政治はスパイに主導権有り!


今の日本でスパイ防止法を作ったら、真っ先に逮捕されるのが菅直人元首相。
彼はひどいですね。ミエミエ、オープンにスパイ活動をしていますね。

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菅直人民主党 北朝鮮スパイ動画!


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次は鳩山由紀夫元首相、民主党の幹部の大半、社民党、それに自民党公明党の一部も逮捕されるでしょう。

ですから、スパイ防止法を作れば何れ自分達が逮捕されるリスクがあるから、決して作ろうとはしませんね。

まともな日本の政権ができたら、安倍、麻生、石橋等も容疑対象となるでしょう。

さて、下記は、先日私のブログで掲載した産経の記事ですが、それを分かり易く書いた記事を見つけましたので掲載します。

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私のブログ記事
「戦前~戦後スパイだらけの日本」 2013.08.12

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以下は、その分かり易い記事から一部抜粋。

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コミンテルンの陰謀は、「ソビエト連邦成立から冷戦の始まりにかけて行われた大規模政治工作活動があった」という陰謀説である。
ソビエト連邦成立とほぼ同時期にソ連導で成立した共産主義連合、それがコミンテルンである。コミンテルンは共産主義世界的流布と共産主義国家の大化をした組織である。別名第三インターナショナル(中略)

コミンテルンが日本アメドイツイギリス中国などといった第2次世界大戦要参戦に大量のスパイを送り込み、これらの政治を裏で操作し、第2次世界大戦へと誘導したのである。
1943年に解散したと一般的には信じられているが、実は1969年の中ソ紛争辺りまでは影を失いつつも存在していたとも言われている。

コミンテルンの実質的支配者、ソビエト連邦共産党書記長 ヨシフ・スターリンまさか彼の思い通りに動く操り人形であるとはルーズベルトも介石も思ってなかったであろう。

コミンテルンは中国共産党中国統一を支持し、中国共産党に優秀なスパイを育成させた。
中国共産党スパイは敵対関係にある中国国民党に大量のスパイを送り込み、民党最高導者である介石を裏で操り、中国共産党に有利な方向へ導いた。
さらにスパイ中国盧溝民党兵に成り済まし、日本軍へ発し盧溝事件を起こした。
これによる日中戦争(支那事変)が勃発。日本民党は戦争状態になり、装備が貧弱な民党軍は日本軍に対し必死で抵抗したが、大量の兵員と兵器を損失した。
コミンテルンはこれによる民党軍の弱体化を狙っていた。日中戦争終結後、中国共産党軍は民党軍に対して圧倒的に有利になり、戦争に勝利し、中華人民共和国を建した。
コミンテルンによる中国統一計画は大成功に終わったのである。

珠湾攻撃は共産主義者ルーズベルト大統領の陰謀であるが、実は、コミンテルンこそが黒幕だったのだ。
ルーズベルト政権には300人にも及ぶコミンテルンのスパイが潜入していた。スパイ政府の上層部まで昇りつめた者もいる。
その1人であるハリーホワイトは財務次官、財務省のナンバー2である。
コミンテルンの工作を受けたルーズベルト政権は日本に対し挑発的な外交をするようになり、ついには極秘でフライングタイガースという航部隊を中国派遣し、影で日戦前から日本に対して攻撃をした。
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(参考) 私のブログ記事

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ハリーホワイト案は、コーデル・ハルによる外交試案、いわゆる「ハルノート」に取り入れられ、これに反発した日本珠湾攻撃を行い、ついに世界大戦は大東亜戦争(太平洋戦争)へと突入したのである。
コミンテルンはアメリ世界大戦参戦によって、西部戦線再構築による東部戦線でのソ連の負担の軽減、による物資援助、日本戦争敗北(中共による中国統一計画の一部)とそれによる日本という軍事的・経済的脅威の消滅を狙っていたのであった。

また、コミンテルンは日本アジアを西側諸から解放させ、そこに共産主義を流布して、東南アジア化も狙っていた。

ドイツの欧州進攻と戦後の東欧赤化
イギリスフランスもコミンテルンに動かされていた。

ソ連ドイツイタリア東欧衛星化を狙っていることにくから気付いていた。また、もし独が英と開戦した場合、始めは独が優勢であるが、しだいに英が優勢となり、独伊が負けるということまで研究により予知していた。

ソ連は英に大量のスパイを送り込み、宥和政策で独との問題を解決しようとしていた英を独との開戦へ追い込んで世界大戦を起こし、英西部戦線で優勢になると同時にドイツが占衛星化した東欧にコミンテルンの傘下である軍をなだれ込ませ、ソ連衛星にしようとしていた。

結果はフランスが降伏し、ドイツが不可侵条約を破ってソ連に侵攻するという予想外の事態へ発展した。それでもアメリを操作して世界大戦に参戦させたため、時期が遅まっただけであった。

結局東欧化に成功し、以後50年東欧はコミンテルンとソ連によって支配されたのであった。

(抜粋先)ニコニコ大百科

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(お時間がある方は、下記のユーチューブもどうぞ)

ユダヤコミンテルン_日本が戦争に至った背景」