アメリカの対日先制爆撃計画③
アメリカの対日先制爆撃計画③ |
今回は、当時の米国の当事者の証言の映像(ユーチューブ)をも掲載し、この記事の裏付けとしました。 |
(前回・前々回記事)
以下、本文 |
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■7「理性が、虚偽からその仮面を剥ぎとった暁には」 |
しかし、爆撃機が中国に送られる前、12月8日に日本の真珠湾攻撃が敢行され、アメリカの「特別航空戦隊」は、戦闘機のみの戦隊として日本軍に戦いを挑んだ。 |
これが「フライング・タイガーズ」と呼ばれる「アメリカ人義勇兵部隊」の正体である。 |
日本政府・軍部は、アメリカの先制爆撃計画の情報をつかんでおり、真珠湾とフィリピンの米軍基地、それに中国内陸部への攻撃によって、米爆撃機の中国移送を不可能にさせた。 |
1942年4月18日、米空母から発進したB-25爆撃機16機が東京横浜、横須賀、名古屋、神戸に爆弾を投下したが、目立った損害は与えられなかった。 |
その後、燃料が切れたために、1機はウラジオストックに、4機は中国東部沿岸地方に不時着し、残りは乗員がパラシュートで脱出し、全機が失われた。 |
これは、日本爆撃計画を不完全になぞらえた作戦であるが、中国と西太平洋の制海・制空権なくしては、もともと無理な計画であった。 | 米軍が日本空爆を実施したのは、1944(昭和19)年7月のサイパン島攻略後、同島からB29を発進できるようにした後であった。 |
「日本による一方的かつ、卑劣極まりない攻撃」とルーズベルト大統領は真珠湾攻撃を非難したが、その1年も前から自らリーダーシップをとって、日本への爆撃計画を進めさせていた事実は、闇から闇に葬られた。 |
しかしアームスストロング氏の労作は、米国の公文書を使ってその事実を暴きだした。 |
この経緯は、東京裁判で日本無罪論を主張したインドのパール判事の次の言葉を思い起こさせる。 |
時が、熱狂と、偏見をやわらげた暁には、また理性が、虚偽からその仮面を剥ぎとった暁には、その時こそ、正義の女神はその秤を平衡に保ちながら過去の賞罰の多くに、その所を変えることを要求するであろう。[b] |
(文責:伊勢雅臣) おわり
下記のユーチューブは、当時の米国の関係者の証言です。 |
米国は、戦線布告せずに日本の東京や大阪などの都市を爆撃し、日本の民間人である都市住民を皆殺しする計画を推進していました。 |
日本は米国の戦線布告なき先制攻撃を避けるために真珠湾攻撃をしたと明確に述べられています。 |
いかがでしたか? |