(続)自虐的国家観からの脱却


自虐的国家観からの脱却(前編)は、下記URLです。
前編からお読みください。(↓クリック)


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■5.東京が高い評価を受けた理由

ミシュランガイド』の社長ジャン・リュック・ナレ氏は、韓国の『中央日報』のインタビューで、東京が高い評価を受けた理由を次のように述べた。

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 パリを美食家の都市というが、東京は驚くほど素晴らしい飲食店が多かった。

多くの人々が料理を楽しんでいるからだ。
日本料理はクオリティーも素晴らしい。

シェフのレベルもどの都市よりも高く、何よりシェフ固有の技術がよく伝授されていた。数世代、数百年かけて伝えられる技術と伝統は追随が難しい。

特に私が高く評価したのは専門性だ。パリの日本飲食店に行けば、寿司、刺身、焼き鳥などメニューがたくさんある。このため日本でもそうだと思っていたが、私が行った飲食店はほとんど寿司店、刺し身店、焼き鳥店、うどん店など専門店に細分化されていた。

非常に印象的だった。こうした特性から日本の飲食店の相当数は誰も追いつけない専門性を確保していた。当然、いい評価につながる。


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 ちなみに、このインタビューでナレ氏は、韓国のシェフについて「まだ国際的なレベルには達していないようだ」と述べ、『ミシェランガイド・ソウル版』の計画は今のところない、と語っている。

 余談だが、昨年11月、韓国の李明博大統領夫妻が国賓としてホワイトハウスの晩餐会に招かれた際に、出された料理が日本料理だったので、韓国のマスコミが「失礼だ」「深刻なミス」などと批判した事件があった。

 最高級牛肉を「ワギュウ(和牛)」、付け合わせは「カボチャ」、サラダは「ダイコン」などと、メニューにも日本語がそのまま使われいた。

韓国では「韓国料理の世界化」を目指して、官民挙げてのキャンペーンが展開されている矢先のことで、自尊心を傷つけられようだが、韓国人自身が海外で「看板に偽りあり」の日本食レストランで金儲けに励んでいるようでは、「笛吹けど踊らず」という所だろう。


これがナレ氏の言う「専門性」と「数世代、数百年かけて伝えられる技術と伝統」である。

「大市」(だいいち)は極端な例にしても、親子数代にわたって寿司屋やうどん屋を続けてきた、という例はいくらでも見つかる。一つの専門にこだわり、数世代をかけて積み上げてきた技術と伝統こそが、日本料理を世界最高レベルに押し上げてきた秘密だと言える。


■6.「専門性」と「数世代、数百年かけて伝えられる技術と伝統」

 ナレ氏の「専門性」、および「数世代、数百年かけて伝えられる技術と伝統」という言葉に注目したい。

ナレ氏が驚いたように、フレンチやイタリアンでは、得意な料理、名物料理はあっても、たとえばシーフード・スパゲッティだけで一流店になるということはありえない。

 それに比べれば、日本料理は寿司から鍋物、揚げ物、焼き物など、いろいろなジャンルがあり、鍋物一つとっても、さらに寄せ鍋、ちゃんこ鍋、うどんすき、すっぽん鍋等々に分化して、それぞれ一流の専門店があったりする。

 たとえば、京都の「大市」(だいいち)という店は、元禄年間から三百年以上にわたってすっぽん料理を作り続けてきた。鍋も何百年も使い込んでいるので、湯を沸かすだけでスッポンスープができるほどだと言う。


(参考)すっぽん料理、京都の「大市」(だいいち)が登場する小説。

志賀直哉『暗夜行路』
瀬戸内晴美『京まんだら』
川端康成『古都』
開高健『新しい天体』
梶山季之『夜の配当』
小島政二郎『新珠』
田村秦次郎『白い望楼』
丹羽文雄『虹の約束』 『魚紋』 『顔』


■7.「いただきます」という神事

 問題は、なぜ日本人はこのように専門性と歴史伝統へのこだわりを持っているのか、ということである。

その秘密を史家の竹田恒泰氏は著書『日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか』の中で、「いただきます」という言葉から解明している。

 氏は「『いただきます』とは『あなたの命を頂きます』という意味であり、食材そのものに対する感謝の気持ちを表す言葉である」と述べている。[1,p47]

 考えてみれば、食べ物は、肉にしろ、魚にしろ、野菜や穀物にしろ、すべてもとは生き物である。その生き物の命を頂いて、我々は日々生かされている。

その事への感謝が「いただきます」に込められている。食事そのものが、日本人にとっては生命をいただく神聖なる儀式、「神事」なのである。

 わが国においては、農作物を育てる農作業も、それを食べ物として提供する料理も神事である。天皇が皇居の田で稲を育てられ、毎年の新穀を天照大神に差し上げる新嘗祭は、天皇が執り行われる最重要の神事の一つである。

 また伊勢神宮では、毎朝夕、米、水、酒、塩、海の幸、山の幸を差し上げるという日別朝夕大饌祭(ひごとあさゆうおおみけさい)という神事が、この1500年間絶えることなく続けられている。

■8.「調理」という神事に携わる使命感

 料理人は、食材の命をいただいて、それを食べ物にするという神事を行っている。

自分は、そのような尊い神事を任されているという使命感が、たとえ無意識の中にでも潜んでなければ、何代にもわたって愚直においしいスッポン料理を追求するなどということはできない。

単なる金儲けが目的だったら、「看板に偽りあり」でも何でも、もっと手っ取り早い道に転向してしまうだろう。

 そして調理が神事であるからこそ、いただいた食材の命を最大限生かしておいしい料理にしようと努力し、さらにはいただいた人の健康にも良い料理を提供したいという思いやりが働くだろう。

 日本食がおいしく、かつ健康的だという特長は、多くの料理人が先祖から子孫へ、先輩から後輩に伝えられる伝統の中で、神事に携わる使命感を感じとって、愚直な努力を何世代も続けている所から来ている。

こういう努力が積み重なって、いまや世界の人々に好かれるほどに、日本料理はおいしく健康的になったのである。

 日本料理に携わる人々が(それはかならずしも日本人に限らないが)、この日本の文化伝統をより自覚して取り組むことで、日本料理はさらに世界の人々に愛されていくだろうし、また、調理人のそのような生き方自体が海外の人々にも貴重な示唆を与えるだろう。そうなれば、わが国は国際社会に対して、ますます良い影響を与えていくだろう。
(文責:伊勢雅臣)
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