聞きます。
「全ての武器を差し出せ。」司令官は答えます。カルタゴは20万人分の鎧、投げやり、投げ矢、2000の石弓を司令官に差し出します。
すると司令官は最後の要求を使者に言い渡します。
使者からローマの意向を聞いた20万人のカルタゴ人は、驚愕し、嘆き悲しみ、最後に激怒します。
「こんなひどい仕打ちがあろうか。街を破壊するだと。
内陸部に引っ込めだと。どうせ死ぬなら戦って死のう!」
カルタゴ人は、丸腰で戦う覚悟を決めます。
返事の猶予期間の30日間、密かに戦争準備がすすめられます。
武器職人は連日徹夜で武器を作ります。
若い女性は長い髪を元から切って石弓の弦が作られます。
こうして始まったのが、第三次ポエニ戦争でした。
そして、ついにローマ兵は城壁を破り、街へ進入します。女、子供までがレンガを投げて抵抗しますが、5万人が虐殺されます。
ビュルサの砦に逃げ込んだ5万人のカルタゴ人は、オリーブの枝を掲げて投降します。彼らは一部が処刑され、残りは奴隷として売られます。
カルタゴの街は、十数日燃えつづけ、灰は1メートル積もります。
カルタゴの復活を恐れたローマ人は、この地に塩を撒き不毛の土地にします。
○ 二重の悲劇
カルタゴがローマと争い始めてから滅びるまでの118年。最後の戦いの3年間を除くと、カルタゴの人々はいつもその場その場をかわすことに終始し、何事も金で解決する方法を選び、ついに国家戦略、すなわち大戦略なるものを持つことがありませんでした。
(カルタゴの遺跡)
このような国はカルタゴに限らず、世界史の中にたくさん見ることができます。
戦略とりわけ大戦略を持たない国が、長期にわたってたどる運命は常に悲劇的ですが、その渦中にある国民が、みずからの運命に気づかないのもまた悲劇的です。
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今回の記事は、「カルタゴの悲劇」をベースに、他の記事や画像を抜粋、あるいは加筆したものです。
《カルタゴの盛衰概略》
青木さんの戦略あれこれ覚え書き
「カルタゴの悲劇」
《カルタゴと日本対比》
カルタゴと日本 ■歴史の玉手箱■
投稿者 エンセン 日時 2003 年 11 月 08 日 03:17:26:ieVyGVASbNhvI
《カルタゴの興亡史》
第96回:“I will either find a way, or make one.”
―「道は見つける。なければ作る」(将軍ハンニバル)
何らの意思も表明することなく、沈黙こそ美徳とお思いのあなた、
TPPで日本の富は根こそぎ国際金融資本に強奪されていく。気づいた時には、もはや自国を守る武器さえ調達する金も設備も無い。
一旦平和ボケしてしまった国民の末路は滅亡ですね。
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