アメリカの対日先制爆撃計画②
アメリカの対日先制爆撃計画①の続編です。
大東亜戦争(太平洋戦争)の始まる前、米国は、日本の本土都市を戦線布告せずに爆撃し、民間人である市民を無差別に皆殺しをする計画は着々と進んでいた。
以下、本文
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■4.ソ連スパイだった大統領補佐官の後押し
しかし、この計画はマーシャル参謀総長が疑問を呈したために、一時停滞した。彼は、イギリスが対独戦のために爆撃機を必要としており、中国に多くの爆撃機を送ることは、それだけイギリスを劣勢にすると主張したのである。
しかし、この計画はマーシャル参謀総長が疑問を呈したために、一時停滞した。彼は、イギリスが対独戦のために爆撃機を必要としており、中国に多くの爆撃機を送ることは、それだけイギリスを劣勢にすると主張したのである。
日本爆撃の計画を再び推し進める原動力となったのが、大統領補佐官として中国を担当していたロークリン・カリーだった。
カリーは1941年春に中国を訪れ、5月に米国に戻ると、大統領宛てに覚書を書いた。大統領からは、航空機供与を含む対中支援計画を進めるよう指示が出された。
カリーは、マーシャル参謀総長にも文書を送り、京阪神地域と京浜工業地域への空爆を提唱し、そのために同年10月1日までに中国に350機の戦闘機と150機の爆撃機を提供することを提案していた。
カリーは、マーシャル参謀総長にも文書を送り、京阪神地域と京浜工業地域への空爆を提唱し、そのために同年10月1日までに中国に350機の戦闘機と150機の爆撃機を提供することを提案していた。
カリーは戦後、ソ連のスパイとして追及され、本人は容疑を否定しつつも、南米コロンビアに逃れた人物であった。
カリーがソ連と極秘情報のやりとりをしていた事実は、その後、米暗号解読機関が確認している。
日本が蒋介石政権を打倒し、中国全体を支配すれば、毛沢東の中国共産党も一掃されてしまう。ソ連はドイツからのみならず、背後から日本の脅威を受ける。日本と蒋介石を戦い続けさせて共倒れにさせることがソ連にとって一石二鳥の戦略なのである。
また米国を対独・対日戦に参加させることは、ソ連を大きく有利にするもう一つの戦略であった。ルーズベルトは、最後通牒とも言うべきハル・ノートを送って、日本を窮地に追い込み、真珠湾攻撃に立ち上がらせたのだが、その案を作成したハリー・デクスター・ホワイトもソ連のスパイであった。
1941年7月23日。了解--ただし、軍事使節団方式を採るか、アタッシェ(大使館付武官)方式を採るかについては再検討されたし。
FDR(JOG注: フランクリン・デラノ・ルーズベルトの頭文字)
航空機の供与は、この年3月にルーズベルト大統領が成立させた武器貸与法によって合法的に実施できた。この法律は、大統領の判断で、あらゆる軍需物資を売却、あるいは貸与できるというもので、これ自体が中立国としての国際法違反の疑いがある。
しかし、この武器貸与法によって、中国軍がアメリカの戦闘機や爆撃機を使っていても、米国内向けには「米政府が売った、あるいは貸したもの」と言い逃れができる。しかし人員まで提供したとなると、ごまかしは効かない。
米軍軍人が中国で日本爆撃を行う「特別航空戦隊」を指揮していたとなれば、ルーズベルト政権は議会の承認を受けずに、実質的に米国を対日戦に参加させていたと非難されるのは確実である。
これが冒頭で、アームストロング氏が「大統領は弾劾の危険を冒していたかもしれない」と述べた問題であった。
したがって、JB-355計画は米国民に知られないように、極秘のうちに進めなければならなかった。
中国軍はすぐに編隊を崩したが、日本軍は2機編隊で中国機を追い詰めた。1時間の戦闘後、日本軍機は燃料が不足し始めて帰還したが、目に見えた損害はなかった。一方、中国軍は15機が撃墜され、8名のパイロットが生命を落とした。
中国人パイロットの技量がこの程度だったので、膨大な数の米国の戦闘機、爆撃機を中国で使うためには、それに相当するアメリカ人パイロットと整備士も送らなければならなかった。しかし、現役の軍人を送ることは許されない。
報酬は倍となり、また日本の飛行機を1機撃墜するたびに500ドル支払われるという好待遇だった。しかも1年の任期の後は、ふたたび、もとの地位で米軍に復帰できるという条件付きであった。
(注)最新鋭のカーティスP-40戦闘機
フライング・タイガース(サメ面はディズニー社の謹製)。 国籍マークは中華民国(国民党軍)に偽装。
彼らはビルマのジャングルに送られ、最新鋭のカーティスP-40戦闘機の操縦訓練を受けた。
つづく
(この記事転載元)